昨夜のことです。
9時頃、玄関のチャイムが鳴りました。
「宅配便の人かな? 」
「毎日毎日夜遅くまで大変だなぁ」と思いながら出てみますと、隣の息子さんが立っておられました。
お隣は、電気工事屋さんをされておられ、息子さんがおられるのは知っていましたが、直接、顔を合わせるのは、はじめてでした。
「こんばんわ。隣の電気屋です。」
私たちの教会の駐車場とお隣の駐車場は、塀もなく、オープンになっており、その間にうちの室外機が何台か並んでありました。
その中の一台から音がしているということで、見てもいいでしょうかということでした。
私も、すぐ、暖房を消して外に出ました。
息子さんは、頭に電灯をつけて、仕事帰りということで、作業着姿でした。
室外機の回りに、氷がこびりついているのを少しずつ割っては外していきました。
相当、引っ付いていました。
「お疲れのところをすみませんね」「寒いのに」
「いえいえ、とんでもないです」
そんな会話をしながら、作業は、続きました。
お湯が必要ということで、息子さんも家から運び、私も、やかんで何度も運びました。
室外機の外の氷を落とし終わると、ビスを外して、中を見ました。
中もびっしりと、氷がついています。
「これですね。この氷が羽に当たっていますね」
お湯をたらしながら、少しずつ外していきます。
ふと、みると、素手でされていました。
根雪をかき分け、寒風の吹く中をそして、、暗闇の中を、
作業は続きました。
私も寒いはずなのですが、この息子さんの気持ちに温かいものを感じて、心も暖かくなっていました。
家の中からお母さんの声が聞こえました。
「お湯沸いたよ~」
「わかった!!」
私も「すみません。お世話になっております!!」
「あぁ、いえ、息子が好きでしているんですから!!」
「ありがとうござしいます!!」
このお母さんは、立正佼成会の幹部さんで、新宗連(PLや立正佼成会など、戦後生まれの宗教団体が加盟している団体)の会合でよく顔を合わせる人で、PLの教会が隣に来ることを知って、一番最初に喜んでくれた人でもありました。
さすが、心を磨くために信仰を続けてこられている立正佼成会の幹部さんのご家族は違うなぁと思いました。
結局、一時間くらいかかりました。
私が驚いていたのは、仕事帰りで、疲れている中を、また、関係のない隣のことをということもそうでしたが、「してあげている」ではなく「させていただいている」という言葉の端々からうかがい知れる息子さんの気持ちに対してでした。
お母さんの親切さは、常日頃から感じているのですが、あのお母さんがあって、この子ありなんだなぁということを思いながら作業をみていました。
「損得」という枠組みを越えて暮らしているところが素晴らしいと感銘しました。
「信仰」というものに対して、否定する人もいますが、やはり、心を磨き、自分中心の価値観を変えていくというための信仰というものは、必要だと思います。
まさに、そのことを改めて感じたひとときになりました。
ただ、信仰と一口に言いましても、その趣旨や目指しているもの、教え、主義主張など様々ですからすべてが当てはまるとは、言いがたいですが。
「子育て」の基本の中に、感性は親から伝わっていくものということがあります。
ですから、親の生き方や親の感じ方・思い方を高めていかないと、子供の思い方もよりよくなっていかないという法則です。
しつけや接し方だけでは、限界があるということです。
作業が終わり、お礼を申し上げましたら、息子さんもお礼をおっしゃり、別れました。
「この心の温かさ」
息子さんが作られたひとときでしたが、味わわせていただきました。
周りは、気温も下がり、寒気でピーンと張り詰めていました。