これから市大でMRI。以前は楽勝だったが、今は造影剤の影響か、弱ってきたからか、後でダメージが大きい。とにかく、気持ち悪くなる。今回はどうなりますか?
 
水曜からまた抗がん剤で28日の診察で、今日の結果を踏まえて手術の日程が決まる。何となく3月と言われて来たけど。さっさと切除して、抗がん剤とケトン食から開放されたい。
 
だんだん、治療に疲れて来たのよ。5ヶ月も過ぎると。今までとの落差が大きいからさ。
 
できないことが、増える一方で、クソっ!!!と嘆く回数が増えた。家族の前では出さないけど、一人になるとしょっちゅう言ってる。ブログにも書いたことないけど。
 
畜生!!!の意味ね。自分への不甲斐なさに対してね。他人への怒りは、また別の話。
 
50年前の東大の入試が中止された話。安田講堂の占拠云々。まあ、他人のせいで人生が変わった人にとっては、迷惑な話か。
 
ただ、浪人生はよく回り道も大事な経験とか言われてフォローされるが、果たしてそうか?同じ人が現役と浪人と2パターン経験できないし、現役でも遠回りしている人もいるから短絡な発想に感じる。常識だけの。
 
以前、2浪は東京の予備校に行ったと書いて、京都の私大に合格はしたとまでは書いた。合格通知を自分で見る気もなくて寮のポストで初めて合格と知った。2浪しているので、逃げ道が見つかり力が抜けた記憶がある。
 
ただ、国立志望なので、2次試験次第で京都には行かない訳で。でも、この頃も今みたいな体調で、2次試験は横浜まで行かないといけないのに、池袋から渋谷への環状線で貧血。立っていられなくてしゃがみこんだまま渋谷を通過。東横線に乗り換えられなくて、環状線を一周。寮に帰って寝込んでしまい、2次試験は受けられなかった。
 
受けられても落ちていた確率も高かったけど受けられなかった悔しさで4度目のセンター試験を画策。でも2浪.までして、しかも、東京の予備校まで行かせてくれた親には面目ない。そこで考えた。
 
とりあえず京都の私大には通いつつ、4回目も受けよう。働いて経済的には自立しよう。相談すると反対されるから、受かってから親は説得しようと決めた。
 
東京の予備校寮でネットもない40年前。そういえば、私は54年卒だから、センター試験元年の学年。東京でネットもない時代に情報もなく、得られたのは新聞奨学生くらいだった。一番ギャラのよかった産経新聞を選択。これが、失敗だった。産経は京都で弱く、大学に一番近い販売所は大阪の高槻だった。東京ではその地理感覚が甘かった。
 
朝4時起きで2時間少し朝刊の配達、高槻から京都に行き授業を受けて夕方帰宅。すぐ2時間少し夕刊の配達。食事してからは3時間くらい翌日のためのチラシの折込作業。で、就寝。

住み込みだからアパートは無料だし、おまけに2食付。それに給料まで出るから経済的な不安はなかった。学費も払えるし。
 
こんな生活だから、学校の単位はまだ取れるが、受験勉強をする時間がない。それでも1学期は通学したが、夏休みを過ぎて大学は放棄。留年覚悟で。国立に浮かれば同じ学年だし。
 
数ヶ月通学しなかったら大学の事務局に呼ばれた。なぜ、来ないのかと。今から考えれば仕送りがなく働かないといけないとか誤魔化せばよかったが、受験したいからと言った。

すると、大学は予備校ではないから退学して受け直すべしと通告された。それで、自分で払う学費の入金を止めたら除籍処分の通知が来た。
 
ああ、2浪もして入ったのに、また、浪人か。でも、背水の陣でなければ、戻る場所を確保して受けるモチベーションも低く、別に後悔はなかった。
 
今でも覚えてる。4回目のセンター試験の早朝も280件の朝刊を配ったが、高槻にしては珍しく雪が降り異常に寒かった。新聞を配ってから受験会場に向かった。
 
逃げ場をなくして受けたセンター試験。自己採点するまでもなく、志望校の得点には無理だと自覚できた。背水の陣もこれまで。試験の朝の雪のように、希望の灯火は果敢なくも散り去った。
 
単なる新聞屋の労働者になってしまい。行くところもないし、どうしようかと無の日々。
 
しばらくすると、大学から学費さえ払えば復学できる旨の通知が来た。本来たまたま入った経済学部は志望学部ではなかったが、3浪中は受験勉強より異常に読書をしていたので、別に教育学専攻でなくてもやりたい活動は経済学部でもできる知識が上書きされていた。
 
で、半分情けなかったが復学。心身の基礎体力は2浪目の失敗で痛感していたので、いきなり2回生になったが、体育会系のボクシング部と学術系サークルの国際問題研究会に入り2つを往復の毎日になった。当時、落合信彦の小説にはまり、彼は空手だったが真似をしていた。
 
そういえば、落合信彦の息子、落合陽一の本を自分の長男に薦めたが、何か妙な気分になった。
 
20代で世界中を飛び回りドキュメンタリーと小説、どちらも書ける作家に憧れたが、サークル仲間の知識量に圧倒され撃沈。

池袋で毎日見ていた西武百貨店の広告、糸井重里氏の広告が全盛の頃だったから、やや横道にジャンプしてコピーライターになり、糸井さんからも何度か年賀状をもらって喜んだりしてた。
 
長くなった。
 
教育学から経済学への変遷哲学も書きたいが、これがまた長い話だから、また整理したい。
 
こういう体験をしたからと言って、現役で入った人と比較しても仕方ないと思う。多少の損得はあるのだろうが、永遠に直線の道などない。だから、人生に遠回りも近道もない。誰もが曲線の道を通って今に到着している。ちょっと長いか短いだけだ。

三浦雄一郎さんが登山を諦めたが、登山でも登頂経路は複数ある。誰もが、今の自分に合う経路を見つけるだけだ。
 
それは、誰も教えてくれない。神様も昼寝多いし。自分で判断するしかない。だから、他人と比較しても、あんまり意味がない。と、私は思う。
 
ああ、MRIのお時間。行ってきます!