"ガラスの花と壊す世界"というタイトルには、どんな意味が込められているのだろうか。

そもそもが、わざわざ「壊す世界」という文法的に引っかかる表現をしているのだから、タイトルに引っかかりを覚え、それについて考える事は間違ってはいないだろう。
普通なら「壊される世界」とか「壊す者」といった表現になるはずだ。
おそらくこれも観客の解釈に任せられたものであり、その1つ1つが全て正解なのだろうが、自分なりの解釈というものをいくつか提示してみようと思う。

「ガラスの花」「壊す世界」が何を表しているのか。

それぞれが象徴するものを、と考えると、まず思いつくのは、前半を「リモ」、後半を「デュアルとドロシー」とする考えだ。作品の顔である3人である。

前半を「『綺麗なもの』」、後半を「そうでないもの」と考える事もできる。かなり直球の解釈だ。

それができるなら、前半を「夢見る心」、後半を「破壊する心」と捉える事も可能だ。後半については、地球に害を及ぼす人類の陰の部分、という意味合いである。

さらにより広い範囲に広げると、シンプルに「善意」と「悪意」とも言える。

「自ら望む心」と「命令に従う機能」とも言えるだろう。「能動」と「受動」とも言える。
それを「人間」と「プログラム」と言う事も可能ではあるが、リモやデュアルとドロシーのような者達の事を考えると必ずしも「自ら望む=人間」「命令に従う=プログラム」とは言えないかもしれない。
しかし彼女達は先述したようにもはや人間と変わりなく、そう考えると「リモ、デュアル、ドロシー(スミレを含めるのも可)」と「それ以外のプログラム」を指しているとも解釈可能だ。

前半を「守るべきもの」と見れば、後半を「戦うべき敵」と見ることもできる。壊された世界はウイルス(残骸)だからだ。

前半を「リモ」と捉えると、後半はデュアルとドロシーだけでなく、「mother」と捉える事もできる。そうなると「リモーネ」と「ダイアナ」とも言えるし、「娘」と「母」とも言える。
スミレはどちらに含まれるだろうか。「夢を見る者の象徴」として考えれば前半に入れるし、「壊された世界/人の象徴」とすると後半にも入れる。どちらに入っても、リモ/リモーネやmother/ダイアナとの関係性を考えるとそれぞれにそれぞれの組み合わせが考えられる。

他にも案はあるが、この辺りで割愛しておく。最初にも書いたが、それぞれ個人ごとの解釈全てがきっと正解だ。



ここまでするとかなり大袈裟だが、こうして作品について考える事は制作者側にとっても嬉しい事だろうし、何より考える側が楽しい。この記事が"ガラスの花と壊す世界"をより楽しむ手助けになれば、嬉しく思う。

2014年に公開された映画"楽園追放"の世界観では、ナノハザードという大災害により地球のほとんどが砂漠と化し、そこから100年先の未来では人類の末裔はそのほとんどが荒廃した地球を離れ、生存の場を仮想空間へと移している。
肉体を捨て、精神のみがデータとして生きているのである。
この図は、ガラコワの世界観と共通する部分があるのではないだろうか。

プログラムへと姿を変えた理由に能動的か受動的かの違いはあるものの、どちらも100年以上未来の世界では人類は仮想空間の中で生きている。
"楽園追放"側のネタバレになってしまうのであまり多くは触れられないが、例えプログラムとなっていようと、その中で生きている事には変わりない。それが過去の歴史のバックアップデータだとしても、元は人間ではないアンチウイルスプログラムだとしても。
"楽園追放"は人間とは何か、生きるとはどういう事か考えさせられる作品なので、観た事が無い人には是非ともそちらもおすすめしたいが、それは置いておいて。

完全に感情というものを獲得したデュアルとドロシーに、人間との違いはどれぐらいあるのだろう。
肉体を持たないが故に子孫を残せない、というのは生物学的に言えば決定的に違うが、そもそも彼女達が生きる世界ではもう人は増えも減りもしない。
老衰が無いから、子孫を残す、という概念そのものにもはや意味が無いとすら言える。

バックアップデータの元は本物の人間を模したもの達。彼らが元あった歴史の通りに生まれたり死ぬ事はあるとしても、それが歴史に無い形で起こる事は無い。必ず全ての人間が過去の地球に生きていたデータでありその記録であるため、その歴史のデータ自体を書き換えたり消去したりしない限り、基本的には個々のバックアップデータの人口が増減する事は無いはずだ。
いや、デュアルやドロシーのように、ただのプログラムが人間のようになる事なら、もしかしたらあるかもしれない。

生物の三大欲求と言えば食欲・睡眠欲・性欲だが、前2つはリモとの暮らしの中で獲得した。性欲(子孫を残す事)については必要性を否定できた。人間しか持たない感情も獲得した。
もはや、彼女達と人間との区別などつかないと言えるのではないだろうか。
バックアップの人格データと比較すると、デュアルとドロシーにしかできない事はたくさんあるとしても、その逆はほとんど考えられない。ゼロではないが、どんな可能性があるのかは各々の想像に任せてしまおうと思う。

ともあれそこから導き出される結論は、「デュアルとドロシーは人類の営みの末に生み出された一介のプログラムから進化し人間となった新たな人類の形である」というものだと考えられるのではないだろうか。
それはすなわち、人類の末裔、子孫であるという意味に他ならない。それが科学者達の言う「希望」なのだろう。
無限に続くあの世界で、彼女達は何を望み、どう生き、変化していくのか。作品としての物語はエンディングを迎えても、彼女達の"人生"はずっと続いていく。

motherは『綺麗なもの』を集めて、意思決定をしない人間を造り出そうとしていた。
「意思決定をしない」とは、「感情を持たない」や「何かを望まない」と言い換える事ができるが、ドロシーの言う通りそんなものはもはや人間ではない。それこそ「アルゴリズム通りに動くプログラム」と同じだ。
しかしそれ以前に、例え作中でmother(とマザー・リモート)が行っていた方法で「地球の邪魔にならない、意思決定をしない人物」を完成させる事ができたとしても、おそらくmotherが造り出そうと意図した通りの人間像はできなかったのではないか、と思う。

なぜなら、リモが集めていたものに「人間の夢見る心」が含まれているからだ。

以前の記事で
「人間の夢見る心」こそが『綺麗なもの』なのかもしれない
と書いたが、反復すると、冒頭のスミレもドロシーの家族も「夢」というキーワードを口にした時にウイルス反応が起きていた。そのため、これも以前述べた「ウイルス反応=『綺麗なもの』の発生」という前提に則って考えれば、「夢」は『綺麗なもの』足り得る、というロジックである。
他にも『綺麗なもの』に見なされるものはあるかもしれないが、少なくとも「夢見る心」は間違いない、という話だった。

それを踏まえると、リモは人間の夢見る心を集めていた、と言える。
夢見る心、つまり何かを望む心は、motherが必要無いとした「人間の意思」そのものである。
リモが集めていたものからは、motherが理想とした人間像を組み上げる事は不可能だ。

なぜそんな矛盾が起こるのか。
その答えはおそらく、「motherはリモに『綺麗なもの』を集めるよう命令はしたが、『綺麗なもの』が具体的に何なのかを指示しなかったから」だと考えられる。
だからこそ、「あれも綺麗、これも綺麗」となった時に、ウイルス(残骸)も新型が続々と現れるのだ。

具体的な指示が無いなら、リモ自身の思考でそれを見つけて掬い取る必要がある。
そこでなぜ「夢見る心」を『綺麗なもの』だと認識したかの理由は定かではないが、ひょっとすると、リモの中にあったリモーネの意思(=人間の心)がそれを『綺麗なもの』だと認識したのではないだろうか。
そうだとすれば、motherの意思は初期段階で既に人間の意思により阻まれていた事になる。
またそれは、ダイアナの意思が娘によって否定されていた、という事にもなる。これまでの記事で書いてきた事を踏まえて想像を膨らませると、娘の死をきっかけに人類全てを滅ぼそうとした母の意思を、その死んだ娘が否定した、とも言えるだろう。

motherが何を造ろうとしていたのかは、矛盾に塗れてもはや問題ではなくなった。
真に考えられるのは、機械・プログラムの意思に決して負けない人間の持つ強さなのではないだろうか。