昨日は辛くて抗がん剤を途中で中止して欲しかったが、マグネシウムに反応しているだけじゃないかとドクター。それで、続行された。
後半は立てなくなって、車椅子でトイレへ。しかし、甘えると自転車で帰られなくなるので、最後の方は自力で。
それを見ていた看護士さんが、さっきの移動は点滴に寄りかかって大変そうでしたねと。そうよ、歩くだけで大変なのよ。
急には歩けないので市大の椅子に寄りかかり休憩して、様子をみてから自転車で帰宅。足が弱ってる。歩かないと、寝たきりになってしまうでよん。
歩けない自分が関心あるのが、登山。もともと入院前は死ぬまでに100名山をひとつでも多く登りたいと思っていたし。同い年の皇太子はすでに100名山はクリアしていると聞いて、私もと思っていた。
だた、野口氏の言うとおり、冒険と無謀は紙一重。私は冒険し過ぎる質だから、家内には不安がらせてよく喧嘩になる。基準が違うから。
だけど、何もしないとリスクは起こらないという発想は間違っている。小さな冒険をしないと何も起こらないどころか、好転もあり得ない。
登頂を諦めた三浦さんの言葉。
冒険したいと思うから元気になるし、クリエイティブなアイデアが浮かんでくる。それは、登山だけではない。寝たきりの患者さんが、立ち上がろうとしたり、1歩だけでも歩きたいと思うことも冒険だ。それが、生きるモチベーションになって欲しいから、私は死ぬまで冒険し続ける。
かなり補足したけど、こういう主張だと思う。確かに病院でも安全のためにあんまり出歩くなと注意される。それは、半分責任問題が発生するのを恐れているとか、業務が増えるから。おとなしく死ぬまで寝たきりで何も起こらないことが病院にとってはメリットだからだ。
その感覚が家族にも蔓延している気がしてならない。何も起こらないことこそ平和だと思っている節がある。
それは、自分に安心感が欲しいだけの自己満足だと思う。もちろん、対峙している私も自己満足なのは自覚している積もりだけどね。
変化しないことで安心感を得る国民性もあると思う。だから、大阪都構想で反対派の阿倍野区がなくなりますよが主張になる変な論理を訴えてくる。
でも、私自身も変われていない。そこが、痛い。批判は簡単だけど、三浦さんみたいな行動は困難だ。
妄想老人で、終わりたくないよぉ。
:::しんどいのに、文字を書き始めると止まらない。職業病かな?
