「私もイエス様と同じように苦しみたい(受難したい)~」
という声を聞いたことがありますが~
「イエス様は私達の代わりに磔になった(受難した)。。」とも聞いたことがあり~
敢えて苦しみを求める必要はないのかも?
と、思ったりもする。。
一応、私は、イエス様が元気に法則(真理)を伝えておられた時のお姿を参考する派です。
とはいえ、
私達は現在、敢えて求めずとも~お約束的に苦難が訪れる世界に存在していますが~
魂をもっと逞しく(豊かに)する為に、この世界を選んでやって来たのかもしれません。
苦難がなければ、私達の気付きはなかったことでしょう。
後に私達は、全ては幸いであったことを知るのかもしれません。
私は、
イエス様が最期に、おっしゃいました、
「成し遂げられた。。」
という言葉に、そういったニュアンスが含まれているようにも感じます。
受難(苦難)は、成長の過程で(成長に合わせて)、必然的に訪れるものと思われ~
ある意味、フツと湧く素敵なアイデアにも似ていて、紙一重的でもあります。
されど、ある程度、学びの性質(傾向)を掴まれた方なら、お分かりかとは存じますが~
同じ学び(苦難)のパターンでも方向性を選択することは可能だと思われます。
経験と内なる神性な哲学に従い、俯瞰して、または、大局的に見ることが出来る状態は幸いです。
「病は気から」
とは有名な言葉ですが~
それぞれの方に、学びの形(テーマ)がございますから、すべての方のケースに当てはまるとは申しませんが~
ちょっとした病は、心と関係していると思われ~
私達の細胞は、神の意識と細胞自体の意欲に従い活動していると思われますが~その肉体の操縦士の意識(心の状態)に従うことも当然としてあるようです。
学びの機会(メッセージ)と捉え、自身の心の状態や思い癖などの原因を分析~解明して、悪習(考え方)を改め~自身や周囲の後の変化(成長)に繋がった時、それぞれの苦難(受難)~労苦が報われるのかもしれません。
そして、
「あなたの罪は赦された・・」
という声を聞くでしょう。
イエス様的な?言い方をすれば、
「心を変えなければ治ることはない・・」
と、言えるのかもしれません。
ただ、
本当に芯(真)から変わらなければ意味はなく~
喉元過ぎたら何とやら~では、
再び、同じように苦しむのかもしれません。。
因みに、霊に憑かれるなどの現象も憑かれた?ご本人の心~真が変わることにより「治る」のかもしれません。
以上のこういった概念~思考は、「真理」からの促しであると私は考えます。
「真理」は、神の御心~神の意識であると思われます。
「真理」は、宗教などの金庫に仕舞い込まれてしまった為に、いかにも貴重で、一部の人々にしか触れることが出来ないかのような現状ですが~
「真理」は、宗教の特許でも道徳的心理でもなく~
私達が寝ている時も活動している時も、
普通に働いている~
生命を育んでいる理であり、思いの外、みじかなものだと考えられます。
「真理」は、一見、威厳に満ちた?窮屈な戒律的なものでもなく、もっと自由で豊かな法則性を包含しており~
それこそ、
「生命の科学」とも言えるのかもしれません。
ゆえに、
神と共にいることとは~
風に吹かれながら山野を歩くことと同じなのだと思います。
もっとも、「神」という呼び名が問題なのかもしれませんが~
(笑)
「あなたに、そのことを気付かせたのは、天の父である・・」
(笑)
どうか、
日本~地球のすべての民が本当の自己を見出し、自身のフィールドを楽しむことが出来ますように。。
誰もが真理を見出し、御心に沿うことが出来ますように。。
「心を変えなければ治ることはない・・」~
この世界の細胞たる私達一人一人が芯(真)から変わらなければ、治ることはないのかもしれません。。
一人一人が真理に触れなければ、本当の意味での進化した地球に移行することはないのかもしれません。。
どのような理屈を語ろうとも、真理に根ざしていなければ、やがては衰退して行くのかもしれません。。
神の祝福がありますように。。
「自分を愛してくれる者を愛したところで、あなた方にどんな報いがあるだろうか。。」
自分を愛してくれる(同調する)者が慰めで言った言葉が、どれ程の学びとなろうか。。
ゆえに~
正直、私は未熟なので、すべての人を助けることは出来ない。。と、思ったりもしますが~
今回、
私を蔑み、嘲笑う人々の為にもこの文章を書きました。
そういえば~
以前、箱根へ行った帰り道~
「あなたには(も)その権利があります・・」
という印象が湧き~
「私を図に乗らせて、どないしますのォ~
もしかして、低級霊?
(σ・∀・)σ」
とか思いましたが~
それは、
「真理に触れ、真理に根ざした者は皆、
伝える権利を持つ・・」
という意味だったのかもしれません。
真理に目覚め、真理に根ざした皆様~
行って伝えようではありませんか!
因みに、
私は、どこの宗教にも所属しておりませんが~
イエス様はその昔、宗教を興す為に、この世界に来られたのではなく、純粋に、人々の概念~価値観(心の在り方)を変える(人類の意識のレベルを高める)為に来られたのだと思っており、そこがポイントとなっております。
また、私達がUFO(宇宙の人々の乗り物という意味での)で、宇宙を飛び回り、宇宙というフィールドにて学び~他の惑星を援助したりすることが出来るのは、「真理」に根ざした人類(文明)の特権でもあるのでしょう。
「心を変えなければ治ることはない・・」~
「進歩」は、ある程度、ノリで行けるかもしれませんが~
「進化」は、ノリ越えた先にある結果です。。
※写真は、
映画「パッション」(メル・ギブソン監督作品)より拝借。
写真三枚目は、何度か載せております、
いつもの空間に現れた親びん雲♪(イエス様みたいな雲♪)