私は、いわゆる「見える人」ではないのですが~
思考が、「見えない何か」側へ重きを置いている為か?~
知覚的になって来たというのか?~
まさに、「意識するところから始まる」というか?~
近頃、物の見え方や気付き方が変わって来てしまっているような。。

先日、いつもな仏像さん達に手を合わせていると(宗教とかではなく、ご縁と親しみな感じで)~仏像さんのそれぞれの色が違っていることに気付いた。。

色が違うのは当たり前でしょうが~って?

あっ、色って、仏像さん自体の色ではなく、仏像さんを包んでいる膜みたいなやつ(淡い光)です。

また、昨日は、宵の口の薄暗い時に~
なにやら、横目に紫色っぽい淡い光の塊を感じたので(空に)、振り向いて、その辺りを見ていると~
いきなり、キラッとUFOさん現る!♪

一瞬でしたが、ありがとうの空~(笑)

「なんだか、恐ろしくなって来たぞ、井筒屋~」

「お代官様~お気を確かに・・大丈夫でございますよ、手前共がついてございますから~」

って、時代劇かっ!?(笑)

因みに、近頃、私自身の中の私自身(魂)が、この肉体の目を通して物をみたり、脳の機能を利用して活動したりしているんだなぁ~
と、敢えて意識することをして楽しんだりしている。。
(それも原因か?)

自ずと、他の生き物も(人間も)魂の存在であると感じて来たりする~
また、それだけに、他者などの(自分を含め)思考の偏りが浮き彫りとなり、ある種の苦痛を感じたりもする(笑;)

話は変わって~
山って、やっぱり、一番上(頂上)からエネルギーが放出されているように思う。。
偶然の形はなく、自然の造形には意味があるのだろう。

山は、様々な生命の想いの宝庫でもあり、そこから立ち上るエネルギーは、歓喜に等しく~
ゆえに、やたらに山に入ってはいけないとか(人間の自分都合な偏った意識が山のエナジーを乱すから、それが分かるシャーマン的な人しか入らなかった?)~山は、古より神聖視されて来たのかもしれません。

その原理を利用したのがピラミッドなのかもしれませんが?~
ただ、人工物と自然の物とでは、エネルギーの性質が異なることでしょうけれど。。

そういえば、最近、「光の柱」って、よく聞きますけど~
柱を立てる目的(動機)に合わせて、歓喜っていうのか?満たされている喜びみたいな、ありがとう的意識(想い)を共鳴させると、より一層光り輝く柱となるかもしれません~
なんて、知りもせんのにスンマソン~(笑)

※写真一枚目と二枚目は、以前に空に出た「山」の文字(2011年と13年)~
演歌のタイトルではありませんから~(笑)