昨日から、体調は良好。とはいっても、また水曜から次の抗がん剤。せめて1ヶ月に1度なら動ける時間が長いけど、結局マシなのは3、4日。贅沢は、言えないけど。
入院していた人は、点滴が3日ではなく2時間だけや飲みタイプの抗がん剤でも体調を崩して苦しそうだった。
高齢者が多いこともあるけど、最後に隣りだった青年はまだ40代。飲むタイプなのに副作用がきつくて、薬が抜けるのを待っていた。
周囲には市大から送られてくる副作用被害者の会の方々ばかりだったので、明日は我が身かと毎日思ってきた。
だから、贅沢やなと。
あと2年、還暦越えたら研究したかった武士道の本を入院中に退けだして買ってきた。まだ、殆ど読めてないけど。
余命とか言われると、誰もが死をもちろん毎日意識するようになるはず。起きるたびに、夢ではなく現実かとため息も出る。
入院中に大河ドラマの新撰組を見直した。当然武士たちの方が毎日、毎時間死を覚悟して生活していたわけで、通じるものがあり、見習おうかと。
しかし、やはり納得が行かない。どうしてあそこまで武士道が根付いたか?生死を越えて武士道を優先できる精神構造が理解できない。切腹の儀式ひとつでも、生命より武士としての美意識がなぜ優位なのか?
中には切腹が嫌で逃げたり、ほんのかすり傷で切腹し切れない武士も多かったはず。あまりそういう史実に触れたことがない。クドカンとかが、映画化してほしい。屁たれ武士、最期の顛末。とか。
現在の価値観で江戸時代を語っても意味はないが、いつの時代も死にたくないとか、父や夫には生きてて欲しいと思う訳で。それも表現はされてはいるが、それを超えて立派な死を遂げたと礼賛される全体主義への洗脳がわからない。
それが、戦争へと繋がり、特攻隊へと精神が引き継がれたのか?特攻隊も、今では自爆テロだ。それを、お国のためとか、名誉ある戦死とか。
よく国家がそこまで洗脳できたと感心する。もちろん、それを否定する生命への執着が上回ることは個人的には多かったとは思うが、支配的にコントロールできるシステムが凄い。軍隊だけでも困難なのに、国民の多くにその観念は植え付けられたわけで。
だから、それを理解したマッカーサーは天皇を戦犯にせず象徴に代えて、日本人のアイデンティティを尊重した。メンタルを叩きすぎると、また、日本に凶暴な全体主義が復活することを恐れたらしい。
その代わりに、憲法を勝手に作られたけどね。
ハロウィン1色に染まりつつある日本は、今でも全体主義になりがちな国民なんだろうか?アンチになるとすぐ炎上する。
やはり、村八分とか島国根性は今でも健在で、出る杭は打たれるし、出過ぎて抜けると忘れられる。それが怖くて、不安で。今日も協調を義務付けられているのか?
日曜の朝からヘビーでした。すんまへん。
でも、責任とって腹は切れません。
