入院中に治療に関する情報は欲しかったが、他人のブログとかはほとんど見なかった。というのも、極めて個人的で独善的な手法に左右されるのが嫌だった。もっと幅広い視野のもとで判断したかった。
 
退院して、治療方針も固まったので、ちらちら闘病日記的なブログをたまに見るが、検索のやり方が悪いのか、かなり多くの同志がなくなっいる。代理の人による最後の報告などをよく目にする。
 
うちの家内にはできるワザではないなとか、代筆してすでに準備しておかなくちゃとか、もっと単純に、
 
お前ら、死ぬなよ! 
ブログ、更新しろよ!
 
そう思うのよ。似た者同志としては。
 

 

なかなかセンセーショナルなタイトルが気になって新聞を切り取ったが、書籍はまだ書店で見たことがない。

 

似た発想だがイライラした時に、自分に対してあなたは余命が何年とか言われているんやで。そんなことに左右されている場合ではないやろ。と自問すると、余りにも些細なトラブルにはあんまり動じなくなった。

 

書籍のタイトルは、生きているうちはかすり傷ともいい替えられるが、死を意識すると大抵のことは些細なことになる。というより、死を超える恐怖や不安や動揺はないわけで。

 

確かに、死を意識することは生を意識することだとはよく言われてきたが、脅しでは雰囲気だけで寝たら忘れてしまう。

 

しかし、何度寝ても運命が同じだと、次第にそういう観念は蓄積されていき、定着されていく。宗教とかも、こういう仕組みなのだろうか。洗脳されていく仕組みとかも。

 

よくわからないが、そんな精神構造の変化は、宣告された者としてはよりスピーディに実感させられる今日この頃なのだ。