昨日、次回作のネタを仕入れるために、平池緑地公園を散歩してみました。
古墳公園で何かしてみたいな、とか、ここで本気の鬼ごっこをしたらと、いろいろとネタを書き留めます。
アトリエやどりさんにご挨拶に伺い、たわいもないお話から、道具のことまで、いろいろとお聞かせいただきながら、私は、アトリエの木の匂いに、父がログハウスを建て始めたころのことを思い出していました。
父は、自ら道化となり「アウトローな公務員やさけ」と周りを笑わせる人間で、本当に、人の良さがこうじて役職を良くも悪くも転々としました。
父は、そのクリア性においては絶対的な面を持ちます。祖父の自らが招いたトラブルにより家族全員が親戚に及ぶまでその痛手を食らった歴史もありますが、彼は、そこでも、その場所で耐えました。
だって、何を言われても、彼自身が悪いわけではないから。ただ、家屋は少し離れた別場所に移しました。
私は、幼いながら、どうして父はいつも外のことばかりして、私が一番悩んでいるときにそばにいてくれないのだろうと思っていました。
けれど有難いことに、そんな時には祖母や近所の人が遊んでくれていて、いつもテクテクと近所に出かけて行ったりしました。
父がログハウスを建てたときも、父は、自ら建てたかった憧れの「大草原の小さなお家」みたいなログハウスにし、内装は全て日曜大工で一年がかりで建てました。つまり、父は、「楽しみながら生き延びる方法」を知っていたのでしょう。
それが天性のものなのか、感覚的なものなのか、はたまた修羅に揉まれて身についていったものなのかは、未だに計り知れません。そして、父が、母と知り合ったのは、我が家のダースベーダー的祖父のお見合い大作戦のおかげであり、そして、私は今ここに生を受けています。そうすると、祖父にも感謝の気持ちが湧いてくるのです。
そうやって辿っていくと、行きつく先は、手塚治虫さんがもう書いてしまっているような気もするし、私がわざわざ書くことでもないので、皆さまには、手塚治虫作品の読書を推奨しておきます。
それでいてなお、私の作品を読んでくださるのなら、わたしは読者のみなさまが、「和歌山に来たくなる」・「和歌山をより好きになる」恋愛小説を書きづづけたいと思うのです。
さて、今日も、ありがとうございます。