山で死にたいと書くと。
闘病に疲れて、密かに山奥で自殺したいみたいな印象があるけど。そうではない。
昔、阪急か西武の祭事か何かで、パリをモチーフにしたイベントがあった。そのポスターのキャッチが、パリで死にたい。だった。
意図はわかるけど、死ぬという表現を電車の中吊りポスターに使ってもいいかというもどかしさを覚えている。
センスがあるし、インパクトもある。賞も狙いやすいキャッチーな作品だった。ビジュアルも覚えている。
確かに、後でいろんな賞も取っていたが、クリエーターの自己満足の部分に、バブルの残り香も感じていた。
それだけパリが好きだという表現に、死を利用してもいいかと。製作者はしてやったりなのか、同じ危惧を感じていたかはわからないけど。
そういう意味で、今は山で死にたい。ということ。山で育ったから、山の空気を吸いたいということ。
バイクで行ったり、キャンプが目的だったり、料理したり。いろんな動画を見るけどほぼ背景は山。しかも、なぜかソロキャンプが多い。
山と田んぼの中腹で育ったから、遊びの大半は山の中。自然のものを使って遊ぶ日々だった。
それが今では、人工的なものにしか触れられない。そのギャップだろう。
自然に帰りたい欲求が半端ない。
亡くなると火葬されて埋められて土に帰っていくのは、死後に他人がすることで、本人の希望ではない。
現象が似ているからややこしいけど、今は山で死にたい。単純に、山に片思い。
先日、かつやで食べた後、最後に山で死にたいと家内にも言ったが。たぶん本意は伝わっていないだろう。隣の席のおじさんにも聞こえていたような気配を感じた。
あの人、山で死にたいってゆーてはる。自己破産でもしたんかいな?みたいな感じに思われたかも。
鳥取の田舎もんじゃなかったら、私だってモナコで死にたい!とかゆーてみたかったさ。
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3度目のトイレで眠れなくなった。
福山雅治は、3度目の殺人。
私は、3度目のトイレ。
他人と比べるのは嫌いだけど、ちょっと負けたかな?
