=New=ほりちゃんブログ どっこらしょ♪ -4ページ目

いや、すごかった。

やられてました。

すごかったです。

 

前回の更新の翌日の夕食が原因で

3日の潜伏期間を置いた後、

10日間、食あたりによる

ウィルス性腸炎にかかりました。

その前から風邪をひいてましたが

疲れもたまっていたようで

家族の中で私一人が

「おそらく鶏肉にあたったのでしょう」

ということでした。

39度8分という久しぶりの高熱、

何も口に入れられない状況。

ちょっと今回はやばいな、と思いました。

 

熱はしばらく落ち着かず

なんとかやっと3日前に完全復活!!

わ〜〜、よかった〜〜。

 

いやいや、なれない社会復帰、

数々の手続きに奔走、

疲れと風邪(咳が止まらず)で

どないしよかと。

しかし、本日

全ての手続きを完了して

やっと年を越せそうです〜音譜

 

と前置きが長くなりましたが

皆さんもお疲れと思いますので

どうぞお気をつけくださいね。

 

という訳で

本題に入りますクローバー

 

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前回の更新の

「毒親介護の終わりと始まり(1)」

でお話しさせていただいたのは

母と私の関係と

ざっくりとした介護の背景でした。

 

そして今日は

(前回にも少し触れましたが)

介護が終わればすべてが終わると

そう信じていました。

けれど、そうではありませんでした。

また、介護をするにあたり

問題になるのは

「介護をする人」と

「介護をされる人」

だけの問題では

なかったのです。

そんなお話です。

 

 

介護中、娘はとあることがきっかけで

不登校となりました。

その主な理由が金銭問題でした。

 

 

イラストのお仕事も

極力少なくしました。

せっかく一緒に、と誘ってくれた

東京でのイラストの展覧会も

いろいろ決まっていたのに

泣く泣く辞退させていただきました。

同時に夢でもあった

営業活動ができるエキスポも

キャンセルしました。

この頃は泣いてばかりでした。

仕事がしたくてもできない。

せっかく掴んだチャンスも

手放さなくてはいけない。

なのに、他の家族は普通に仕事をし、

普通に暮らし、新車を購入し

家を新築し、そんな時に

私は母の強烈な血便に

まみれていたのです。

 

去年の9月、母は下血を起こし

限界まで我慢してしまったために

緊急入院となってしまいました。

なんか、その時

私は母からめっちゃ怒られたんだけどね。

何だったんだ、あれ……

で、その時の状況は

「辛い」

の一言では

とてもじゃありませんが

表現できるものではありません。

五感に染み込む辛さでした。

そして、その時を期に

みんなが働きながら介護をすることが

困難なこととなってしまったため

介護離職を余儀なくされました。

歯科衛生士の職も失ったのです。

 

 

翌年(2016年春)には、大好きな著者様の

第二弾が出版されると言われ

お仕事をいただきました。

しかし、泣きながら

お仕事をお断りさせていただきました。

 

 

鳴り止まない母からの電話。

介護を理由に休めない仕事。

仕事を理由に休めない介護。

減ってゆく仕事。

失っていくいろいろなもの。

誰からも助けを得られない閉塞感。

 

 

そんな中

家賃すら払えなくなってきたため

私たち親子は2016年の秋に

兄夫婦の暮らしていたマンションに

引っ越すことに話がまとまりかけました。

 

細かな状況はおいおいお話ししますが

そのマンションもすごかった。

「住んでいいよ♫」

って状態じゃなかった部屋を

目の当たりにした娘は

全てに失望し、あらゆる気力を失いました。

 

そうでなくとも、

大好きだった祖母の介護を

私のために手伝い、

弱っていく姿を眼の前にして

気持ちはかなり傷ついていたようです。

 

自分たちの住む場所がなくなる。

住みたくないところに

住まなくてはいけないのに

変わらなくていい人たちがいる。

 

そんな理不尽に納得することが

できなかったのでしょう。

娘は週に2回、学校に行くのが

やっととなってしまいました。

 

親子で互いに自分を責める日が

始まったのでした。

「不登校」

がこんなにも大変とは

思ってもいませんでした。

親も、子どもも辛い

そんな日々でした。

 

 

そんなことをきっかけに

家族間での問題は

私にとって人生を左右する

そんな大きな問題へと膨らみました。

 

 

仕事を失い

お金を失い

社会的信用を失い

家を失いそうになり

(賃貸なんですけどねあせる

いつの間にか

私自身も、娘も

「自分の人生を生きる」

そんな基本的なことを

全て失いそうになっていました。

 

今、思い出しても

涙が溢れてきます。

 

母が亡くなった後

その問題は

もっともっと大きなものへと

変換され、やがて

私の中で何か大きな問題に気づきました。

 

 

介護が終わってから

「始まったこと」

 

それは

問題との直面、そして

家族との決別の決意と

新たな生活です。

 

 

さて

この先やってくる

絶対にやってくる

「超高齢化社会」

私たちも、その高齢者の一員になります。

私たちは、今の子どもたちに

世話をしてもらわなければいけません。

寿命は自分では決められません。

「ピンピンコロリ」

も、誰にも決められません。

 

 

私たちに必要なものは

何でしょうか。

社会全体が持たなくてはいけない意識は

何でしょうか。

国が変えなければいけない制度は

何でしょうか。

私たちは昭和の感覚だけで生きていて

大丈夫でしょうか。

私たちが本当に

得るべきものと手放すべきものは

何でしょうか。

 

 

とか大きなことは

お話しできないかもしれませんが

草の根運動。

 

 

介護離職で親の命を絶ったり

介護うつで自ら命を絶ったり

介護疲れで一緒に命を絶ったり

そんな悲しすぎるニュースが

もう流れないように、

この先みんなが通るかもしれない

そんな介護の辛さが

少しでもまぎれたり

何か助けになれたりすれば、

少しでも誰かが誰かの

小さな救いのひとかけらになれたら

いつか大きな救いになるかもしれない

そんなきっかけを作れたら。

 

赤い文字3行のどの思いにも

何度も何度も襲われた私だから

この後から時系列に沿って

「あなた一人じゃない」

という思いを乗せて

ブログに体験したことを

自分からの目線でだけど

書いていこうと思います。

 

 

とてもデリケートな問題なので

ほいほい更新はできない

かもしれませんが

(予防線張っておいた)

どうぞお付き合いください。

 

 

今、まさに介護に、親に、

自分の人生に疲れている方がいらしたら

ここからは何もできませんが

あなたに少しでも笑顔になれる時間が

与えられますように。

 

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今日は今年最後の更新です。

ほとんど更新できなかった一年ですが

これからまた、

ぼちぼち更新していきますニコ

 

 

今年一年ありがとうございました。

そして、

来年もよろしくお願い致しますわんわん