動物愛護の小説サイト

動物愛護の小説サイト

動物愛護の小説を掲載しています。主に、食肉産業について、著述しています。どのテーマでも、一筋縄ではいかぬ「食肉産業」に対し、立ち上がる使者たちが、描かれています。

動物愛護の小説を掲載しています。主に、食肉産業について、著述しています。どのテーマでも、一筋縄ではいかぬ「食肉産業」に対し、立ち上がる使者たちが、描かれています。


一
実質的な学校長の監視にまで、地域PTAの権限を高めるとなると、それらを完全に統括し、北条の掲げる、徳治のもと、信条をPTAに頒布すべく、定期的な密な会合と、管理人員の入れ替えと新たな人員の追加を目指していた。そんななか、PTAの母体が父親でなく、母親が多いことが気になった。女性主体の団体。日本は敗戦後、女性の社会的ステータスが戦前と比べると圧倒的に上がってきている。北条は、ここで疑問符を打った。彼女たち女性の層は30代から40代。
戦後民主主義とフェミニズムは彼女たちを保護した。しかしながら、この女性の社会進出の流れは果たして、正当な時流を汲んでいるものなのか、答えは、ノーであると北条は考えていた。1925年、第二次世界大戦突入前、大正デモクラシーの気運が相容れて、普通選挙法が実現した。この法律に女性の選挙権は無かった。当時、女性参政権の獲得に向け、現代において、社会科の教科書にも名を連ねている、市川房枝、平塚らいてう等の女性が中心になって、活躍していた。もちろん、史上に載らないでも彼女達よりも活躍した女性が多数いたかもしれない。その後、大正デモクラシーは、一転し、軍国主義へと潮流が一変すると、結果、1945年、第二次世界対戦の敗戦まで、女性は参政権を得なかった。そして、女性参政権の獲得。世相は当然に大きく変わった。

二
戦後、GHQの占領政策において、女性開放は専ら、アメリカ主導の彼らの文化の押し付けであると単純に推察するならば、彼女たちはかつて、育んできた日本的な文化を土壌にしない、アメリカ発のウーマンズ・リベレーションを受け入れることとなった。それでも女性にとって、優位なこの思想の伝播と法整備は着実に日本社会に浸透するに至った。ところが、これらの伝播は、アメリカ文化流入前の大正デモクラシーの女性開放路線とは一線を画すことになる。戦後、女性指導者達がどう運動したかは問題ではない。問題は、もともと、日本発の流れを組んだ(当然に文明開花よりの欧米文化の影響こそ受けているが)、大正デモクラシーの潮流のうえでの女性の社会的ステータスの向上が果たせなかったことであると、北条は考えていた。日本文化を考慮した、日本文化に根付いた、日本女性開放運動が、微々たる動きでも確かなかたちで社会に根付くべきであった。他文化のお仕着せの女性の社会進出では、日本社会は当然にうまく機能しない。そして、日本社会は、もう既に、この歪んだかたちの集大成たる、男女共同参画の法整備のもとにずたずたにされつつあると北条は考えていた。また、戦前の男性主導の家族構成はなくなった。そして、一見すると、父権という威圧と暴力が支配する家族関係がなくなったかのように見えたが、現代日本社会において、影に秘め、世間に知れることなく、DVと幼児虐待が蔓延しつつある社会現象が露呈されてきている。

三
母親たちはそんな社会情勢のなか、自分の子供を第一優先に考え、他者を顧みず、他者の子供を顧みず、学校との確執を深め、市場原理に基づいて、市場を独占支配しているメジャー企業系列の学習塾もしくは、将来への投資としての英会話や習い事の一切に頼り、また、金銭を武器に自分の子供を優遇してくれる私立の、さして公立学校と変わりない人員の管理による学校への入学を決めて、神経を磨り減らしている。PTAの改革はそんな学校と父母との溝を埋めるのに役立つと考えていた。彼女達に、本来あるべき、日本文化に根付いた、日本女性に意義のある社会進出のあり方を説くのにあたり、北条は、当初の予定どおり、彼の当選メンバーのうち、最も優秀な女性議員をその役に立て、PTAの再建の任を任せるに至った。

四
彼女は社会的に意欲的であった。彼のメンバーに加わったときの彼女はこう話していた。自分は、田畑、小川が埋め立てられ、川が汚物で汚され、小さな生き物たちが死んでいくのが嫌だった。郊外で育った彼女は、一通りの開発を終えた、河川敷で定期的に、メンテナンスと称して、雑草が乱暴に機械でむしり取られ、そのなかに生命を宿している、バッタやカマキリやコウロギや蝶々が殺されるために生まれてきている有様を見て、嘆いていた。なぜ、生き物が生きているのに雑草を狩るのと、なぜ、そのことが分かっていて、また雑草を生い茂らせ、刈り取ったあと、人工的なコンクリートに置き換えずに、中途半端に自然と人工と融合させるのと、コンクリートを芝生に置き換えるのも意味がない、人工の芝生でいいとはっきりと言った。そして、小さな声で、人間は自然や生き物と一緒に共存する資格なんてないとつぶやいた。彼女は、子供のときの記憶でなく、大人になってからも変わらないやさしい知覚を忘れないでいたから、北条はその台詞をよく覚えていて、彼女の目も見ずに小さく、かすかに頷いたのを覚えていた。

五
彼女は、早く、且つ正確に任をこなした。PTAの親たちの層を入れ替えるべく、区全域の町内会のネットワークを使い、人選に役立てた。実際に地域の母親と子供たちと親睦する機会を地区ごとに設け、身近な生き物に優しい子供たちと、それを尊重する母親のネットワークを生み出した。生物に思いやりのある子はいじめにも加担しない。そういうキャッチフレーズのもとにPTAを一新する。彼女は、人選した母親たちを、PTAの新メンバーとして、管理側に登用できるように働きかけることに成功した。彼女は、この任をこなしながら、女性ならではの念願を叶えようと北条に内密に働いていることがあった。議員を2年から3年で引退し、自分の作った母親たちのPTAのネットワークを使い、平成新婦人協会の設立を目論んでいた。彼女の目論む平成新婦人協会は安いフェミニズムにも、既存のウーマン・リベレーションにも由来しない、彼女独自の発想と北条の理想を織り交ぜたものだった。例えば、働かないで家事手伝いをする女性への経済的な支援制度、世に蔓延るAVの全面廃止、性風俗の新しいかたちのサービスへのスライド、女性に対するバイオレンス、ハラスメントの絶対排除、盗撮や暴力的でない女性への性的嗜好に対する規制緩和。彼女はバランスを重んじて物事をとらえることが巧みだった。女性として、憎むべきは性的なものそれ自体よりも、嫌がらせや暴力であった。そして、性的なものに由来する社会的な視線と関係性にあった。世に知られることが恥ずかしいことであるという、性教育に由来していることを的確に認識していた。市場原理が左右する経済に生きる現代女性は、社会的な組織の枠にはめられて、教育とメディアに圧倒的に洗脳された状態であることを自認できずに、墜落している。日本女性の墜落は、世界的に客観視することで容易に把握できるのにも関わらず、社会はそれを頒布しようとはしない。そして、大海原と思い込み、社会に出て、活躍しているつもりになっている、彼女は、そう、現代女性を捉えていた。危機的な状態であると。歴史的にどの史観でみようとも、現代は女性にとって生きやすくなっているが、これこそ、現代女性の陥っているジレンマであると、そして、平成新婦人協会への礎を築き始めた。