これはムンク作の「マドンナ」だ。この絵をムンクは「世界中の優しさがその顔に集まっている。月光が顔をよぎる。顔には美しさと苦しみがある。なぜなら、生が死と握手しているからだ」と、ムンクにとっては「生と死が不可分」であると述べている。「生と死」は、彼の絵画の中心的課題なのだ。

 これは、ムンクの多くの男女関係のスキャンダルの中でも、恋人のトウラ・ラルセンから結婚を迫られていた時の悲劇を描いている。ムンクは生涯独身であったが「結婚とは残りの人生を地獄に縛り付けるものだ」と結婚から逃げ回っていた。そんな中で二人のいさかいで銃が暴発して、ムンクの左手中指を損傷した。この絵「マラーの死」はその銃の暴発後の指を損傷した時の様子を描いている。ムンクの異常さは、自分の手術時に、手術室での外科手術の際に手術を観察しようと、コカインでの局所麻酔を希望して手術を自分の目で観察している。この観察の後で「手術台にて」という題で絵を描いている。さらに、その後にこの恋人のトウラが別の男とパリに向かい自分の悪口を言いふらしていると、ムンクの精神状態も不安定となっていった。ムンクは精神病への恐れがあり、過度に飲酒するようになった。そのうち幻聴さえ聞こえるようになり、「やつを殺せ」という幻聴に悩まされ、コペンハーゲンのヤコブソン医師の精神病院に入院している。

 皮肉なことに、この頃からムンクの絵画評価が非常に高くなって、経済的にも社会的にヨーロッパの名士となって行った。ただ経済的に恵まれてきて自分の絵を売らなくなり、自分自身の為に絵を描くようになった。この感覚はよくわかる。僕も幸いにも絵を売る必要が無いので自分の為に絵を描くことができる。時々は僕も絵画個展で販売して良く売れるが、売るための絵を描くという行為は芸術家の苦悩と重なることだし、今の日本では芸術家として作品販売で生活できるのは、ごくごく一部の作家となっているのだ。

 このように経済的にも満たされて、精神的にも安定したムンクであったが、今度は目の病気で悩まされることになった。この絵はムンクによる「硝子体出血による部屋の風景の見え方(1930年)」である。この写真は、パリでムンク展がポンピドー美術館で行われていた時に、僕が会場で許可を取って写真撮影したものだ。この下の赤茶けた丸い塊は眼球内の血管が破けて起きた、硝子体出血なのだ。この見え方をムンクは実に冷静に描いている。この赤茶けた固まりから上に何か線維質のようなものが出ている。これが鳥に見えたのであろう。奥にもぼんやりと人物が見えているが、硝子体出血が視野の多くを占めていて、もはや他の部分ははっきりと見えないことが分かる。この眼内の硝子体出血の為に、ムンクは絵画を制作できなくなった。

 ムンクが絵画の題としてきた、「愛の目覚め」「愛の開花と死」「生への恐れ」「死」と命題は続いていくが、この途中に目の病である「失明への恐怖」がムンクには襲い掛かってきたのだ。