古代ギリシャの快楽主義者は、

現実の煩わしさから逃れることを良しとした。

人生を「快」を求めることに費やした彼は

72歳で死んでいった。


彼の名をエピクロスという。


晩年、エピクロスは私に語った。


『エピキュリアン=退廃的快楽主義者』

今じゃこんな図式が出来上がっているらしいじゃないか。

酒を飲み、薬に溺れ、女を抱く。

そんな連中こそエピキュリズムの体現者だと。

冗談じゃない。

俺はただ、現実から目を逸らしても良いのだと伝えたかっただけだ。

ただ精神をくだらない檻から開放しろと

そう伝えたかっただけなんだ。

肉体の快楽など知ったことか。

毎日続く苦痛や不満を取り除くことに比べたら、

一体その快楽とやらがどれだけ小さな事か、想像すれば分かるだろう。

永遠に続く苦しみから逃れ、

平静なる心を持ち続けられるなら、

どんな快楽も悦楽も要らない。

それがどんな欲望であっても耐えるだろう。

何よりも大切なものは、そんな単純なものではないんだ。

だから俺は…


彼はそこで息絶えた。


彼の肉体は葬られ、そして今は見る影も無い。

しかし肉体よりも精神に重きを置いた彼のその魂は、

果たして今、何処にあると言うのだろうか。


彼からの伝言は、

今も静かに続いているのだ。