抗がん剤まで、残された最後の日。

長女を森之宮まで送って事務所に。昨日までの仕事が資料がなくて取りに行った。

簡単に終わるならここでやってしまおうと思ってやり始めたが、会計ソフトと現金が合わない。

夕方から友人と会う約束もキャンセル、ナスもキャンセル。でも、何度見ても合わない。

今期から消費税が2種類になったから、入力はこれが大半。お持ち帰りは8%だけど箱は10%。ホムセンで缶コーヒー1本が混じるだけで仕訳が変わる。他は10%なのに、なぜか飲み物は8%。

ややこしや!

結局、合わないまままリタイヤ。



スーパーカブC120。カブでは一番お気に入り。これで、林道を走っているツベ。究極は、キャンプ用品を積み込んで、ひとりキャンプしたい。

熊に食べられるか?
熊を食べられるか?

うちの親父はハンターだったから、散弾銃や空気銃が自宅にあった。

前に、書いたっけ?

地域の狩猟会で熊🐻の駆除も行っていた。ある日、うちの倉庫の入口に、熊🐻がぶら下がっていた。首の辺りだけ白かった。ツキノワグマ?

数日後、猪肉に似た晩ご飯が出た。

あー、あの子熊か。

少し、しんみりとした気分になった。

狩猟の獲物は、ビーグル犬の場合、ウサギかキジがほとんど。たまに鴨。

鴨の狩りには1度着いて行った。

ん?前も書いたような。

山奥の池には鴨だらけ。そこに散弾銃を打ち込む。犬はそれまで吠えずに、待ての状態。

バーン!と散弾銃の音と同時に池の中に。鍛えられた犬はクロールで泳ぎ、弱った鴨をゲット!


な訳はなく、みんなが犬かきして玉が当たった鴨を加えてこちらに戻ってくる。流石にしこまれた犬は凄い。

勝手にどこかへ逃げたり、獲物を持ち逃げたりしない。自律心が異常なほど高い。


その散弾銃の筒の中には、仁丹のような火薬があり、兄貴とよくその火薬を筒に入れるのを手伝わされた。

真面目すぎる私と違いファンキーな兄貴はよくふざけてやっていたので、親父によくどつかれて泣いていた。

次男ながら、学習しろよと兄貴の背中を見て育ち、私はほぼ殴られた記憶はない。ただ、兄貴と母親が殴られても、最年少だから何もできずにただ泣いていた。

だけど、兄貴は一度だけ母親を助けようと父親に立ち向かって行き、3倍返しをくらっていた。

あの勇気は、今でもリスペクトしている。本人は、忘れたかも知れないけど。

また、2歳上でもケンカすると体力もメンタルも兄貴が上で、負けると悔しくて悔しくて。

一度だけあまりに酷いから、ハンガーでどついたら兄貴が泣き出した。

それを見て、私ももらいなき。次男は長男を泣かせてはいけない運命だと肝に銘じた。小4くらいの夏だった。

兄貴はラグビー部でタックルされても、簡単にボクシング技術でカウンターは入れられる。大学以降ならね。

中学以降は、本気のケンカもなく、中学、高校でも兄貴はスポーツのできるイケメンでスーパースター。自慢の存在だった。

だから、1年と2年の時は、あの人の弟として、まるで有名人の弟扱い。

兄貴に近づくために私に近寄るファンもいた。その中のひとりに私は軽い恋心を抱き、年賀状を出した。中1の冬。

まさかのレス賀状が直接きた。彼女になってもらえる身分ではないのはわかっているから、それだけで嬉しくて嬉しくて。

ただ、その賀状には直筆でこう書いてあった。

強くおなり!ジャンボ鶴田のように。

なぜ、猪木ではなくて鶴田なのか?新日本ではなく、全日本プロレスファンだったのか?未だに、謎だ。

そこから、私の筋トレ生活は始まった。