萩史・46億年(第三回)
(第三回) 更新、遅れて申し訳ありませんでした。 三週間の入院生活で、少し継続の意欲が落 ちています。改めてぼちぼちと復活です。◎透明という色を描いてみたい (エッセイ集)第三回・村上宗隆選手への期待 遠い昔、小学生の頃は野球少年だった。放課後はほとんど同級生や近所の子供たちとゲームを楽しんだ。友達が見つからず一人の時は、隣の4階建て市営アパートの壁を相手に一人キャッチボールだ。一階の管理人だった、確か「原さん」の奥さんにうるさいと何度も怒られた。それでも私はやりつづけた。原さんはいつしか転居している。今になって60年後になって、原さんへは本当に申し訳なく思っている。絶対にイライラするほどうるさかったはずだ。通りですれ違えば、笑顔をくれたり、ほんとうにありがとうございました。 この頃は金田正一投手(国鉄スワローズ)の熱狂的ファンだった。風呂屋へ行って、下駄箱の34番が空いてなければ、一回り時間を潰して、空くのを待って、それから風呂屋へ入った。それにしても金田正一のファンとは、悲しいものである。当時、巨人全盛、金田の国鉄は万年最下位の弱小球団、今の私のちょっとゆがんだ性格、この頃の負け犬根性が根本をなしているのだろう。 20歳を過ぎてから、私はアメリカ生活をはじめた。となれば、とにかく大リーグ野球に熱を入れた、ニューヨークに在住の頃、年間に70試合ほど、野球観戦に出かけた。ニューヨークで、アメリカンリーグにヤンキース、ナショナルリーグでメッツがあった。二球団あったから、ニューヨークの主催ゲームが150試合ほどになり、その半分ほどをかんせんしていたことになる。大リーグ野球の歴史を調べ、歴代大リーグ選手の全員のデータをパソコンに打ち込んだりした。黒人初の大リーグ選手となった「ジャッキー・ロビンソン」の物語を書いてもいた。 私は20年間以上のアメリカ在住であったから、日本野球とは全く疎遠になっていた。48歳で帰国して、以来日本定住をしている。日本野球を見てはいたが、あまり熱が入らない。やっぱり私にとって、「野球は大リーグ野球」なのである。わたしにとって、日本野球は大リーグ野球の二軍くらいの認識であった。 ほどほどインターネットで野球情報をチェックしていたが、関心はずいぶんと薄れていた。で、去年の2022年、私は魅了されてしまった。村上宗隆選手(ヤクルトスワローズ)に・・・ 私が村上選手に注目し始めたのは、2015年夏の甲子園に出場したときから(九州学院・3年生)だった。その頃、同学年の清宮幸太朗(早実高)が歴代高校生一位の通算一位のホームラン数をもって圧倒的な人気、注目度を得ていた。私の性格は何につけ二人を並べて地味な控えめの方に応援する傾向がある。「村上君頑張れ、プロに入ったら、対場逆転してみせろ」といった応援だ。プロに入れば、あれよあれよという間に追い越し、逆に村上君が清宮選手へ圧倒的な差をつけていった。なんか私は自分のことのようにこの逆転現象に嬉しくなっていた。 そして2022年、村上宗隆は、野球を見ない人々をも巻き込み、日本の国事というほどの大活躍をしてみせた。王選手の日本人シーズン最多ホームランを抜く56号ホームランは国民誰しもが知る偉業となった。私は、55号から長く新記録更新がならず、シーズン最終戦、それも最終打席で、ホームランを放ったその一振りが忘れなれない。投球が(DeNA、入江大生投手)がバットに当たった瞬間、たしかに球が古い電球が弾けて粉々に破れ散るようだったのだ。このシーズンを見ていて、金田投手以来本当に久々の熱中できる野球選手を得た私だった。本当に、村上さん、ありがとう。また、野球が好きになってきました。 村上選手、大失速、強度のスランプ期間を迎えるのです。シーズンオフになって、遊びすぎました。テレビ、ユーチューブに出ずっぱり、女性ゴルファーとのデート報道も出て、体の休まる暇もなかったでしょう。23歳の若者が天下を制して、そのシーズンオフに羽目を外すのも仕方のないことかもしれない。 そして心の休養がとれぬまま3月からWBC(ワールドベースボールクラシック)への参加。ここで大不振、準決勝・決勝で復調、どうやら面目を施したが、弱冠23歳代表の主砲を担い、この期間の気苦労は大変なものであったろう。私には私見がある。大人になってずっと大リーグ野球で過ごしてきた影響だろうか、WBCにあまり意義を見いだせない。世界一は大リーグ・ワールドシリーズ優勝球団である。WBCに優勝したって、世界一はやっぱりワールド・シリーズ優勝球団である。そこに微塵の疑いを挟まない。だからWBCに選出された選手たち、適当にお祭り気分でWBCを戦ってほしいのである。 村上選手はどうだったか、大会中の不振に、責任もろかぶりのように悩み、もがいてしまった。ただただ精神的に疲れ得る大会になってしまった。もう一度いう、WBCは単なるお祭り大会(アメリカ国民の誰もがそう思っている)なのだから、打っても打たなくても、基本、楽しくやってくれればよかったのだ。 疲弊が払拭されぬまま、2023年のペナントレースに入った。開幕第一戦の第一打席にホームウラン、さすが「もってる村神様」であった。チームも連戦連勝、いい感じだった。ところがあに図らんやというべきか、村上選手は絶不調に陥り、チームも連戦連敗。打率は1割5分あたりをうろうろで私はおもった。「高津監督よ、村上君を故障者リストに入れて、二週間くらい二軍へ落としたら」と。その間、野球から離れてなんにもせずにゆったりと暮らせばいい。しかし高津監督は打順4番で続けた。 6月11日現在、58試合を消化して、村上選手は打率2割3分、打点34,本塁打11と打率はともかく数字はそんなに悪くない。腐っても鯛か、私にはまだ、こんなことを言ってる余裕がある。 だが待てよ、村上宗隆へ究極の期待はどこにある? 昨年に私は悩んだ、①日本球界にとどまって王貞治さんの通算868本塁打の記録を書き換える。②大リーグ野球で日本人初のホームラン王をとる。で、今になっての結論は②である。野球の花はなんといってもホームランであり、それはアメリカでも日本でも変わらない。ぜひ大谷選手任せにしないで、村上選手もそこへ向かって邁進してほしいと思う。年俸も日米に大きな隔たりがある。アメリカへ行って、好きなだけ稼いでくればいい。こんなところで足踏みしている場合じゃないぞ、たのむぞ、村上宗隆よ。 ◎萩へ長州へ、遊びに来ませんか 高杉晋作編 誕生地 東行庵墓地 胸像 萩南古萩町 下関吉田町 下関唐戸市場 萩博物館館内 東行忌150回忌 銅像 萩城下堀内 東行庵吉田町 下関火の山公園尊敬する歴史上の人物とはと問われれば、「高杉晋作」と応える。現今、萩地域で吉田松陰と共に人気の双璧(とはいえ、松陰はダントツ)、良くも悪くもヒッチャカメッチャカ、この人物へ時に辟易しながら、結局、大好き。「功山寺の挙兵」は私が最も評価する歴史事件。◎大河連載 地球46億年のあゆみ ●第二次としての出アフリカ 「二十万年前頃(四十万年前頃ともいわれる)にホモ・ハイデルベルゲンシスを進化させてホモ・サピエンスが誕生している」とさきに記述した。誕生地は特定されており、オモ・キビシュである。この地において、ホモ・サピエンスと認定される人骨二体が発掘されていることを主因としている。オモ・キビシュ地域はエチオピア国内に在し、アフリカ大陸の中央部東側に位置する。上にスーダン、左に南スーダン、右にソマリア、下をケニアに囲まれている。「オモ・キビシュ」とはオモ川流域のキビシュ地域という意味である。オモ川は地図上で下方(南方向)へ流れ、ケニアのトゥルカナ湖に注いでいる。この湖は、一九八〇年代に西岸から百六十万年前頃と推定される少年の骨(トゥルカナ・ボーイ)が発掘されていて、人類化石に貴重な土地でもある。やがてホモ・サピエンス(オモ・キビシュの主体族)はオモ・キビシュを北上し、十六万年前頃に、ヘルト地域で定住を始めた。ヘルト地域は現在のエジプト国内に在り、首都アジスアベバの北東、紅海の出入り口、アフリカ大陸とサウジアラビア大陸が再接近する位置だ。ヘルト地域で数万年を過ごしたホモ・サピエンスは、やがて本格的な「出アフリカ」を開始。これは約百八十万年前、ホモ・エレクトスが史上初の「出アフリカ」を果たしているから、今回のホモ・サピエンスによる出アフリカは「第二次出アフリカ」と呼ばれる。 「第二次出アフリカ」を語るに、避けて通れない論争が存在している。「アフリカ単一起源説」と「他地域進化説」だ。前者によれば、新人(ホモ・サピエンス)はアフリカに由来し、ヨーロッパ、アジア、オーストラリアへ進出していった。その際先々の地域において、先住民である原人ないし旧人との混血はなかったということなのだ。この説の根拠は、ミトコンドリアDNAを分析した結果である。一方後者は、アフリカ、ヨーロッパ、アジアのそれぞれの地で、複数の人種混合があって、原人から旧人へ、さらに新人へと繋がっていった。推測に「流れ」があり、この主張は多くの形態人類学者によって支持されていた。しかし、ミトコンドリアDNA分析の普及が進むにつれ、アフリカ単一起源説が次第に優勢となっていったのだ。 本書はこれより何世代も掛けて世界各地へ拡散してゆく「第二次出アフリカ」を記述していくが、なにぶん遠い昔のことである、一本化された定説などあり得ない。そこでホモ・サピエンスの拡散を『週刊・地球46億年の旅・全50号(主に43号)』(2014年12月14日発行)をよりどころにして記述を進めていくことにする。 ●世界の隅々へ拡散 前述しているホモ・サピエンスの足跡を整理しておこう。 ○約20万年前頃にホモ・ハイデルベルゲンシスを進化させてホ モ・サピエンスが誕生。 ○誕生時の定住地はオモ・キビシュ。移住のためこの地を北上し、十六万年前頃にヘルト地域で定住を始めた。ヘルト地域は現在のエジプト国内に在り、首都アジスアベバの北東、紅海の出入り口、アフリカ大陸とアラビア半島が再接近する位置である。 そこから十万年前の頃、ホモ・サピエンスは紅海の最上部地域で定住を始めた。この地はアラビア半島北部(イスラエル・ヨルダン・レバノン・シリア・イラク)に横たわっていた。東にアジア、西に地中海、南にアラビア半島そして北にヨーロッパで囲まれた地域だ。ホモ・サピエンスにとって追分となる地点(紅海の最上部地域)で、二派が生じた。東南アジア方面へと向かう一派と、西へ進みヨーロッパ方面へ踏み込んでいった一派だ。 先に出発したのは東進派と察せられる。約七万年前にはヒマラヤ山脈東端を背にしたミャンマー(旧ビルマ)、及びインド東方地域に到達している。一方の西進派は、数万年ほどその地にとどまって、やがてヨーロッパ西部(フランス、スペイン)へ約四万年前に到着している。約四万年前といえば、東進派はさらに二派に分かれて、遙かオーストラリアや中国、さらに日本へ足を踏み入れている頃である。 西進派は、一部中央アジアに向かってはいたが、大半はフランス・スペイン地域に踏み入り、そこで進行を打ち止めにしている。この頃、スカンジナビア半島やフランス上部、及びグレートブリテン島地域は氷床や永久凍土の不毛地帯であり、足を踏み入れることが出来なかったのだ。 比して東進派はとどまるところを知らず、さらに三万年も四万年も費やし、何世代をもかけて、世界拡散を継続していった。 約七万年前にはヒマラヤ山脈東端を背にしたミャンマー及びインド東方地域に到達していた一派は、定住して生活活動範囲を広げるうちに、広大な平野を見つけた。タイランド湾から南シナ海に没した海底地域であり「スンダランド」と呼ばれるところであるが、現在では水没されていて、跡形もない。七万年を前後した頃はヴェルム氷河期にあって、海面が百メートルほど低かったから陸地化されていたのである。 彼らはその地を基地として、丸木舟を駆使しながら頻繁に周りの島々へ遠征しており、やがてついに、四万五千年前頃、オーストラリア大陸へ足を踏み入れた。その頃、インドシナ半島とオーストラリア大陸の間は、飛び石のあとのように点々とする島群があって、海上からの進行を可能としていた。東進派は約七万年前に、ミャンマー(ビルマ)及びインド東方地域に到達していると前に記述した。 この地域で、新たな道を切り開こうとした二派が生じた。一派は前述したオーストラリア大陸への進出派である。ならば別の一派といえば、シベリア方面へ北上してゆくのであった。 シベリア北上一派の本拠地は、周口店(中国)からマリタ(シベリア)へ至る地域であった。四万年前頃にマリタ地域を離れ、シベリア奥地へ入り込み、二万五千年前頃にベーリング海峡へ到達。一万三千年前までに地球寒冷化の影響を受けて陸地化されていたベーリング陸橋を渡り、そしてアラスカ経由からアメリカ大陸へと辿り着いた。さらに中央アメリカを通って、一万二千年前頃には南アメリカにも定住の地を得ていたのである。第一次出アフリカが百七十万年以上掛けても果たせなかった世界拡散を、この度わずか六万年間足らずで完遂させたのだ。 なるほどホモ・サピエンスが世界各地へ拡散していった分布図は圧巻だ。これまで述べてきた諸ルートに加えて、さらに四千年前頃にニューギニア、ミクロネシアへ渡った一派も出現している。この派は太平洋南部の諸島伝いにメラネシア、フィジー、トンガへ、そして千五百年前には南アメリカ大陸を間近とするイースター島に到達しており、ハワイ島さえも、この一派が千四百年前頃に辿り着いているのだ。 ●人類の一本化 現今、地球上のありとあらゆる場所に見受けられる七十億人の現生人類は、肌の色の違いに関係なく、すべてホモ・サピエンスに属している。これが現在における大本命の定説である。 人類の一本化・・・ホモ・ハビリスや、ホモ・エレクトス、ホモ・ハイデルベルゲンシス、ネアンデルタール人、あるいは世界各地に点在していたはずの無名な人類(人骨化石が未だ発見されておらず、人知れず古い地層に埋没されている)たちはすべて絶滅し、新たな人類も出現していない。人類はホモ・サピエンスのみに一本化されており、現在へと続いている。昨今主流となっている「アフリカ単一起源説」は、これらの定義に裏打ちされているのだ。 ならば単純な疑問が一つ沸き上がる。白人・黒人・黄色人種、この肌色の違いはどういうことなのだろう。そしてその外形、鼻とか唇とか。 この疑問には明快な回答があるのだ。鍵となる言葉は「メラニン」。肌色は皮膚の表皮深層にあるメラニン色素の量により決まるが、これは太陽光中の紫外線にたいするフィルターの役割をなすもので、熱帯地方の住民では長年の自然淘汰の結果メラニン量が多く、色が黒くなっている。 ホモ・サピエンスがアフリカ地域で誕生した当初、肌は黒色に近い茶色だったと推測されている。アフリカにとどまり続ける一派はなお黒くなってゆく。アフリカを離れて低温地域に拡散していった一派は、その定住地の気温が低くなればなるほど、肌の色が白色化していったのだ。つまり肌の色は気温がすべてを語っていると云って差し支えない。 このような地理的多様性における人種形成の差異は唇の厚さ、あるいは鼻穴の膨らみ具合などにも説明がつくのである。アフリカに定住する一派は、おおむね唇が分厚く、鼻穴が広い。これは体内温度をより下げやすくさせるためなのだ。勿論、ホモ・サピエンスの世界拡散が苦も無く成し遂げられたはずもない。約十万年前から約四万年前後の期間、未だ氷河期のまっただ中、寒い。 こんな話がある。『アフリカで誕生した人類が日本人になるまで(溝口優司著)』からの抜粋だ。「十万年前頃、イスラエルのカフゼー地域に現れたホモ・サピエンスは、三万五千年前までにはヨーロッパに到達していたようだ。ただし、ヨーロッパに現れたホモ・サピエンスが、イスラエルにいた人類の末裔かというと、それがはっきりしないのです。というのも、八万年前頃を境にイスラエル近辺からホモ・サピエンスは姿を消し、代わりにそれ以降五万年前頃までは、ネアンデルタール人が棲息していたらしいからです」と。この記述から興味を引かれることは、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人との関わり合いである。両者、ゆくゆくはヨーロッパ地域で一時世代を共存した関係に発展していったような形跡がある。 同書はさらに言い及んで、 「頑丈型の猿人、パラントロプスが栄養価の低い粗食を食べることに完璧に適応してしまったが故に滅びたように、ネアンデルタール人もまた、寒冷な気候に体で適応してしまったがゆえに、滅びたのかもしれません。私たちの祖先ホモ・サピエンスは体が寒冷地適応していなかったために寒さをしのぐ必要にせまられて道具を発達させ、それによって知能が発達して、さらに別の道具を作り、ということを繰り返したのでしょう。そしてもっと寒い地域にも住めるようになっていったのでしょう」と、何か「コツコツと苦労していった者が生き残ってゆく」とイソップ(アリとキリギリス)の世界を漂わせている。 興味深い事実が一つ、現生人類につながるホモ・サピエンスとの比較において、ネアンデルタール人の脳容積の方が大きいということだ。ネアンデルタール人が平均千五百立方センチメートルで、一方ホモ・サピエンスは平均千三百〜千四百程度である。頭はネオンデルタール人の方が良いはず・・・人類の生き残り、あるいは絶滅はただ単に知能の優劣だけにあるのではなく、いろいろな環境の綾に左右されているということなのであろう。 現生ヨーロッパ人と呼ばれている、つまり「クロマニヨン」とは、ホモ・サピエンスがヨーロッパや中近東に定住したいわばローカル名であり、つまりホモ・サピエンスそのものなのだ。 ネアンデルタール人は約二十万年前に、クロマニヨン人(ヨーロッパへ渡ったホモ・サピエンス)は約四万年前にそれぞれ出現していて、一万年間ほど並存していたとみられる。旧説ではネアンデルタール人の持つ遺伝子が突然変異して進化したことにより、クロマニヨンが出現したとされた。しかし現在の定説において、その遺伝子的直系性は否定されている。ネアンデルタール人化石のDNAを調べたところ、人類との直接血縁関係は大旨に否定されたのだ。「似て異なもの」、もしネアンデルタール人が絶滅せずに現在へと存在したと仮定すれば、「ヒト」に属しても、人間とチンパンジーの中間に位置する存在になると考えるのが妥当なところのようだ。 ただし現代人大半(ホモ・サピエンス)のDNAにはネアンデルタール人由来のDNAが一〜四パーセント含まれていることも報告されている。つまりクロマニヨンとネアンデルタール人との間で異種交配があったことの名残りと考えられるのだ。この事実は、互いの生活圏が交差した時期があり競合があり、そしてどこかしらの支配・融合があったことを示唆しているといえよう。 思い起こせば溝口氏が「八万年前頃を境にイスラエル近辺からホモ・サピエンスは姿を消し、代わりにそれ以降五万年前頃までは、ネアンデルタール人が棲息していたらしいからです」と記述したことを踏まえて、一旦はネアンデルタール人が生存競争に優勢だった時期があったのかも知れない。 ネアンデルタール人、彼らはヨーロッパを中心に暮らしていたが、二万数千年前に原因不明で忽然と絶滅していった。この時期、ヨーロッパを席捲していったのはアフリカから後続してきたクロマニヨン人だったのである。ネアンデルタール人は採集狩猟民族だから、食料が激減した氷河期を生き残れなかったという説がある。一方には、クロマニヨン人によって滅ぼされたという説も可能性として捨てられていない。確かにネアンデルタール人の頭蓋骨には武器闘争によって生じたと思われる痕があって、その治療形跡もあり、この説の拠り所となっている。「滅ぼされた」という言葉では強すぎるとして、「混じり合い」と言い換える説もある。ネアンデルタール人がクロマニヨン人に吸収され、そして淘汰されたという意味合いだ。日本における「縄文人と弥生人」の関係のように。 クロマニヨン人は、アフリカからヨーロッパ大陸へ進出したホモ・サピエンス属で、現代ヨーロッパ人の直接の祖先とみなされている。彼らは精巧な石器や骨器などの道具を製作して狩猟採取生活を営んでいたようだ。優れた洞窟壁画や彫刻を残し、死者を丁重に埋葬し、また呪術を行なった形跡もある。 現在において、ホモ・サピエンス(現生人類)は「コーカサス」「モンゴル」「エチオピア」「アメリカ」そして「マレー」の五人種に分けるのが一般的だ。これは十八世紀後半に「人類学の父」と謳われたドイツ人医学者(比較解剖学者)ヨハン・フリードリヒ・ブルーメンバッハによって提唱されて後のことである。その上でごく最近の傾向として、人種を三つに分け、「コーカソイド(白人)」「ネグロイド(黒人)」そして「モンゴロイド(黄色人種)」と呼ぶ分類法が主流となり、さらに直近の情勢として、このような呼称をやめ、「ヨーロッパ人」「アフリカ人」そして「アジア人」と呼ぶのが多数派となり始めてきた。 人種として「クロマニヨン人」に対比して使われる「モンゴロイド人」について記述を進めてゆこう。 ホモ・サピエンスが東進してゆく一派に、シベリア方面へ進出していく分派があったことは前述している。この流れを汲む派はさらに進んで東南アジア・東アジア方面へ向かう一族を派生させた。ヒマラヤ山脈とアラカン山脈の間に横たわる麓に位置している地域だ。立地条件が天然の要害のようで、中東・インド亜大陸の人々との交流を持つことなく、独自の遺伝的変異・環境適応を成し遂げることとなったのだ。この人種がモンゴロイドである。人類学上においてモンゴロイドは、東南アジア・東アジア方面に定住する一派を「古(南方系)モンゴロイド」として、シベリアに定住する一派を「新(北方系)モンゴロイド」と区別されている。モンゴロイドの一部は、四万年前を前後して、現在の日本地域にたどり着く。ホモ・サピエンスに属さない原人(原住民)は五十万年前すでにこの日本地域に住んでいたという有力説もある。もちろんその種は絶滅していて、ホモ・サピエンスとは何の繋がりもない。 実は、人類がアフリカからユーラシア大陸広域に大移動を始めた頃には、地球は氷河期真っ只中にあった。これがヴェルム氷河期であり、約七万年前に始まって約一万年前に終わった地球最新の氷河期である。私たちが生きる現在はヴェルム氷河期と次の氷河期のあいだの間氷期にあたり、この間氷期は一〜二万年と比較的短期であると考えられている。この説に従えばヴェルム氷期は現在を遡って約一万年前に終わっているから、あと二千年位で次の氷河期に入っていく計算となる。昨今、地球温暖化に危惧感を抱く私たちには信じられない未来図が待ち受けているのかも知れない・・・ ******************************************************************** この連載となる元本(萩史・46億年のあゆみ)、嫁に行きそび れた在庫がいくらか残っています。連載を読み、面白いと思って くださったなら、無料で進呈させていただきたく存じます。結構 豪華版(三部作)です。コメント欄にその旨、お知らせください。 ********************************************************************