学会後に21時まで開館しているピカソ美術館に来た。彼のまだ若い14歳ぐらいの作品の質に圧倒された。父親が画家で美術教師だったので、初期の絵はその指導下の絵であろう。聖体拝領のような宗教画はコンテスト向けではあってもガッチリとした構成だ。

 実は医師として毎日の激務を続けながら、多摩美の大学院で油画をやっていたきっかけはピカソにある。僕の患者さんで失明の恐怖から救い1.0の良い視力に戻したY画廊のオーナーと親しくなり、パリにもあるY画廊にも行った。そこでピカソの孫が相続した油画作品を持ち込み、僕に安くするので買わないか?とYさんから聞かれた。素晴らしい絵だった。一晩ホテルで考えた。神の啓示の如く閃いた。「ピカソを超える絵を描きたい」と。僕は自他共に認めるが、眼科外科医では世界一の手術の腕を持つ。これは世界の誰と競争しても勝てるという自信もある。でもピカソ美術館に来て、このピカソの尋常ならざる画力は日本にいては超えるのは無理であろう。自分自身で世界と勝負する画力とは、日本にある飾物を志向したアートでは勝負にならないと思った。今日のヨーロッパ眼科学会では自分の方が遥かに手術も技術も感覚も勝っていると確信できた。でも芸術力はピカソの初期からの連綿と続く芸術を見ると、自分の努力は更に必要と、武者震いがするのですね。