「皆様の激励ご支援のお陰で任務を完遂し只今帰りました」
この横幕を掲げ、海上自衛隊掃海派遣隊は、約200日ぶりに祖国日本の地を踏まれました。
広島の呉港の海で真っ先に掃海部隊を出迎えたのは、400名余りの人々を乗せた「歓迎フェリー」。
私たち日文研の先輩方も、この歓迎行事成功のため奮闘されました。
ひときわ高い「万歳」の声。
「平和貢献ありがとうございます」
「尊い任務に心から感謝します」
との感謝の思いを伝えるために・・・。
同じ光景は横須賀・佐世保でも見られました。
隊員の方々の率直なお気持ちはどうだったのでしょうか。
当時の様子について詳しい「祖国と青年」誌を紐解き、引用させて戴きます。
黒の制服を身につけ、甲板に整列する隊員の顔は、ペルシャ湾の陽に焼けて、任務完遂祈願のために伸ばした縁起物の「ひげ」が目立つ隊員も、そこここに見える。
歓迎式典には、在日米軍から司令官セルナンディス少将も駆けつけ、
「国連の平和維持活動に協力し、最も困難かつ危険な任務を遂行されたみなさんの働きはまことに偉大なものでありました。みなさんは侵略と独裁、横暴に対する共通目的をもって結集した多国籍軍の機雷掃海作業に参加されました。日本政府や海上自衛隊の寄与なくして、このような掃海は成功を収め得なかったところであります。」
と、挨拶を述べた。この掃海部隊派遣が、国際社会における日本の貢献を世界に認知させたものであったということを改めて、感じる。
「生きて帰れてよかった。部下を死なせてはならないと自分に言い聞かせてきた」
とは、「さくしま」の渡辺水中処分長。掃海作業の「危険」は、私達の想像以上のものだったらしい。
「朝、作業に出発するとき、補給艦「ときわ」を見ながら、ああ、今日の夜も無事に帰ってきて、この艦を見ることができるかなあ、と、本当に不安でたまりませんでした。日数が経つにつれ、他国の海軍からの情報も入ってくるようになり、だんだん安心してきましたが」
と、「さくしま」の隊員の一人は語る。
思いがけず今回の大任に就いた若い隊員も多かった。高校を出てすぐに入隊したという24歳の「ときわ」乗組員は、童顔の面影もまだ残っていたが、
「今まで自衛隊はめちゃくちゃに言われてきたけれど、今回のようなことは自衛隊にしかできないのだから、自衛隊はやはり必要だと思った。」
側には福岡から駆けつけたというお母さんが涙をためて、「大丈夫とは思ってましたが・・・」と声をつまらせた。
「さくしま」の渡辺処分長は、今度の派遣を通して自分の中で一番大きく変わったことは、「自分の国」への意識だという。
「客観的に自分の国を外から見る体験をもって、今まで以上に「自分の国」というのを意識するようになりました。外国の海軍との交流ももち、見聞が広まりました」
「今後、自衛隊は積極的にそのような体験を積んだ方がいいとお考えですか?」との問いに「それはもちろんです」と。
国内での名誉が保障されないまま、重く辛い責務を果たした掃海部隊派遣隊員。本当にごくろうさま。ありがとうございました。その自らの誇りと名誉を、ずっと忘れないでいて下さい-と願う。「自衛隊」を日陰者にしないための私達の努力もこれからである。
「湾岸の夜明け」とは、世界の一部の人たちが掃海部隊の活躍によって救われたことを意味するのではなく、日本が戦後、「日陰者」扱いを続けてきた自衛隊が、いかに祖国日本の平和の礎として陰日向に尽くして戴いたか、ということへの感謝の思いを取り戻すことではないでしょうか。
「湾岸の夜明け」であると同時に「日本の夜明け」になった掃海部隊の方々の活躍であったと思います。