今日のお出かけは、近所まで自転車。

夕方、弥生会計に打ち込むために信用金庫へ。それまで家内と今後の治療戦略について2時間くらい話し合った結果、もう少し糖質も摂って体力アップを目指すことに。

そこで、間食もしやすいからコンビニでパンとナッツ類を購入。本当は隣のスーパーに行きたかったが、レジが混んでいるのが嫌で妥協。

パンを食べた割には血糖値もあがらず、逆に血糖値スパイクみたいに反動がきて、ソファで死んでいた。

パンを食べたの2年ぶりとかなのに。食べた効果もなく。並んででも巻寿司にするべきだったか。

それ以上に、整骨院の前を通ったらガラガラだった。リフティングの練習中の長女にちょっと出てくるとしか言って出ていないのて、俳諧ジジイみたいに心配されるのを恐れておとなしく帰宅したが、マッサージしてもらえばよかった。

快感や効果も低くなったけど、もう全身がパッキパキ!明日から予約診療だし。



最近やってるコンフィデンスなんちゃら。東出の棒演技が耐えられなくて途中で辞めた。

前からの疑問。

刑事もので発砲する場合、大抵弱者は1発で死ぬ。しかも、心臓や頭の急所を射抜かれる。

しかし、現実は少しずれて中途半端に当たったり、逆に何も殺さなくても太腿を狙い走って逃げるのを防げばいいものを簡単に撃ち殺す。

足を狙って逃走を阻むシーンは見たことがない。生きたまま確保する目的で発砲する刑事ってほとんど見たことがない。

時代劇でも、刀で切られる時もそうだけど。ちょっと足を切れば勝負は見えている。何も全身を切りまくったり、貫通させなくても。まして、打首なんて。

武士道の美学としての腹切りも不思議な儀式だけど、絶対中途半端な切り方や切腹も多かったと思う。

すべては、予定調和。

そういう細かいところに、いちいちと素朴な疑問が湧く。関ヶ原でも、死んだ振りして、終わってから動き出した武士だって何人かはいただろう。

好きで戦場に行っていない武士もいたはずだ。私なら、そうしてる。

泥や血を顔に塗っておいて、勝ち時の声を聞いてから拠点に戻る。生き残ったフリをして。

特攻隊だって、イスラムの自爆テロと同じやん。私なら体調悪いとか、飛行機が故障したとか。いろんな逃げ道を考えるな。

そういうヘッポコな庶民感情を三谷幸喜さんにでも、映画にして欲しいな。

せこくても、卑怯でも、情けなくても、故郷の恥でも。

死からは、逃げまくる。

そんなこと考えるから、余命とか言われるのか?

それでも、切腹が美しいとは思えない。

三島由紀夫の映画、見に行き損ねたな。4月にやってたやつ。