3.11 | プチHappyの詰め合わせ

プチHappyの詰め合わせ

新米主婦の日常生活

あの東日本大震災から5年。
14時46分、テレビを見ながら黙祷しました。
津波被害や原発による放射能の被害、
何より思い出の詰まった家を失った方々や、愛する人たちの死に直面してしまった方々、愛する人たちを残して亡くなられた方々を思うと涙が止まりません。
せめて命を大切に、1日1日を大切に生きようと思います。


私自身は5年前は丸の内に勤務していて、18階のオフィス。
突然の地震でパニック。
デスクの下で泣き叫んでいたと思います。
会社の指示としてはオフィスにいるようにでしたが、余震が続きパニックを起こす私は上司の理解もあり、余震の中階段で1階へ。
夕方になっても電車は動かず、当時2歳の娘が心配で居ても立っても居られず、上司と共に歩き出しました。
ヒールの靴で。
上司は方向が違うのに品川方面へ来てくれ、でも歩いて帰るのは無理だと判断し、品川のオフィスで一晩過ごしました。
当時旦那さんの勤務地が変わり引越しを決め、でも引越し先の保育園が決まらず、旦那さんのみ新居、長女と私はしばらく実家に居候の身でした。
母が娘をすぐ保育園にお迎えに行ってくれてて、私は翌日昼頃ようやく帰宅できましたが、玄関を開けて2人の顔を見た時は本当に泣き崩れました。
それからも余震が続く毎日。
また帰宅できないかもしれないという恐怖の中仕事をしていました。
でも余震や緊急地震速報の音で震え出す私はきっと周りにも迷惑を掛けていたと思います。
会議中でも座っていられなくなったり、今思うとヒドイ状態でした。
本当当時の上司、周りの皆さんには感謝でいっぱいです。
実家でも私は母親でありながら、父と母に支えられて過ごしてました。
父は会社の事で大変なのに、家にいる時に余震が来ると私の背中をさすり大丈夫、大丈夫、と励ましてくれ、長女は母のおかげで安心して過ごせてました。
いつもこの日の事を振り返ると、辛い記憶と共に支えて下さった沢山の方への感謝の気持ちでいっぱいになります。
そして不安定な精神状態の中次女妊娠が発覚。
きっと亡くなった方々の魂も受け取り、私を強くする為もあり、神様が授けて下さったのかなと勝手に思ってました。


私はテレビやインターネットでしか被災地の状態を知らず、今こうして普通に生活できている事に感謝しているだけの状態です。
でも少なからずあの日地震を体感したので、やはり忘れられない日です。
今日は旦那さんが飲み会で夜ごはんがいらなかった事もあり、夜ごはんはさささと作れるものにして、ライトダウンをしました。
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本当は1時間と思ったけど、長女がツライと言うので30分間。
キャンドルの灯りだけで母子3人で色々話をしました。
長女はまだ?まだ?と聞くので、その嫌だと思う経験が大事だよ。
電気が付いて、温かい物が食べられて、家族が一緒にいられるのはすごくありがたい事だよ、と伝えました。
命を大切にしようね、と何度も言いました。
きっとお互い何かを感じ合えた気がします。
最後花は咲くを聞いて電気を付けました。

3.11 
軽々しい言葉は言えないから、
ただただ今日は命に感謝して過ごそうと思います。