2月も半分おわた。
 
3月に入ると、余命2年以下に入る。抗がん剤をやるとデータはないらしいが。
 
宣告されて、数ヶ月後に20歳の長男にラインで伝えると、割と短い期間でレスが来た。印象的だったのは、余命が30ヶ月なら本来の残り20年分の人生を30ヶ月に圧縮させればいいじゃないかと。
 
一見、頷けるかと錯覚を生む言葉だ。しかし、よく吟味すると、じゃあ、君は残り60年が90ヶ月、7年半。つまり、27歳半で死んでも本望かと。理不尽と思わないか。30代、50代と異なるステージが待っているのに。
 
まあ、20歳から見れば、50代も60代も70代も似たような人生だから、60歳も80歳も同じやん。という感覚は強いと思う。
 
問題は、自分ではない。重要なのは、発言を受け取る人間の感覚だ。それを想像するのが、人間のコミュニケーション。そういうコミュニケーション能力がもっと必要な時代になるという意思で、ふたりの子供の名前も私が付けた。
 
親の苦労、子知らず。
子の苦悩、親知らず。
 
いつか使おうと思い溜めていたコピーだが、初めて公表した。広告に使うときは一報を!
 
 
 
終末期の患者に延命させて多額の税金を投入するのは非効率だと。若い論客が語り、それを朝日新聞が批判している。ま、当然な話。炎上狙いのような発言だ。
 
かといって、植物人間になった患者をただただひたすら延命し続けることにも、一定の疑問はある。人間の尊厳とか言われるが、患者にとって延命が苦痛でしかないとか、自然死を望んでいるとか。そういう時でも、周囲はただ生存がすべてを上回る価値だと信じているケースが多い。
 
私も父親が亡くなる時は、1日でも長く生きていて欲しいと願っていた。本人の意思とは関係なく。だが、年数経つとそれは周囲の自己満足に過ぎないのかも。そう思うことが多い。
 
一方、母親はもう10年以上眠ったままで会話もできない重症の認知症。たまに聞こえる音声は、苦痛を訴えているだけ。そう聞こえる。

だからといって、延命は不要とは今更言えない複雑な心境だ。ただ、延命が単純にハッピーとは言いにくい場合も多い。同じ病院には、生きる意義や目的を失っている患者が多過ぎる。
 
ん?何が言いたいんだ?
 
そういう葛藤も必要だよと、高学歴な若者諸君も勉強してねと、おじさんは思うのね。スピードやマネーがすべてではないと。
 
ちゃんと落ちた、かな?