「私が「死刑囚の表現展」の選考委員やってると言うと「被害者遺族の感情を考えろ」「そいつらに表現の権利はない」というリプが来る。その死刑囚たちの多くは罪を深く悔いてる。一方、反省の兆しもなく被害者を生み続けてる桜井誠氏や在特会に関しては、表現の自由を認めるべきだと言う。おかしすぎる。」(Twitter

 

 この発言は現職の精神科女医。もう常識も判断力も何もなくなっても平気なようだ。そもそも死刑囚と桜井誠氏を同列に並べることからしてヘイトだろう。

 自らの悪を懺悔しない奴には表現の自由という権利を与えない、と言いたいようだが、表現の自由という権利はそんな都合よく制限されるものなのか、制限していいものなのか。権力者が左翼は悪で反省してないようだから発言は許さないといってもいいのか。いや、権力者はそういうことは許されないが、左翼が敵対者の表現の自由は制限してもいいと言いたいらしい。

只々桜井という奴が気に入らない、桜井氏を殺しても飽き足らないという憎しみの塊の思いがこのツイッターによく出ている。もう自分が何を言っているのか判断できないほど病が進行しているようだ。

 

ネットの常識の声を幾つか挙げておこう。

「桜井さん誰か殺して裁判で有罪になったの?」

「私は桜井の表現の自由を認める。そして、死刑囚にも等しく表現の自由を認めるべきだ。ぐらい言えばいいのにね」

「生きる権利を奪った死刑囚の表現の自由を許して、だれも殺してない桜井誠の表現の自由は奪うの?  桜井誠は嫌いだが、こういう屁理屈をいって自分を正当化するやつも嫌いだ。」

「完全に論理破綻してることに気づかないんだろうか」

「こいつはもう本当におかしくなったな。これ以上喋らせるのは危険だ」

「死刑になるような殺人犯と桜井さんは同じ罪か? これが反対の立場なら訴えられそう」

「人権を制限されるようなことをやったから囚人なんだが……「死刑囚に身体の自由を認めず、桜井誠に身体の自由を認めるのはおかしい」みたいな話だろ。」

「それほど桜井が憎いんだろう。死刑囚と並べ立てるくらいにね」

「すごい形相で中指立ててたおばさんか」