「想う」ことは大切に思います。
「想う」ことは生命活動に於て重要です。

自然界は「想い」に溢れています。
自然の造形~虹などの現象を含めた形あるものには、そこに「想い」があるのです。。

自然界は、広い視点で捉えれば、与え、与えられ、補い合い運営されています。
「与える」心は「想い」です。

「想い」は、心が他を優先させた時に沸き起こる感動でもあります。

「想い」は無償でもあり、無垢でもあり~
「想い」は愛であり、神の想いでもあります。

しかし、私達が「想い」と思っていることが、実は、そうでないこともあります。
つまり、それは~
「思い」=「気持ち」であって~
安易な言い方かもしれませんが、
「想い」は「本質」であり、「思い」は「エゴ(感情)」と思われます。

現在、私達は「想い」から離れ、「思い」な視点が主流になっている為に、
まるで、神に見放されているかのような錯覚に陥ってしまったりもします。

「想う」ことで私達は、自然界(宇宙)と繋がることが出来ます。

近頃の自然災害や野性動物の暴走は、恰も自然が誤作動した人間達を排除しようとしているかのようでもあります。
因みに、「熊」は、アイヌの方々の間では「神」の一員であり~
神の「想い」を表現している存在でもあるのでしょう。

旧約聖書の始めの方で、神が人(人間)を造り~
「・・そして、海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」
と、ありますが~
ある方が書籍の中で、これは、「支配」ではなく「交流」の誤訳では?
と、おっしゃっておられました。
私も、そんな気が致します~真理的常識からすると、神が「支配」と表現するように思えないからです。
おそらく、「この地上の生命達と交流し、与え与えられ、人間にしか出来ない働きで補い、よく学び、進化成長の道をシッカリと歩むように。。」
ということであったのかもしれません。
「支配」と訳された方~残ねーーーん!?

よく、「想い(思い)は通じる」と言いますが、
それは、「想い」が純粋であり、神性である為に、神の「想い」(御心)と、すべてに通じるのでしょう。
これを「テレパシー」ということも出来るかもしれません。

「想い」は「想像(力)」と似ているかもしれません。
「想い」=「想像(力)」の延長~その先に、真実(本質)があると私は信じます。

どうか、美しいもの、優しいもの、清らかなものを意識し続けてみて下さい~

良き(善き)ものを求める者は幸いです~
あなたは、常に神の「想い」(愛)の内にあるでしょう。

争いを求める者は災いです~
その者は、常に、不幸の内にあるでしょう。

純粋な者の「想い」(自由や喜び)を奪う者~
その者もまた、同じように奪われるでしょう。

神(神様)は、
何がこなせるか?何を知っているか?よりも~
どんな考え方をしているのか?どんな「思い」(想い)でいるのか?
といった、動機の部分をご覧になっています。
神の前では、二者を演じることは無意味です。

とはいえ、
「私は日々、美しいものを愛で、美しい音楽を聴き、良きものに触れています・・
なのに、常に辛い出来事がやって来ます・・」
と、おっしゃいます方が多いようにも感じます。。

真理(想い)に根差し、歩み続ける者は幸いです~
あらゆる災いも、あなたの魂まで切ることは出来ません!

ですが~
私達(生命)は、絶えず進化成長の道を歩んでおり、
ある意味では、それが目的で存在しているとも云えるかもしれません。
もしかしたら、
私達が災いと思っている出来事は~
今、自分(魂)がどんな状態でいるのか?どの位置にいるのか?どんな学習の段階にあるのか?などを示して下さっている神の愛(想い)であるのかもしれません。
それにより、自らの意欲で心を変え、修正が成されるようにと、神や聖霊達が望んでいるのでしょう。
そして、
「思い悩むな・・」という言葉が、上記を受け入れることで成就するでしょう。
もっとも、開き直り的意識はNGです(ポジティブ的思考云々もそうですけど)~
神の「想い」を感じていてこそ、すべてに意味が生じるからです。

これまで、多くの方がおっしゃっておられますが~
神(ここで云う神)は、大海であり、その大海の一滴が私達一人一人(の魂)であり~
神は「想い」(愛)であり~
「想う」ことは、私達が神の一部(神自身)であることを思い出させてくれます。
「想う」ことで、私達は神(自然界)との絆を取り戻すことが出来るのです。。

「我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから当然だ・・
しかし、この方は何も悪いことをしていない・・
イエスよ、あなたが御国においでになる時には、私を思い出して下さい・・」

「はっきり言っておく・・
あなたは今日、私と一緒に楽園にいる・・」

私達は変われるのです! \(^-^)/


「私達を通して表れておられます、神の愛を愛し感謝します。
どうか、これからも必要な時に奇跡を起こすことが出来ますように。。
神には、すべてが可能です~
どうか、私達が真理に根差し、御心と共にありますように。。
受難といった形ではなく(笑)、御業が成し遂げられますように。。
私達は、神の愛により満たされています~
本当に、ありがとうございます!」




写真は、今年7月、山中湖にて~
湖畔で祈りを捧げましたところ、さっきまで晴れていたのに、突如、こんな状態に。。

「想い」は通ずるのです!

「祈り」は「想い」でもありましょう。。♪ヽ(´▽`)/