日曜日の朝、こんなCMが流れていた
不覚にも、私はこれで・・・・
勝手に、滝のような涙があふれ出てしまった
私には、3人のお婆ちゃんが居た。
今は、3人ともに亡くなってしまったけど
一人は父方の福島のお婆ちゃん。
離れていてめったに会えなかったけど、
何時だって、悪い脚を引きずりながら
内緒だよって、1万円くれる。
今、福島が、原発問題で、こんなに苦しめられるなら
お婆ちゃん、どう思っただろう(泣)
もう一人は母方のお婆ちゃん。
家は、歩いて20分位の所に住んでいた。
CMと一緒で…
当時食堂をやっていた両親は、土日子供の面倒が見れないと
土日には必ず、このお婆ちゃん家に預けられた。
口の重いい子だったので、最低限の会話しかしなかった
勿論ご飯はお婆ちゃんのごはん。
同じく古臭かった。
飲み物はいつもお茶だし、お菓子も、婆菓子と言われるような・・


子供が余り好んで食べない様なものばかりだった
無口な子が余計に無口になって行く
でも、古臭くてもお婆ちゃんのご飯は美味しかった
煮物は絶品で、今でも私はあの味を再現することが出来ない
どうやって作るのか聞いておけばよかったが。。。
中学になるともう、お婆ちゃん家にはいかなくなった。
そして逆に、お婆ちゃんが訪ねてくるようになっても
挨拶だけして自分の部屋へ、行ってしまった
良い子ではなくなっていたので。
お婆ちゃんもだんだん弱って来て中3の時に
倒れてそれっきり・・・
最後に来た時は、家でお風呂から上がり、
美容師を目指していた私は、髪をドライヤーで乾かして
あげたのが最後だ。
あの時お婆ちゃんが、嬉しそうに、あなたはセンスが良いから、
きっといい、美容師になれるよ~と言って、喜んでくれたけど
ロクに笑いもぜず、うつむいてしまった
美容師には、実際にはならなかった
今と違って、当時の地元の美容学校は、ヤンキーで
溢れかえっていたので、親に反対されたからだ。
でも、お婆ちゃんはなりたいものになれって
最後まで味方してくれた。
正直、お婆ちゃんが一緒に住みたいって言って来た時も
面倒くさかった・・・・・
散々お世話になっておきながら・・
中学時代は心がやさぐれていた。
ウインナー炒めて、ケチャップと、マヨネーズかけてみたよと、
テレビで覚えた、当時ハイカラ??な組み合わせを得意顔で出してきたのが
今でも忘れられない。
今でも、お婆ちゃんの作ってくれたお雑煮が世界一と思ってる
もう一人は嫁ぎ先の、つまり、国王の家のお婆ちゃん。
結婚するのに着物を3着も作ってくれて
国王も訳あって育ててくれたのはお婆ちゃんだ。
かなり厳しかったようで・・
でも働きづめの体は、小さくガリガリで、声もかすかだ・・
またまた、婆菓子を進めてくる。
ある朝、ごはんの支度中、
料理が苦手なお婆ちゃんは、何も口出ししないけど
毎回、お味噌汁の中に、玉子を落とすようにだけは言って来る!
でも儀父は味噌汁が汚れるから、もう入れるなと言う
義父と、国王は、何故かお婆ちゃんに冷たい
どっちの言い分を取るのか?嫁の立場として・・・
どうしていいか分らずに、私は入れなかった
お婆ちゃんは、それが気に入らなかったようで…
きっと、玉子入れて、豪華にしたいのは
昭和の人にはステイタス!

それをしてくれなかった孫の嫁・・・・・。
義父と国王は、ほっとけと言うけど、
なんだかお婆ちゃんに悪い気がして。
離れて暮らしてるので、腰が痛いと寝込むようになったと
心配していたら
お婆ちゃん、ご飯が食べれなくなっちゃって
余計に小さくなって・・・・サヨナラになってしまった(泣)
末期の癌でした。
今思うと、どのお婆ちゃんにも、
言葉にしてありがとうを言えていない
言葉に出して伝え合う事は恥かしくもあるけれど、
でも、とても大事な事だよね…
これはお婆ちゃんに限らず、普段の生活でもね・・・
世の中便利になりすぎて、何でもかんでもメールやら・・
活字だけで、気持ちは分らない
何かを伝えたい時に、その人が居なくなってから後悔しても
始まらない。
私は、ちゃんと伝えるべきでした。
このCM見たら本当に泣けて来てしまいましたよ
なんか淋しくて、でもとってもあったかい思い出です
お婆ちゃん達、ありがとう・・・・・
今更遅いよね・・・・。
ああ・・・この歌大好きです。
泣けてくる
9月も終わり・・・残り2か月・・・・・
最近、季節のせいか、年のせいか、
涙もろくて困る・・・。
不覚にも、私はこれで・・・・
勝手に、滝のような涙があふれ出てしまった
私には、3人のお婆ちゃんが居た。
今は、3人ともに亡くなってしまったけど
一人は父方の福島のお婆ちゃん。
離れていてめったに会えなかったけど、
何時だって、悪い脚を引きずりながら
内緒だよって、1万円くれる。
今、福島が、原発問題で、こんなに苦しめられるなら
お婆ちゃん、どう思っただろう(泣)
もう一人は母方のお婆ちゃん。
家は、歩いて20分位の所に住んでいた。
CMと一緒で…
当時食堂をやっていた両親は、土日子供の面倒が見れないと
土日には必ず、このお婆ちゃん家に預けられた。
口の重いい子だったので、最低限の会話しかしなかった
勿論ご飯はお婆ちゃんのごはん。
同じく古臭かった。
飲み物はいつもお茶だし、お菓子も、婆菓子と言われるような・・


子供が余り好んで食べない様なものばかりだった
無口な子が余計に無口になって行く
でも、古臭くてもお婆ちゃんのご飯は美味しかった
煮物は絶品で、今でも私はあの味を再現することが出来ない
どうやって作るのか聞いておけばよかったが。。。
中学になるともう、お婆ちゃん家にはいかなくなった。
そして逆に、お婆ちゃんが訪ねてくるようになっても
挨拶だけして自分の部屋へ、行ってしまった
良い子ではなくなっていたので。
お婆ちゃんもだんだん弱って来て中3の時に
倒れてそれっきり・・・
最後に来た時は、家でお風呂から上がり、
美容師を目指していた私は、髪をドライヤーで乾かして
あげたのが最後だ。
あの時お婆ちゃんが、嬉しそうに、あなたはセンスが良いから、
きっといい、美容師になれるよ~と言って、喜んでくれたけど
ロクに笑いもぜず、うつむいてしまった
美容師には、実際にはならなかった
今と違って、当時の地元の美容学校は、ヤンキーで
溢れかえっていたので、親に反対されたからだ。
でも、お婆ちゃんはなりたいものになれって
最後まで味方してくれた。
正直、お婆ちゃんが一緒に住みたいって言って来た時も
面倒くさかった・・・・・
散々お世話になっておきながら・・
中学時代は心がやさぐれていた。
ウインナー炒めて、ケチャップと、マヨネーズかけてみたよと、
テレビで覚えた、当時ハイカラ??な組み合わせを得意顔で出してきたのが
今でも忘れられない。
今でも、お婆ちゃんの作ってくれたお雑煮が世界一と思ってる
もう一人は嫁ぎ先の、つまり、国王の家のお婆ちゃん。
結婚するのに着物を3着も作ってくれて
国王も訳あって育ててくれたのはお婆ちゃんだ。
かなり厳しかったようで・・
でも働きづめの体は、小さくガリガリで、声もかすかだ・・
またまた、婆菓子を進めてくる。
ある朝、ごはんの支度中、
料理が苦手なお婆ちゃんは、何も口出ししないけど
毎回、お味噌汁の中に、玉子を落とすようにだけは言って来る!
でも儀父は味噌汁が汚れるから、もう入れるなと言う
義父と、国王は、何故かお婆ちゃんに冷たい
どっちの言い分を取るのか?嫁の立場として・・・
どうしていいか分らずに、私は入れなかった
お婆ちゃんは、それが気に入らなかったようで…
きっと、玉子入れて、豪華にしたいのは
昭和の人にはステイタス!

それをしてくれなかった孫の嫁・・・・・。
義父と国王は、ほっとけと言うけど、
なんだかお婆ちゃんに悪い気がして。
離れて暮らしてるので、腰が痛いと寝込むようになったと
心配していたら
お婆ちゃん、ご飯が食べれなくなっちゃって
余計に小さくなって・・・・サヨナラになってしまった(泣)
末期の癌でした。
今思うと、どのお婆ちゃんにも、
言葉にしてありがとうを言えていない
言葉に出して伝え合う事は恥かしくもあるけれど、
でも、とても大事な事だよね…
これはお婆ちゃんに限らず、普段の生活でもね・・・
世の中便利になりすぎて、何でもかんでもメールやら・・
活字だけで、気持ちは分らない
何かを伝えたい時に、その人が居なくなってから後悔しても
始まらない。
私は、ちゃんと伝えるべきでした。
このCM見たら本当に泣けて来てしまいましたよ
なんか淋しくて、でもとってもあったかい思い出です
お婆ちゃん達、ありがとう・・・・・
今更遅いよね・・・・。
ああ・・・この歌大好きです。
泣けてくる
9月も終わり・・・残り2か月・・・・・
最近、季節のせいか、年のせいか、
涙もろくて困る・・・。
