うーんなんだか腰が重い、っていうか時々腰の周りの筋肉が痛む。
なにをしたというわけでもないんだが。
要はデブであるからいけないのである。
本日は無事出社帰宅。
まだまだ仕事が十分ではないがとにかく休まず通うことだ。
かえってブリテンのバイオリンコンチェルトニ短調op151939作1950第二版を聴く。
ブリテンというのは学校で青少年のための管弦楽入門昔のLPではよくプロコフィエフのピーターと狼と対になっていた。
両方とも管弦楽とその中の楽器の特徴を取り上げて際立たせる教育的な音楽だからだろうを聞いているから名前は知ってる人が多いでしょう。
個人的には不安をあおるような不穏な雰囲気がにじみ出るなんというか知らない間にねじれていってゆがんだ相をさらすような作品が多いような気がして敬遠しているのだけれどもこの協奏曲は美しさとのバランスがとれていてなかなか官能的でよろしい。
と偉そうに言ってみる。
っでもなんだかねじくれた感じがする。
ピカソの泣く人みたいに、相がばらばらでまとまってるというかなんというか。
うーんブリテンは危ない。
さてカレンーを見るといとしの君の誕生日が間近である。
かはその人か、という美しいアリアについた美しい題名がありますが、現代口語に意訳すると、あの人こそは、運命の人なのだろうかということであって、元のアリアはヴェルディの椿姫の主人公ヴィオレッタのアリアだから私がそれを引くのはお門違いではあるが、私にとってはfemmefataleであるかの人のことを思うとそのアリアを題名とともに思い出さざるを得ない、って私はオカマか。
まあデイドリームヴィリーバーぐらいで止めておくのが男のばあいよかろう、といっても遠くから響いてくる声に一人胸ふるわせる鳩かいなクルッポーというあの場面の印象の方が私の心持ちには近いのだからしょうが無い。
長い長い夢から覚めつつあるような気がするこの頃ではあり、胸の小部屋には空き室めいた、薄いほこりが積もり始めてはいるのだけれども。
そんなこんなしているうちに晩飯を食い終わって赤ワイン。
チェイサーにコーラ。
なんやねん。
いとしいひとといえば、指輪物語でゴラム瀬田貞二訳日本語版ではゴクリ余談だけどトールキン自身が各国語に訳する際にはその国の言葉に、と言い残しているそうだがgollumとgokuriでは前のブルLの持つ、ものをつっかえそうになって飲み込むような心地の悪さとぬるりと滑り込む感じが出ない。
ががつぶやくmypreciousをいとしいしとと訳しているが、これはなんか据わりが悪い。
っていうかfetisism物吹v信仰が生々しい形で肉に食い込んでいるような雰囲気がぬらりと漂うmypreciousといとしいしとはどうもかさなりきらない。
たしかにいとしいひとはそれに惹き付けられたものを翻弄し滅ぼす、こたタトゥーストッキング 脚フェチぁあるが、愛しい、っていうことばをあれtheringに使うこともあんめぇに。
などと思いながらセブンイレブンで買ってきた漬け物をボリボリとかじってみたりするのであった。
