思い出せないという事は抹消しているという事 | パーカッション瞳知り日記

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昔の記憶が消えている

 

 

 

 

 

 

 

 

今でこそ、手帳やメールに記録が残り、Twitter、Facebookなど過去の記事やら何やらまで鮮明に思い出せるというこの時代

 

何月何日に何処で誰と誰が何をしていたかがすぐ分かる

 

今はそれが当たり前の時代なのだと気づく

 

 

 

 

 

 

 

 

私は中学生の頃の思い出が無い

 

 

もっと細かく言えば小学校高学年から中学3年頃までだ

何をしていたか本当に思い出せないのだ

 

 

が、もちろん病気で入院していたとかそう言う訳ではない、現に写真だけは存在している

 

その写真を見たり人に聞いたり考察するにあたり、自分なりの答えが出ている、それは

 

 

 

その頃、私はまるまると太ったトドであった

 

 

という事だ

 

 

 

 

 

 

 

 

前にも書いた気がするが、私はもともと喘息児であった

 

 

走ると苦しい、寒いと苦しい、マラソン大会とか山登りなんて最悪である

 

 

しかし幼い私には自分が喘息児だということが理解出来ていなかった

 

母は私に無理をするなと何度も言っていたが

 

(みんな同じくらい苦しいハズなのだから私1人だけが我が儘を言ってはいけないのではないか?)

 

 

と幼心にいつも思って頑張っていた、今考えると泣ける

 

 

 

そんな訳で、けっこう痩せていた

 

痩せ期にはバレエやリボンをクルクルしたいという欲だけの為に新体操もやっていた

 

 

 

それが成長期になり喘息の発作も次第に回数が減少、だが運動すると器官が細くなり苦しいという記憶だけが鮮明に残り運動をする事をなるべく放棄、そして食欲だけが増幅する

 

さて、そうなると人間はどうなるでしょう?

 

 

 

 

そう、太るのです

 

 

 

太った私はバレエに興味が無くなってきた

 

 

母は、「バレエお金もかかるしねぇ…」的な事を言うようになった

今考えたらあれは優しさだったのかも知れぬ

 

そこからほぼ覚えていない、ぼんやりと記憶があるのは

 

東邦音楽大学付属中学のピアノ科に入って、制服がキツかった事である

 

写真を見ると…とにかく丸い、破裂寸前の風船である

 

パッツパツである

 

本当に、コレが私か…??

 

 

 

何せ記憶が無いので、中学の時の事が知りたいときは母に聞くしかない

 

母は未だにこう言う

 

 

「中学の時はとにかくゴロゴロしていたね、家に帰ると制服のまま寝っ転がっていたよ。

アレじゃあトドだよ。」

 

 

同じゴロゴロしているでもパンダみたいな可愛い動物でなくトドだと彼女は表現した

 

 

トドか、トドってどんな生物だっけ…

https://ja.wikipedia.org/wiki/トド

 

 

 

 

決してトドの事を悪く言っているつもりは無い、トド愛好家の方々から見たらトドは素晴らしいであろう、私なんぞトド以下の生き物であろう

 

それにしても、家の中にこのような動物がいて母はよくわたしに愛想を尽かさなかったなぁと思う

 

いや、もしかしたら愛想を尽かせていたのかも知れぬ

 

何せ記憶が無いのでわからない…こちら、トドですから

 

 

 

 

 

ってなわけで寝て食べるだけの「海のギャング」と化した私はその青春をトド期として過ごした

 

なので反抗期が無かったらしい、人間では無いのでね

だから母も無理に海に帰さなかったのかも知れぬ…一応腹を痛めた訳だし

そのあたりは感謝の気持ちでいっぱいだ

 

 

 

が、高校生になると私は少しずつ身の周りに気を使うようになった

 

周りの女子が化粧品やアイドルの話をするようになって、徐々に興味の矛先が変わって来たのであろう

 

 

打楽器を練習するようになり、朝練昼練夜練、全てに熱を注いだ

 

行きたい大学も決まり、毎日打楽器の事ばかり考えていた

 

やっと人間期に突入出来たのである

 

そして現在に至る

 

 

 

 

 

 

 

このように毎日生活出来て、音楽というものに恵まれ、仕事も頂きこのまま精進して最期を迎えたいと常日頃考えてはいるのだが、一つだけ不安の種がある

 

 

 

 

私にはトドの素質がある

 

 

 

何がキッカケでまた戻るか分からぬ

 

 

私は知っている、精神というものは自分では計り知れない所で少しずつ崩壊している恐れがある

 

 

 

精神は自分でケアをするしかないのだ

 

 

 

なるべく上手く付き合っていきたいものである

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                   完