今回の年賀状では初めて、賀状交換の欠礼案内を書いて出した。約3割、50枚。義理と習慣のみで賀状を出していた人たちに、今回で失礼させていただきますと書いた。恐らく納得した人もいるだろうし、不快になった人もいることだろう。時代の流れだね。
でも、もう郵政省(旧)の呪縛からは解放されたいのだ。出したい人には出すが、義理はもうしない。もう定年退職したのだから、怖いものはないはずだから。
次回はもう少し絞って更に賀状枚数を少なくするつもりだ。
さて、毎回もらう年賀状でいつも不快に思う賀状がある。
神経が鈍いとしか言いようがない、自分のことのみで相手のことを全く考えない年賀状。
こんな年賀状はいらないのだ。
(順不動で)
・子供(孫)の写真を載せてくる賀状。⇒お前の子供なんて興味ないよ!
・家族の写真を載せてくる賀状。⇒お前の家族なんて興味ないよ!
・結婚式の写真を載せてくる賀状。⇒お前の派手な結婚式なんて見たくないよ。
・海外旅行の写真を載せてくる賀状。⇒お前の楽しい海外旅行なんてどうでもいいよ。
・国内旅行の写真を載せてくる賀状。⇒お前の楽しい国内旅行なんてどうでもいいよ。
・子供がいい大学に入ったと知らせる賀状。⇒お前の息子・娘がいい大学に入ったなんてどうでもいい。
・ベット(特に犬)の写真を載せてくる賀状。⇒お前の飼っている犬なんて見たくないよ。猫なら許せるけど。
要するにここに挙げたものは「私(又は家族)は幸せです!」と伝えたいんだ。
ひとは他人の不幸には興味があるが、他人の幸せなんぞ全く興味がない。
幸せ家族ばかりではない。不幸せな、といってもとっても不幸せでなくても、いつもそう漠然と感じているところに「私って幸せなんです」なんていう年賀状が年に一回飛び込んでくる。不愉快でなくて何と言えばいいのだろう。
「私って幸せなんです」って他人に伝えてどうするのか。優越感に浸りたいのか。
「孫ができました」って、だからなんなんだ。あんたには嬉しい出来事かもしれないが、おいらの家には関係ない。うちの息子は未だに独身。孫ができる可能性はないんだ。
海外旅行の写真を載せてくる賀状なんて、最悪だぜ。海外旅行も珍しくなくなったのに、殊更自慢げに名所をバックにした写真を付けてくる。バカじゃないのか。
これくらいにしておくけど、「他人の幸せなんてどうでもいい」という人がいるという配慮が欠けているということがイラつかせるんだな。