秋田ノーザンハピネッツが成功した要因を当フットボール研究所で分析してみた。
まずは開幕前の徹底したPRがあったと聞いた。
埼玉在住なので詳しくは聞きかじり程度だが、相当な売り込みで盛り上げたらしい。
b j リーグの存在・秋田に創設する意思表示・名称募集・・・
「秋田ノーザンハピネッツ」発表の際はビミョーな反応。
(俺も強そうな名前を期待していただけに最初は「うそーんΣ(゚д゚;)」と思った)。
しかし明確なカラーの決定は同時に一体感を生んだ。
(ハピネッツ)ピンク・(いなほ)ゴールド・(ノーザン)ブラック。とくにピンクは女性が飛びついた。
自他共に認めるバスケ王国秋田、高校大会の優勝回数がハンパ無い。
という事は、それだけ全国を知るOBの数もハンパ無い。
能代での開催では爺さん婆さん年代の秋田への的確なコーチングが相手選手や相手ブースターを
驚かせたという逸話も。
社会人でもかつて名を馳せた「秋田いすゞ」。その後、横浜に本拠地を移し「いすゞ自動車」として
高橋マイケルらを要しJBLでも優勝。
しかし不況から休部。クラブチーム「横浜ギガキャッツ」として活動開始。そこに秋田の面影はなかった。
秋田のオールドファンにとってオレンジに「ISUZU」のロゴが入ったあの強かったチームが
生まれ変わって秋田に舞い戻ったと捉えたに違いない。
アメリカンな派手演出でダンスチームの華麗なダンスに始まり、映像装置による選手紹介。
DJによる応援練習は単純明解で老若男女誰でもその場に参加しやすい。
それがプラスして元々ラテン系の秋田っ子たちに火をつけてb j リーグでも屈指の
ホームの雰囲気と観客動員を作り出した。相手選手のなかには「秋田はやりづらい」
前記の能代では「もうやりたくない」とまで言わせるという凄さ。
まとめると・・・
(かつてのバスケ王国+地元プロチーム誕生)×娯楽の少ない秋田=地元に誇りを持てる象徴
決して強いわけではないが(むしろまだ弱い)会場に足を運び応援したくなる存在になったハピネッツ。
次はブラウブリッツと比較してみてみます。