毎朝、6時前からお堀端から官庁街にかけてウオーキングをしている。
同じような順路を、おばさんが自転車を引きながら、歩いているのに出会う。
リュックを背負い、荷台には袋を括り付けて、前かごにも袋を置いている。
野良猫の住所を訪ね歩いて、餌をやっているのだ。
私は、このおばあさんを、親しみを込めて「猫ばあさん」と名付けた。
猫ばあさんがやってくると、こんなところに猫がいるのか?と思われるような場所から、
何処からともなく野良猫が這い出してくるの。
野良猫の住所も、時々変わることがあるらしい。
猫ばあさんは最近、裁判所の駐車場の入り口に住んでいた、黒猫の住所には
立ち寄らなくなった。
おばあさんは、くろちゃんと呼んでいた。
くろちゃんが、いなくなったのだ。
野良猫は数メートルおきに、二・三匹住んでいることが多いようだが、くろちゃんは呼んでも
「ニャー」と愛想鳴きなどもしない、裁判所の一画で孤高を保つ猫であった。
野良猫は、ある日突然いなくなる事があるらしい。
くろちゃんの境遇を慮ってみると、毎日猫ばあさんのあてがいぶちで生きていくのも、
嫌になってきたのだろうか?
自然の声が呼ぶのか、突如大悟し生き甲斐を求めて、敢然と放浪の旅に出たものと
思われる。
猫ばあさんの他にも、公園を巡り歩いて、野良猫に餌をやっている老夫婦もいる。
別の老夫婦は、お城の正門前に車を乗りつけて、内堀沿いに住んでいる野良猫を
尋ね歩いて、餌をやっている。
野良猫だけではない。
毎日お堀端の公園で、ハトに餌を撒いているおじいさんもいる。
野良猫や、ハトに餌をやっているのは、大概おじいさんかおばあさんである。
若い人がやっているところは見たことがない。
どうして、猫ばあさんは毎日毎日は野良猫に餌をやっているのだろうか?
金も掛かるし、毎朝おそらく5時頃から準備し、野良猫の住みついている
十数か所を回っているようなのだ。
2時間以上かかると思われる。
大変な労苦だ。
動物愛護の精神か?
もちろんそれもあるだろう。
孤独な境遇なのではなかろうか?
一人ぼっちで生きていくのは苦しい。
私も昔し、異郷で一人暮らしをしている時に、狂おしいほどの孤独感で、
天井裏のような下宿の部屋の窓を開けて、夜空を見上げていたことがあった。
人間は、周りに友人、親兄弟、話し相手になる知人がいなければ、生きていけない。
また、子供や孫がいても、遠く離れて暮らしていれば、会うことができるのは、
年に一度か二度だろう。
孤独を癒す手段は、なかなか見つかるものではない。
猫ばあさんは、寂しい日々の生活を癒すために、猫に餌をやっているのだろうか?
孤独な自分の境遇を、猫に置き換えて見ているのではないだろうか?
他人事ではない。
自分も、もしかみさんに先立たれたら?
子供も孫も、はるか他郷に住んでいる。
親しい友人も、遠い故郷にしかいない。
たまたま、通りすがりの地に住みつくことになった町には、親しい知人もいない。
私も、猫やハトに餌をやるようになるかもしれない。
しかし、それで孤独を癒すことができれば、幸せと言うべきかもしれない。