太宰治は余り好きじゃない。爆問の太田やピースの又吉は太宰が大好きらしいが、どこがいいのだろう。暗いしウジウジしていて面白くないじゃないか。

 

 そんな嫌いな太宰の小説にも面白いものがあった。浦島太郎の話だ。

少し引用してみる。浦島が亀に乗って竜宮城へいくところだ。

 

「「それじゃまあ仕方が無い。」と苦笑しながら、「仰せに随って、お前の甲羅に腰かけてみるか。」

 

「言う事すべて気にいらん。」と亀は本気にふくれて、「腰かけてみるか」とは何事です。腰かけてみるのも、腰かけるのも、結果においては同じじゃないか。

 疑いながら、ためしに右へ曲がるのも、信じて断固として右へ曲がるのも、その運命は同じことです。どっちにしたって引き返すことは出来ないんだ。

 試みたとたんに、あなたの運命がちゃんときめられてしまうのだ。人生には試みなんて、存在しないんだ。やってみるのは、やったのと同じだ。実にあなたたちは、往生際が悪い。引き返すことが出来るものだと思っている。


「わかったよ、わかったよ。それでは信じて乗せてもらおう!」」
        (太宰治「お伽草紙 浦島さん」(新潮文庫)より)

 

 助けてくれたお礼に竜宮城に連れて行くという亀を信じない浦島さんに、亀が言った言葉だ。

 大したことを言っていないようだが、日常的にしょっちゅう起こる「逡巡」について、小気味よくその決断を促す啖呵として関心したのでメモをしてみた。

 

「人生には試みなんて、存在しないんだ」は結構深い意味がありそうだ。太宰が言うんだから。