言語の研究をやってまだそれほど経っていないのだが、
言葉というものの大切さや、難しさには、もうとっくに気づき、しみじみ感じていた。
それだからこそ、私には面白くて、日本語が大好きなのだ。
日本語を始めて、かれこれ9年経とうとしている。
その間はたくさんあったが、言葉の不自由というのをまだ感じたことがない。
が、昨日と今日の出来事で、その難しさに改めて気づかれた。
昨日の朝、目の前に立っているお客さんに、
説明しようとしていることが、どうしても言葉にならず、
母語話者ではないその無念さを、切なく感じた。
適当な言葉が見つからないのではなく、
考えていること自体が、日本語にならない。
今日、昨日のその件との関連で、店長に説明しようとしたところ、
いくら説明しても、結局も伝わらなかった。
その場にいた私はもう半分喧嘩するような声になって、
「何で伝わらないんですか」と言ってしまったぐらい。
気持ちは言葉にならないのでは、いつになっても伝わらないというのをよく耳にしているが、
口に出した言葉そのものが、伝わらないのは、初めて経験した。
いや、先日の奨学金の面接ですでに経験しているのかもしれない。
ただ、今回はまた状況が違う。
ごく簡単に考えれば、言葉の伝達には主に二つのことが関与している。
話し手の表現力と、聞き手の理解力。
もっと言えば、話し手の伝えようとしている気持ちと、
聞き手の理解しようとしている気持ちとの、
直接の接触なのかもしれない。
二つの気持ちがぶつかり、そして融合してはじめて、
伝達という行為が成り立つのだ。
が、現実はいつもそううまくいくわけではない。
話し手が一生懸命伝えようとしているのに、
聞き手は理解しようともしない。
あるいはその逆で、
聞き手はまじめに聞いて、理解しようとはしているのに、
話し手は適当に話したりする。
そのような場合、伝達がうまくいくはずがない。
さて、話は今朝の件に戻ると、
ノグチさんはもうすでにはっきりとしたメモを店長に残した。
読めばすぐにわかるようなメモなのに、
明らかに店長はそれをちゃんと読んでいない。
それでも良い。
が、同じことを言葉で伝えればいいだろうと思った私が、間違えた。
甘かった。
店長は人のことをちゃんと聞く人間ではないことを、
私はいつも忘れてしまう。
「△△さんに連絡したが、できないとのことだった。でも、○○さんだったら、できるかもしれないそうだった。それで、○○さんにまた連絡して、確認してまた連絡するということになった。確認の結果は直接ノグチさんに伝えたはずだが、その前に私は一回電話をもらった。できると言ってくれた」
二回ぐらい同じ言葉を繰り返した。
これでも、店長は「できないよ」って言い張っていた。
「何で前はできなかったのか」って言い続けて、今回もできるはずがないことを主張していた。
「前回のことはよくわかりませんが、昨日の電話でできるってちゃんと言ってくれました」。
と、私はそれきり言葉を発するのを諦めた。
悔しいというか、切ないというか、とても複雑な気持ちだった。
私にとっては、人との交流は、永遠に大きな課題なのかもしれない。
言葉というものの大切さや、難しさには、もうとっくに気づき、しみじみ感じていた。
それだからこそ、私には面白くて、日本語が大好きなのだ。
日本語を始めて、かれこれ9年経とうとしている。
その間はたくさんあったが、言葉の不自由というのをまだ感じたことがない。
が、昨日と今日の出来事で、その難しさに改めて気づかれた。
昨日の朝、目の前に立っているお客さんに、
説明しようとしていることが、どうしても言葉にならず、
母語話者ではないその無念さを、切なく感じた。
適当な言葉が見つからないのではなく、
考えていること自体が、日本語にならない。
今日、昨日のその件との関連で、店長に説明しようとしたところ、
いくら説明しても、結局も伝わらなかった。
その場にいた私はもう半分喧嘩するような声になって、
「何で伝わらないんですか」と言ってしまったぐらい。
気持ちは言葉にならないのでは、いつになっても伝わらないというのをよく耳にしているが、
口に出した言葉そのものが、伝わらないのは、初めて経験した。
いや、先日の奨学金の面接ですでに経験しているのかもしれない。
ただ、今回はまた状況が違う。
ごく簡単に考えれば、言葉の伝達には主に二つのことが関与している。
話し手の表現力と、聞き手の理解力。
もっと言えば、話し手の伝えようとしている気持ちと、
聞き手の理解しようとしている気持ちとの、
直接の接触なのかもしれない。
二つの気持ちがぶつかり、そして融合してはじめて、
伝達という行為が成り立つのだ。
が、現実はいつもそううまくいくわけではない。
話し手が一生懸命伝えようとしているのに、
聞き手は理解しようともしない。
あるいはその逆で、
聞き手はまじめに聞いて、理解しようとはしているのに、
話し手は適当に話したりする。
そのような場合、伝達がうまくいくはずがない。
さて、話は今朝の件に戻ると、
ノグチさんはもうすでにはっきりとしたメモを店長に残した。
読めばすぐにわかるようなメモなのに、
明らかに店長はそれをちゃんと読んでいない。
それでも良い。
が、同じことを言葉で伝えればいいだろうと思った私が、間違えた。
甘かった。
店長は人のことをちゃんと聞く人間ではないことを、
私はいつも忘れてしまう。
「△△さんに連絡したが、できないとのことだった。でも、○○さんだったら、できるかもしれないそうだった。それで、○○さんにまた連絡して、確認してまた連絡するということになった。確認の結果は直接ノグチさんに伝えたはずだが、その前に私は一回電話をもらった。できると言ってくれた」
二回ぐらい同じ言葉を繰り返した。
これでも、店長は「できないよ」って言い張っていた。
「何で前はできなかったのか」って言い続けて、今回もできるはずがないことを主張していた。
「前回のことはよくわかりませんが、昨日の電話でできるってちゃんと言ってくれました」。
と、私はそれきり言葉を発するのを諦めた。
悔しいというか、切ないというか、とても複雑な気持ちだった。
私にとっては、人との交流は、永遠に大きな課題なのかもしれない。