やっとこさ、管が取れた。
かなり汁が減ったねといいながら、先生は新しい管を開封してた。準備してはりますやんと突っ込むと、新しい管を挿入された。
それなら来週は午後からにして欲しいと言わなくちゃと思っていたら、もうやめよか!だと。
多分、管を挿入してそれをレントゲンで写して化膿汁の場所を確認していたようだ。何度も出し入れしているからか、管の道ができていて、管の通る摩擦は感じない。
と、油断した後、激痛。何したん?さらに、もう1回痛いけどと脅されたけど、今度は痛くはなかった。穴を縫われたのか?
気になっていた余命の話を聞いてみた。後1年半になったけど先生の見解は?
大腸の先生に任せるわと、はぐらかされた。返答に困ったようすだったので、平均
ですけどねと橋渡しをしたが、参考にはならなかったようだ。
いつもはフランクな先生だが、シビアな話の時は異常にリスク管理される。冗談っぽく、あんなんいい加減やから信じてたらあかんで!くらい言ってくれるかと思ったら。それは、守秘義務とか責任問題が優先だった。
管が取れた開放感より、その会話が尾を引いて全く嬉しくもなくなった。
明日から風呂に入ってもいいらしい。3月
末以来のお風呂。しかし、さっきまで穴が空いてて、次の日から浸水させてもいいの?
これで、終わり。まあ、何かあったらまた。と、3月からの入院以来の4ヶ月のお付き合いも終わり。先生は大した挨拶もなく、そそくさと奥へ消えた。
まあ、先生にすれば何人もいる患者のひとりだけど。4ヶ月も診てもらったんだから、何かないんかい。しかも、余命1年半をどう思う?と聞いた後なのに。
思い出に、先生らしい毒舌をプレゼントして欲しかった。
体育会出身らしく、大声でありがとうございました!と感謝の意は伝えておいた。
最近、投資コーナーで目立つのは、こういうミリオネアになるためのノウハウ本。こんなの読んだってなれっこないのはわかってても気にはなる。
ただ、余命1年半とかになると次第に現実になり、残された時間をどうしようと考える。金銭欲も、どこかで散歩してる。
多くの人は、知らなかった時と同じように最期まで過ごしたいらしい。
私は真逆。
絶対、逆算したい。
しかし、その意欲に反して、やりたいことややるべきことがしっかりと浮かばない。
まだ、ボケてはいないと思う。疲労感は半端ないけど。
最後に大きなことをなし遂げたい訳でも、悔いがない訳でもない。なのに、何も浮かばない。
酷な立場だが、そういう話相手は長女だ。彼女によると、達成感があるから浮かばないのでは?と言う。
しかし、平均寿命よりいきなり20年くらいカットされる身とすれば、達成感は少ない。
今日書店で見た本には、夫婦は定年後の方が長い時代になると書いてあったが、これだけ寿命が伸びれば60歳からの生活を見直す啓蒙は、ますます問われるだろう。
今日も、長いな。
たらたら書く悪い習慣から抜け出せない。
管は、抜けたけど。

