ドガは視力低下とともに補うかのように数々の技法を取り入れた。通常の油彩画では表面の照り返しや絵具の色彩が分からないので、油分を抜いた絵具を使用するようになった。さらには、調合もいらずかつ色彩の鮮やかなパステル画を作成するようになった。さらには写真を撮り、実際に観察できない動きや全体像をじっくり見て制作に生かすようになった。上の絵は休息をとり痛む手足を伸ばしたり、疲れ切った様子でベンチに座るバレリーナを描いている。このような舞台裏の様子と、元気に練習する踊り子と対比して描いている。1980年代には視力はより減退しているが、この頃はパステル画と油彩画を併用しており、まだデッサンの厳密さはあった。

ところが徐々にデッサンもままならなくなってきた。色彩も鮮やかなパステルでしか使えなくなってきている。

これは箱根のポーラ美術館所蔵の「休息する二人の踊り子」です。1900-1905制作ですが、この頃より、視機能低下が著しくなったのです。この為にデッサンの厳密さは失われていきます。ほとんど抽象画のような大胆さでパステルで描かれています。ドガの初期の油彩画の特徴である線描画の厳密なデッサンは失われ、大胆な線と色彩が表に出た色彩派へと変貌していったのです。

これは僕の患者さんで網膜色素変性症(Retinitis Pigmentosa、色素性網膜炎)の眼底写真です。おそらくドガは同じような目の変化が来ていました。網膜中心部の錐体細胞が障害を受けたために、ものの形態がとれなくなり、細かなタッチも見えないので絵画の線が太くなります。また色彩を感じなくなってくるので、中間色は分からなくなり、原色を多用するようになるのです。かつ、色味や色価を判別しやすい、黄色と青の組み合わせや赤と緑の組み合わせなど補色を多用するようになってきました。因みに補色とは合わせると黒に変わる対比される色の組み合わせであり、最も対比が目立つ色です。これこそが、網膜炎の重症化とその後の網膜変性の重症化による、視機能変化の典型例なのです。これがドガの目で起きて行ったのです。