お久しぶりです。皆様。おかわりありませんか?
私は3月の中旬から入院しております。
自分自信でオシッコ、うんちが、自由にだせなくなり、とうとうお腹がパンパンに張りあまりの腹痛で入院しました。お腹を、ぐっと押すと尿がシューっとでたり、シャワートイレをお尻にあてると便意をもよおしたり…
ただこの時期、次男の大学入試もありバタバタしておりました。前の週に大学が決まり、買い物をしてきたり、不動産屋に行きアパートをきめてきたりととても忙しい時期でした。
そもそも私の旦那って、口数の少ない人。なおかつ話をしようとしない人…別にその日に私が誰と、食事いこうが、何処へ行こうか興味がなく、へー、ふーんっで会話が終わってしまうような人。ですもの、病院が旦那に私の事を問診したってその日の私の様子などわかるわけもなく…ただプライドだけは高くて。問診されてもわかるわけもないのに、テキパキ答える旦那。いったいどこまで適当に答えるのだろう
と興味深々きいていましたが、さすがにあまりの適当さに腹が立ち、『ねぇちょっと黙って🤏お願いだから。私に話させて』と言うと、『実は女房は、せん妄がでておりまして。それであわてて入院させました
''』と言い始め、まぁ誰も信じないだろと思いきや周りの看護師&担当医は
(あーなるほどねー)と言う始末…ねぇまってよ。私、せん妄なんてでてませんけど![]()
反論すればするほど周りの人達は納得するばかり
そんなわけで、せん妄が治るまで入院させましょうということになりまた…入院の用意だってきちんとできないまま、旦那が勝手にバックにボンスカ私の荷物を詰めてもってきたので、どこになにがはいっているのもわからない…延長コード、携帯充電器なし、歯ブラシなし、骨全身転移してるのに杖なし、…パジャマ一着、イヤホンなし、タオル大量、オムツ1日分、ペットボトル2本、マスク6枚とりあえず周りにあった入院グッズをいれてきただけなので、自分で何をもってきたか、記憶になし
それじゃよろしくと帰っていく旦那。
そして入院になったのが、夜9時。ちょうど病院が消灯でバタバタしている時間。朝まで主治医が来ないので、絶対安静となり入院しましたが、2時間もすると、出ないけどしたいような気になり、立ち上がると、ピローピロローとどことなく音がなり、男の看護師さん登場。面倒くさそうに『あのさ、悪いんだけど、患者は、あなただけじゃないんだから、面倒かけないでくれるかな?さっきも行ったでしょトイレ。出ないからそんなちょこちょこ。それに、看護師も夜で少ないんだからさオムツしてるんだし朝までじっとしていてくれるかな!」「は??私の尿意あんたにわかんの?痛みとかわかんの?は?は?なに?ここ。病院だよね????」朝までつらかった…荷物、携帯すら探す事も許されず、身体おこせば、ピローピロロー🎶怖いした顔した看護師きて…ノイローゼになるかと思いました。朝になり知ってる看護師さん登場。そう。婦長さん♡ぷぷぷ。彼はその後私の前に現れなくなりました
なぜか声は聞こえるけど私の病室だけ来なくなったことも腹立つけど。まっ婦長さんにも言ったし終わりーてなことで。そしてうちの旦那様なんと、実家にまで私が、せん妄だから病院入れたという始末。親(75)。心配で心配で私の携帯にかけるも、電波が繋がらず余計心配になる
なんとか入院して3日後携帯発見!親に電話かけるが、親、旦那から、専門がでて手がおえないので、急遽入院しました。たと言われたもので、心配で心配でお見舞いはできないし、私とは会えないし、旦那にしか現状確認できないし。気持ちがパンパンの時に、私から連絡があり、『もぉ何よォ。せん妄でたっていうからさ、明日にでもどうにかなっちゃうと思った!
』と言われ、『ねぇせん妄だからって明日どうこうなるわけないし、今回の1件だけど、腹痛での入院だけど??せん妄なんてでてないよ
』と言ったら、主人からそう聞いたと言うもんで、イライラして電話しました。ちょうどその時主人は、次男の引越しのさいちゅうでした。久々に息子が電話にでました。そしたら『ねぇ、お母さんさ、なんでそんなにお父さんに、キツいの?一生懸命やってんじゃん!!俺の事だって!お母さんより全然!!やってくれてる。』……初めて息子からききました…感謝してるという言葉…『え…お母さんだって、頑張ってるじゃん…』あなたの初めての一人暮らし。手伝いたくても病院入ってんだもん。1日でも早く退院して手伝いたいよ!と言う思い…届いてませんでした…いつかいつか言われたかった言葉なのに…一瞬息が止まるくらい辛かった…私のこの気持ちって親のエゴなのですかね。子供を育てるということは、当たり前だけど、いつか聞きたいと思ってはいけない言葉なんでしょうか…息子との会話はそれ以後、していません。
な1年になりますように




またいつ癌があばれるかわからないけど、負けないで自分が選択した道を1歩、1歩信じてゆっくりでも進んで行こうと思います。すぐ身近に死という道が現れようとも、生きるという道を見失うことなく歩いていきたいです