2022,6,15、

 画家のドガが30代半ばに滞在した、旧フランス植民地のアメリカ南部のニューオリンズは、僕もアメリカ眼科学会で何度も訪ねて滞在しています。フレンチクオーターという古い一角がありますが、まさに旧フランスの植民地という趣です。南部ですので光も強烈に強いのです。フランスの影響はレストランでもあります。特に僕のお気に入りは、アントワンズ(Antoine's Restraurant)という店で1840年創業からドガも訪ねたことがあると思います。ここのオイスター料理は絶品です。ニューオリンズに滞在時は必ず1回はアントワンズで食事をとりますが、この写真はアントワンズで食事中の僕ですが、アメリカ眼科学会時にアメリカの眼科医仲間と行った時ですね。

前回もお話ししたように、バレリーナの絵で有名なドガは目の病気で困っていたのです。

 1870年の普仏戦争にドガは従軍しました。ここで36歳のドガは砲兵隊に所属して射撃の訓練をしています。しかし、右目でライフルの銃の照準を右目で合わせられない程右の目の視力が悪かったのです。1871年に友人のシッカートに話した内容が残っていますが、ドガは「私が戸外の太陽の下で城の水辺を描いていると、後で見えにくくなりその後は3週間も文字が見えないんだ」と嘆いています。

 ドガは、1872年には当時のフランスの植民地であった今は米国南部のニューオリンズにいるドガの弟や母方の親戚を訪ねています。ニューオリンズを訪ねると分かりますが、アメリカ南部の湿地帯に続く港湾都市で、ここは非常に太陽光強い地域です。湿地帯にはアリゲーターというワニがたくさんいますし、ハリケーンの発生地域で、太陽がぎらついて熱いだけでなく、湿気もとても高いムシムシする気候です。

この絵は当時のドガの親戚が経営するニューオリンズの工場内部を、ドガは油彩画で精密に描いています。

 当時のドガの手紙が残っています。ドガはフランスの友人に「当地の太陽光はとても強く、川岸では何も見えなくなる。自分の目がますます悪くなり治療が必要だ」と嘆いています。ニューオリンズの太陽がドガの視力を奪いつつあったのです。

 これは、ドガの弟ルネの妻エステルの肖像画で、ドガが描いたものです。先日4月末にあったワシントンの国際眼科学会で、コロナ禍いらい久しぶりに渡米出来て、僕は久しぶりに発表しました。ワシントンでの空いた時間でワシントンナショナルギャラリーを訪ね、この展示してあったドガの絵を写真に撮りました。彼女も実はドガと同じ目の疾患であり、32歳ですが両眼とも失明しているのです。ドガは同じ境遇のエステルの盲目の境遇に気遣い憐れんでいますが、自分の目の運命を重ねて自らの失明への恐怖を重ねています。この絵の特徴は、彼女の視線の先には何も見えていない、盲目者特有の視線が定まらない様子が、実に写実的にうまく描かれています。目線は写実絵画の肝ですが、この何も見えていない目の存在感を実に的確にとらえています。ドガが写実画家である真骨頂がここにも見られます。

 1880年代になるとますますドガの目は悪くなり、友人への手紙には「両眼とも見える範囲が狭くなり、右目はほとんど見えない。左目も中心が抜けて、中心の周りしかちゃんとは見えない」と述べています。

 この太陽光の強いニューオリンズでの滞在後にフランスに帰国した後も視力障害が進んでいます。ドガの友人で芸術家のデニスに、ドガが語った言葉では「僕は君の鼻は見える。でも君の口元は見えないんだよ」と告白しています。

 ドガの日記には多くの眼科医に掛かった記録があります。1891年には視力表で有名なフランス人眼科医のランドルト(視力表のランドルト環というCのような指標で有名ですね)の治療を受けています。当時のドガの診療録を見ると、「網膜脈絡膜炎」と診断されています。原因は普仏戦争での従軍した際の極寒の天候と、ニューオリンズなどでの強い太陽にさらされた為だ、とされています。そして、ランドルト医師の治療は、ドガが休養を取り、外の強い光を避けて、太陽光の外から守るための遮光眼鏡をかけることだとされたのです。

 不十分な記録しかないので断定はできませんが、おそらく症状から、ドガの目の病気は「Retinitis Pigmentosa」であろうと思います。これも現代では難病であり、日本での眼科本には治療法が無いなどと書いてあります。実はこれはとんでもないことです。世界の標準的な代表的英語の眼科教科書には治療法が40ページも書いています。僕もアメリカ眼科学会理事として多くの治療方法を開発してきました。この治療法が無いとされている日本ですが、僕自身は5000人ほどのRetinitis Pigmentosaの治療をしてきており視力回復に至る方も大勢います。世界のトップ眼科医なら治療は出来るのです。この日本語訳、誤訳なのですが、「網膜色素変性症」という日本語です。でもこのRetinitisの意味は正しくは網膜炎なのですね。それにPigmentosaという色素性の、という語がつくので、正しい日本語訳は「色素性網膜炎」でしょう。網膜炎ですから、網膜炎の治療を優先しますし、治療可能なわけです。網膜に炎症が起きるので血管炎や増殖膜である黄斑上膜が張って硝子体線維も濁ります。さらに代謝異常で白内障やチン小帯が炎症でボロボロになって水晶体が前に移動するので隅角が狭くなり緑内障も起きます。これらは適切な手術で治療できます。でも超上級者でしか手術できないのです。研修病院などで手術できるレベルではないので、日本の教科書では治療法が無い、などと書いているのでしょうかね。でも少なくとも世界トップ眼科外科医にとっては治療できる病気であり、早期発見早期治療が必要です。またさらに、視細胞の錐体細胞の障害を防ぐために障害性の強い短波長の光をブロックする医療用のサングラスの装用は必須です。これについてはまた別の機会に詳しく述べましょう。