ココロの向かう場所 -66ページ目

私のうつ 2

ドクハラ野郎に言い返す気が無くなる程

呆れたからと言って、

すぐにうつになった訳じゃない。


その時は呆れて本当に開いた口が

塞がらない状態だっただけで、

このままじゃ気が済まない私は

あの医者を訴えると両親に言った。


まだこの頃は怒りでいっぱいだった。


うちの両親は本当に絵に描いたように

勤勉で真面目でそして事なかれ主義。

それに時代的にみても、患者が医者を訴える

なんて事は、医療ミスでの死亡以外では

考えられないことだった。

お医者様々の時代だったから。


母親はそんなことしても何もならないから

(多分負けるということが言いたかったのか)

すっぱり忘れて、治療に専念しなさいと言った。


特に私の事をいつも否定し理解してくれない父親は、

結局は私がチャラチャラ遊んで暮らしているから、

医者にも信用して貰えないんだ、

そんなことよりさっさと仕事しろ!などと

言っていた気がする。


その後の事は実のところ、あまり記憶が無い。

ポツポツと断片的に記憶があるだけだ。


親に叱られても屁とも思っていなかったので、

何とかして先に進めようとしている間に

どんどん何もしたくなくなってきたのかも知れない。


薬を飲んでいるものの

そんな簡単に体調が良くなる訳でなく、

食べても吐いてしまうので体力が無くなり、

新しいアルバイトを探す気力すら無くなり、

自分の夢さえも興味が無くなってきていた。


この辺りで一度母親に

「ひょっとしたら私、うつ病かも知れない」

と、相談したことがある。


母親は「そんなバカな」と一言。


元々無気力に支配されていた私は

それっきりその事を口にすることは無かった。


今みたいに心療内科などという科は無く、

精神病院=独房、隔離、怖いところ

というイメージしかなかった時代だ。

きっと母親も動転してそれしか言えなかったんだろう。


(この後に一度、母親にあの時本当に病気と

思わなかったの?と聞いたことがあったが

母親は「え?そんなこと、あったっけ?」と言った。

すっかり記憶から消え去ってるんかい!w



私はいつからか、寝たっきりになってしまった。

どの位の時間が経ったのか、本当に全く記憶が無い。

人間ってあんなに眠り続けられるものなの・・・?

多分1年くらい?いや、もうちょっと短いかな?

毎日、朝から晩までずっと臥せっていた。


今思うと、家族は私が胃潰瘍でしんどくて

寝込んでいると思ってたんだろうなぁ・・・・・・・・汗右

そう考えると、辻褄が合う。

でも一日中、口も利かずに眠っている人間を見て

どこか普通じゃないと思わんものなのかね~?


たまに友達が尋ねてきて

今は体調はどう?と見舞いにきてくれたけれど

もうそれすらうっとおしかった。

私はただひたすら眠っていたかった。

誰とも口も利きたくなかった。



私のうつ 1

そういえばこの1週間でどんなに頑張って

ダイエットしても落ちなかった体重が

一気に3キロも落ちていた。

恐るべし、心労 !!


こうやって緑犬(夫)に対する愚痴が

どんどん出てくるのは

良くない傾向だな~と書ききってから気付いた。(遅いw)


別に過去の愚痴だけを書こうと思って

立ち上げたブログじゃないんだから眠いあせる



゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚



私は今はウツウツとしているけれど

これが本当のうつ病の症状でないのはわかっている。


短大を出てすぐ

私は本当のうつ病になった。

医者に対する不信感が引き金で

どんどん酷くなっていった。


当時私にはどうしても叶えたい夢があって

短大を出してもらったと言うのに、

フリーターをしていた。


ある時バイト先で倒れてしまった。

結果的に通えなくなって

辞めてしまう事になったけれど

バイト先は人間関係も良好で

その仕事自体は好きではなかったけれど

倒れた後にも担当の部署を変えるから

残ってくれと言われてしばらくは通っていた。


身体が不調でどうしようもなくなって

普段ならあまり行きたくもない病院で

診てもらった時に、私は医者に

「働きたくないからそんなこと言ってるだけだろう?」

とか

「単なる怠け病と違いますか?」

など、今なら立派にドクハラとも言える言葉を吐き続けられた。

言い合いになったこともあった。


確かに私の見かけは今で言えば

チャラい感じだったかも知れない。

でも医者が人を見かけで判断していいのか?むかっ


それでもその病院に通ったのは

家から近かったのと、遠くにまで通う体力がなかったから。

今なら担当医を変えてくれと言えば済むのだろうけど

その当時は無理な話だった。


結局その医師に訴え続けた結果、

医師は渋々(ほんっとう~に嫌そうに)


「じゃあ、胃カメラ飲んでみる?

まぁ、どーせ何も悪いところなんて無いだろうけど?」


と、何故か半ギレで検査依頼の紙に何か書き込んで

乱暴に看護婦にそれを渡してそう言った。


この場面は今でも脳に焼き付いて離れない。

なんとも言えない感情が蘇る。



別の日に胃カメラを飲んだ時、

検査をしてくれる技師さん?医師?曰く、


「よくこんなになるまで我慢してたね~・・・

この胃は、中間管理職でストレス溜まりまくった

おっさんの胃みたいだよ」


「一度胃に穴が開いて

今は塞がろうと頑張ってるところ」


何にしても頻りに、

何でこんなになるまで放っておいたの?

と聞かれたので、

○○医師が私の言う事を全て否定して

検査してもらうまで時間が掛かったことを告げると


「それは辛かったね。

でもこれで原因がわかったから

治療に専念できるね」


と言ってくれた。


結果を見て、ドクハラ野郎は意気消沈するどころか

ふんぞり返ったまま言い訳を始めた。


「レントゲンでは陰で丁度見えなかった。」だの

「これはわかりにくい場所なんだよね~」だの。


散々言いたい放題言ってきたことに関して

謝罪の言葉も全く無かった。


私は相当アタマにきていたけれど

もう呆れるやらなんやらで、

いつもの調子で言い返す気力すら無くなっていた。



ギャンブル依存症のパターン

布団が出ているにもかかわらず敷きもせず

それが嫌ならベッドで寝ればいいのに

とうとう緑犬は風邪をひいてしまった様子。

鼻をズルズルいわせて出勤していった。



本やサイトでギャンブル依存症になり易い人のタイプや

思考パターン・行動パターンがよく書かれているけれど、

アンタ、うちの旦那を直接見たんかい?!

と思うほど、緑犬に当てはまりすぎている。


緑犬は私から見て

かなりプライドが高い。

高い故に失敗を極端に恐れている節がある。


失敗や失望しないためには

自分で何かを望むことを止めてしまうのが一番簡単。

チャレンジしなければ、望まなければ、傷付くこともないから。


人間関係もそう。

この人には言っても無駄だとか思って

そこから先は思考を止めてしまう。

そんな風に諦めては心に仕舞いこんでしまう。

だから知らず知らずのうちに

心に歪みが生まれてしまうんだろう。


他にもゲッ!見てたの?がーん と思ったこと。

緑犬の口癖は

「何とかなる」「何とかする」


一見楽天的で頼もしくすら思えるこの口癖、

その実は何も考えることなく口から出ているだけ。


実際、何とかなったためしもなく、何とか出来たこともない。

どうしてそれに気付かないかな~?

お得意の思考ストップか?



そしてヘーキで嘘を吐く。

それはもう感心するほど流れるように次々と。


一度可笑しかったのが

借金がばれて追い詰められている真っ最中に

嘘を吐く必要もなく、意味もない場面で

サラっとどうでもいい嘘を吐いたことがあった。


後から思うに、追い詰められすぎて

もう何が善か悪か、わからなくなってたんだろうな。

これに関しては、未だもって本当に不思議でしかたない。


嘘を吐かれることに慣れてしまって

それを検証する気も無くなってしまって

今は他の事は信じているけれど

ギャンブルや借金関係のことは

95%は嘘や隠し事なんだろうと思っている。

事実は『ギャンブルで借金がある』

ということだけと思うようにしている。


勿論信じたいという気持ちが0という訳でなく

これは自己防衛みたいなもんだ。

誰だって嘘を吐かれて、気持ちの良いものでなし。



どうしてそんな風に型にはまっていってしまうのかな~?

やっぱり病気だからなんだろうな。

早く病気だと認めて、自分の弱さを受け入れればいいのに。


とは言うものの、

自分の弱さを認めることは自尊心の高い彼には

やっぱりハードルの高いことなんだろうな。


そして自分の弱さを受け入れすぎて

にっちもさっちも行かなくなっている私に

こんなこと言われたかねーか(笑)



なんだか今日は寝てないせいか

物凄く険のある文章書いてますね、わたしえへへ…