今日も何気なく視線を当てた先に、
白い鳩。
また、会えた。照れ
お墓参りを兼ねて。墓掃除に出かけてみた。
墓の周りの草むしりをしていたら、キューキューキュー。と音が。
よく見たら。たぬきの親子だった。

タヌちゃん!とおいでおいでと、呼んだら、子ダヌキが無邪気にこちらに向いて歩いてきた。
草を食べ物と勘違いさせてしまい、ガッカリした子タヌキは、
ウロウロして、親タヌキの元に。

親タヌキは、子タヌキを咥えて山の中へ帰っていった。
食べ物があったらよかったのに。と、思い。
この山にタヌキがいたんだ。
と思いました。

〜〜〜〜〜👷‍♂️👷‍♂️👷
子供の頃の思い出。

恥ずかしい思い出ばかり。アセアセガーン

幼稚園では。高所恐怖症。遊具で上に
上がったら、一人で降りれない。
泣く。大泣き。
岩に落ちて、顔に怪我。
母曰く、自分から落ちたんよ。…。⁈

お漏らしをして、パンツを履き替える。

手を繋いでみんなと帰る時、手を繋ぎたく無いジェスチャーをされたこと。

こんな残念な子供でしたが、何故だかその時のテストの成績が良かったため、
幼稚園の先生に
『人は見かけによりませんね。』
と言われたこと。

その後の人生で。褒め言葉は、これきりでした。


小学生になり、
1年生の時の担任の先生は、ついこの間まで、6年生を受け持っておられた、若い女の先生でした。

この先生の言葉でよく覚えていること。

『子供のことを大切に思わない親はいない。』

と教室で生徒に言われたこと

妙に覚えています。

その言葉が、現実から逃げる救いになった、、?




私はコミュニケーションが苦手で、

話す練習をしましょう。

と先生に言われていました。

仲良くしてくれた子が今日を最後に転校して行く、最後の日に、何も話せなかった。
感情は溢れても、
先生に促されても、
口が開かなかった。


そんな情景を覚えています。

今でもその子の顔、ひらがなのフルネームは覚えています。
黙っている私を笑顔にして。話をさせてくれた子でした。

その後も
ぼっち気味の私は、ただ小学校に通っていました。

喘息の時の大きな注射。

『かわいそうに。』

と言われた。医院の先生の声。

池田市の父の知人から頂いた苦い喘息の粉薬。


母の背中におんぶされて、ぐったりしていた。
自分。


昔のこと、書いてみること。
気持ちが整理されるかな。

そんな私だ。
と、私はこんなだったんだ。・・・。


明るい別の人をわたしと思いたくても、別の人になれない。って。

ショボーン