レストランの「メニュー」ならば問題はない。“菜”は「料理」、“单”はもともと「単独」、「単身」などのようにひとつであること。“菜单”は、“菜”をひとつ一つ列記したもの。端的で、適切な中国語訳である。

問題はそれ以外の「メニュー」である。PCや携帯、カメラなど、現在は複合的な機能を一台に集約した電化製品が多く、そこには大抵「メニュー」がある。これをも、中国語では無粋に“菜单”といってしまう。

これは、“menu”の意味の幅からきている。手元のPC上の辞書を見ても三つの意味がある。
①料理の品目を示した表。献立表。また、献立。
②物事の、予定されている項目。また、その内容。
③コンピューターで、ディスプレー上に表示される操作項目の一覧。

これを何の吟味も工夫もなしに「メニュー」とカタカナ表記して平然としている日本語は怠慢この上ない。ただ、結果としてこの怠慢ゆえに「メニュー」は原語と同じ意味の幅を持ってしまった。日本語のこんな現象も、決してほめられたものではないのである。

これに対して、“菜单”はことさら料理に関わる言葉である。
もちろん、往年は①の用法が圧倒的に多かったであろうことは想像がつく。③などはコピュータやデジタル製品が世に出る前にはない概念である。ならば、後から普及した用法にはそれに見合った言葉を当てるべきである。なにも原語の意味の幅に、律儀に合わせる必要はない。
②ならば“议程”など、場合によっては“日程”くらいくだけてもいい。③は“功能项目单”が冗長であるというなら、せめて“项目单”くらいにはいえないものだろうか。

カメラやPCのモニタに“菜单”と表示されるのを見るたびに、私が密かに大いなる不満と違和感を覚えていることを、周囲の人たちは知らない……
翻訳をしていると、頭が痛くなる単語がある。「タイミング」もその典型。

まずは辞書で「タイミング」項を見ると「时机(shi-ji)」。「タイミングがいい」は「时机恰当」、「タイミングが合わない」=「不合时机」といった具合に例示する。
日本語で「タイミング」と出てきたとき、私はまずこの“时机”は使わない。日本語の「タイミング」に比べ、使用頻度が圧倒的に少ないのだ。

使用頻度が低くても、中国人なら理解できる。ただし、中国語で“时机”といったときと、日本人が「タイミング」といったり聞いたりしたときに感じる印象と同じか否かは別の問題である。日本人だって「タイミングがいいね」というところを、「時宜に見合っているね」と唐突にいわれれば違和感を覚えるはずだ。だから、中国語で語ろうとする場合、発想から変えなければならない。

とはいえ、未だにどのような状況でも使える「タイミング」に当たる中国語を私は見つけられていない。今でも私は密かに顧客が「タイミング」と発しないことを願いながら翻訳や通訳の現場に立っている。
中国語では「布局」。
日本語の発想とはややズレを感じ、翻訳に当たっては不安になる。Web上で見つけた下記の用例を見ると、日本語の「立地」と同様の感覚で使用している。ほかには「地区选定」などの訳もあるが、何だか説明じみている。
そもそも「立地」とは、客観的な地理的ポジションを指すだけでなく、「立地条件」などというように何かしらの活動を行いやすい環境か否かという判断が含まれる。この点で、恐らく英語の「location」などとも少し違う。下記の中文を見たときに、例示する日本語を導きだすのは難しい。

立地条件にかなう土地がない/没有适合布局条件的土地.

なお、中国語で「立地(li-di)」というと、まさに「地に立つ」こと。自らの意思で立つ、自立した印象を持つ。あるいは「地」を補語として扱い、「すぐさま」、「即刻」などの意味。中国語「立刻(li-ke)」に近い意味となる。