名鉄揖斐線 (岐阜県/忠節-本揖斐) その5 | 廃線跡訪問記 ブログ版

名鉄揖斐線 (岐阜県/忠節-本揖斐) その5

●「どおりで立派な駅だ・・・」と思ったらここは揖斐線の前身、
「岐北(ぎほく)軽便鉄道」発祥の地でもあっただった駅でした。
この「美濃北方駅」で進捗度は全体の約1/3(駅数では約半分)まで
到達しました。でもまだあと2/3先は長いです。では続きをご覧下さい。
 
「美濃北方駅」跡・全体像(奥が忠節方面)。立派な駅だったというのがもう一目瞭然ですね。
 
立派なトイレまで残っています。さすがに覗きませんでしたが(笑)。というか・・・
その奥に見えるアレ、自転車置き場ではありませんねぇ?まさか、ち、「地下道」!?
 
写真は「ホームで列車を~」シリーズのようになっていますが、実は視線は
その「地下道」の位置を追っています(笑)。アレ、やっぱり地下道ですわ~😝
 
ということで確認に来ました。いやはや、立派だ立派だとは思っていましたが
まさか地下道まであるとは想像もつきませんでした。しかし使用禁止の張り紙が・・・
 
無いということは、今も「現役で使われている」という考えでOKでしょうか?
で、階段を降りてみると・・・ぐはー、普通に照明が点いてるじゃんw 現役ですわ😍
 
今度は本揖斐方面を見て駅全体像を撮影しています。失礼ながら、
これほどまで立派な駅に出会えるとちょっとは想像していませんでしたわ。
 
「2番線」は上り線です。当然ながら奥の「1番線」はその逆。
それにしても、これほどまでの駅が何故廃駅に?という心境です。
 
上り線ホーム側から本揖斐方面を見ています。乗客はこの通路を渡って往来したようです。
 
では名残り惜しいのですが、そろそろ駅を出発しましょう。
駅を出ると川を渡るため、すぐに高度を増し築堤となっていきました。
 
「糸貫川」です。川の幅はこれだけですが、この後も築堤はまだ続き、
ナント全長では500mほどの築堤が延々続きます。何故なのか。実は・・・
 
この「糸貫川」、かつては数百メートル級の河川敷を持つ大河でした。
そのために高い位置を保ったままこのエリアを通過、その名残りだったのです。
 
「糸貫川橋梁」西側の築堤上へ登り橋台跡へ来ました。
ガーターは撤去されてしまいましたが、それでも雰囲気は十分です。
 
振り返って先を見ます(本揖斐方面)。先程も言ったように長い築堤が続いていますが、
この付近は以前は河川敷で、場所は不明ですが築堤ではなく鉄橋が架かっていた筈です。
 
ではこの付近の空撮を見ましょう。一目瞭然ですね。川はすでに整備され水はありませんが
大きな河川敷だったことが分かります。ひょっとすると更に昔はもっと大きかったのかもしれません。
 
築堤上を進んできました。ここで県道とぶつかり一旦途切れます。
何やら工事をしていましたが、まさか、壊してるんじゃないよね!?
 
更に進み、今度は「樽見鉄道」とのオーバークロス地点へ来ました。
実はここは1944年休止の「八ツ又駅(写真右側)」跡でもありました。
 
築堤上へ移動しました。手前の左手にややスペースがありますが、
ここが「八ツ又駅」跡でした。位置的にはホーム先端部分となります。
 
「樽見鉄道」とのオーバークロス部分です。長かった築堤部分もここで
ようやく終了、この先はゆるやかに右カーブしながら地上へ向かいました。
 
その5は以上で次回は3つ先の駅、「下方(しもかた)駅」までを辿り、ようやく終盤戦入りです。