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まさのブログ

日常を謳った、のんびりブログ。

納得いかないこと ブログネタ:納得いかないこと 参加中

高校生のころ海外に興味があったかと問われれば、「あったようななかったような」というような曖昧な記憶しか持ち合わせていない。
仮にいざ「行く」とすると、不安よりも期待の方がかすかに上回る見込みはあるが、今現在の心理状態で(冷静に)考えてみれば、「行かない」選択肢も十分に考えられる。

日経に、というか朝からこの話題がニュースなどで賑わっていた。

高校生、留学に消極的 「日本が暮らしやすい」
http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819695E2E6E2E6988DE2E6E2E6E0E2E3E09180EAE2E2E2
"将来も含めて海外留学したいと考えている日本の高校生は46.1%で、日米中韓4カ国で最も低かったことが財団法人「日本青少年研究所」(東京)などが実施した高校生の意識調査で4日、分かった。"

日本人高校生に対してのアンケートに隣国(中国や韓国)のとの比較を加えて掲載してあるこの文章を読んで心が揺さぶられるほど不安に感じる。

高校生の回答に対してではなく、いわゆるこの「日本青少年研究所」の発表を始めとした「大人たち」に対してである。

日本人の投資に関する本に「日本人は世界的にみて、リスクテイクをしない(投資をしない)という目で見られているが、果たしてそうであろうか…」という文章を読んだことがある。

その本によれば日本人は世界と比べて投資に対して後ろ向きで、「金融リテラシーが低い」と世界の投資家などからはとられてきたが、いくつかの大きなショック、つまりリーマンショックやギリシャ恐慌などを経てふたを開けてみれば、投資関係の損の方が貯蓄を上回る結果に終わったと書いてあった。

結局どこの世界も、メリット・デメリットには敏感でその時々にふさわしい対応をとっているのだという主張であった。

もちろん投資が好きな人は投資を行い、貯蓄の「金利が低い=安定している」という安心感を採る選択も同じだ。結局はどっちがよりふさわしいかを選ぶことが大事なのだ。
勉強は投資なのだとして考えてみれば、今の高校生は海外に投資するよりも日本に投資した方が良いと考えているということだ。

これにより導きだせるものは、日本人は「投資ができない」ではなくて、「リスクコントロールを行った結果投資はしないという選択をした」ととることができる。

もちろん、銀行関係はお客さまにどんどん貯金をお願いしたいので、「貯金は美徳」のような導入の功労も多かろうと推測されるが、結局浮ついた話に比較的飛びつかないので結果は同じである。

そういう観点から見れば、いかにも高校生の姿勢を問題だと言い放つような言及は心中穏やかではない。高校生の皆様も過去と比較された結果劣っているとも取ることができる言われように「勝手にいってろ」というほかないだろうと推察できる。

何より現在の高校生はバブルを経験する年代から育てられた世代に育てられた様なものだ。

「危うきには近寄らず」はどの時代にも共通する教訓なのである。

そして、少子化により教師一人頭の生徒の数が年々減っていっている。(→充実した教育環境)
アメリカなどに比べれば自由は少ないが保証がしっかりしている。
都会も近い、国土の70%は森林である。
隣町まで何時間も移動しなくても良い
娯楽がある。
友達もいる。
戦争をしない宣言をしている



日本は住みやすい環境なのだ。
金銭も見栄も少ない子供たちがそれを身を以て発表している意見を尊重したい心情だ。

そもそも海外に行くということに後ろ向きだという話は以前から聞くが、今回の結果は誘導して作られたかの様な気がしてならない。

前向きであるメンバーはなんか楽しそうだから、ワクワクするから、英語をしゃべりたいから海外へ行っていたはずだ。

高校生の留学するしないの判断の材料は何より身近にいる大人から聞くことの多い若年層初期において、親からの情報を一番に尊重した結果ではないかと考えるわけである。

海外に行かない高校生の判断に影響を与えたのは他でもない大人たちである。

そういう意味で批判をする為だけに出された様な今回のアンケート結果を真に受けた高校生が「ああそうですか、したらば海外行かねばね」などと言う意思の変更を導きだせるかと言えば皆無であろう。飲酒運転がなぜ悪いかを説かずにただただ規制だけを厳しくすれば良いという法律ほど価値のないものだという印象を持たざるを得ない。

日本に留まる留まらないの選択も、海外に行く行かないの選択も、全く子供扱いをする必要はないと考えるのである。大人であろうが子供であろうが、身近にいる人間の意見には影響されやすいものだし、何より本人がそう思ったのであればそれが結果なのである。

自分の選択を、うまく説明できない機微を、「面倒だから」と答えることに非難を集中砲火させたとて、一層にげんなりするだけである。

さらにいまよりももっと海外に行きにくかった一昔前でも行く人間は海を渡っていた事実を踏まえれば、そう悲観的になる必要もないと考えるのである。

「行くのは別に良い。でも今じゃない。」そう捉えたのではないかと感じずにはいられない。

つまりメリットである以下

外国人へのあこがれ
海外へのあこがれ
親から離れる手段
英語の勉強

が、デメリットである以下

物理的・心理的距離
語学の壁
身内から離れるストレス
漠然とした不安

を下回っただけである。

海外に渡る人間がこれから必要かどうかすらがそもそも解らない。
これからは翻訳の質も向上してくるだろうし、英語は日本でも十分に勉強できる。

異文化に触れることも特にありありとしたメリットとして挙げられない上に海外にいることによって失う日本での時間をデメリットだととるならば「海外に行けば価値観が広がる」ことがそんなに良いことなのか悪いことなのかも判じることもできないし。


つまり大人が「海外に行くことがそんなに良いこととも感じられないし、、でも、悪いことじゃないよね…色々な経験をすることは。」程度の海外留学のメリット感がそのままこの結果につながったのではないかと考えるわけである。


内容は実態調査のアンケートだ。以前に比べてそれが劣っているかの様に見えたとしても環境や情勢が大きく関与している。偏った報道をしないでいただきたい。


禁煙推奨サイト を公開しました。

禁煙を成功させるに色々書いてるんですけど、禁煙禁煙言ってると、たばこ吸いたくなりますね(暴露)

禁煙をするためにはいろいろな方法が存在して人にはそれぞれのやり方があって違います。


禁煙は正直やった方が良いです。いつでも禁煙出来るって人は、それで良いです。もし、禁煙して失敗したらきて下さい。色々書いています。

でもやって、失敗してもう二度と出来ないという気持ちになるのであれば、それが一番まずいので禁煙をするときには注意が必要す。


注意を払うためにもっとも大事な、失敗したときの予防線の意味では、それよりも最善の手(禁煙外来)をとっておく「奥の手取っておく作戦」が良いです。

禁煙中は禁断症状が出てきて心身ともに余裕が無くなって行きます。

そんななかで、次の手があるかないかは大きな心の余裕になります。

人間自分でどうするか(逃げるか、逃げざるか)選べる状況では、そういうやり方の方が適してます。と思うっす。

絶対禁煙できるかどうかって言うのは言えないんですけど、かなりの確率でやめられる方法がやっぱり禁煙外来なんですよね。


成功率はダントツで、7~8割ぐらいは成功せいてます。
これも数字の妙で、失敗してる人は始めからやめる気がなかったか、あまりにも禁煙に対して認識が甘いかのどちらかで、ある程度の知識を持って、しかも何度か自分で行う禁煙を失敗した人はかなり最適な方法で、あんまり失敗したという話は聞きません。

であるからして、何がいいたいかというと、禁煙のなんたらに関してはサイト に書いてますんで、こっちは一回来てみて下さいって言うことを言いたいんですけど。


そういった内容を公開してます。
禁煙サポートサイト




今日は春なのでクイズを出します。
東京大学生の正答率が27%だった問題だそう。
ネットに乗ってたのが2007年だからそれ以前のものだね。
いつも答えの無い問題ばっかり考えてる訳じゃないぞぅ。


問題 
父、母、兄、妹の四人が目の前の橋を渡ろうとしている。
橋を渡るのに父は1分、母は2分、兄は5分、妹は8分かかる。
橋を同時に渡れる人数は最大二人。二人で渡る場合は遅いほうの歩速に合わせなければならない。
またこの橋を渡るには「通行許可証」が必要である。
四人は通行許可証を計一枚しか持っていない。
しかし一人がNTGの通行許可証を持っていれば、その人を含んだ二人で渡ることができる。

さて、この四人は最短何分でこの橋を渡ることができるだろうか?



























考えたかな?
































まだかな?











































ででん。






























計17分 答え↓












































































あ、


































まちがえた











































答えは15分だったー













































解説

行き来を示す。
父=1分
母=2分
兄=5分
妹=8分


1 兄妹→2分→父母
父母が渡る

2 父兄妹←1分←母
父戻る

3 父→8分→母兄妹
兄妹が渡る

4 父母←2分←兄妹
母戻る

5  →2分→父母兄妹
父母渡る



計 15分が最速





結構知ってる方おおいかもしれんです。



ベーシックインカムをご存知だろうか。

ベーシックインカムを導入すると、みんな幸せになれるんだと。
可能性について今考えてる。

ベーシックインカムは以後「BI」ね。
あと、わたしは仕事することは反対はしない。やりたい人もいるし、偉人は仕事をするし。

中高年、若年層、という言い方の中にはステレオタイプ的なイメージを含有させていることを前提としてお読みください。
「我々」という表現にはわたしが含まれます。私たちも同。

おじさまおばさまにもすばらしい方々はいらっしゃいます。若者の戯れ言を広い器で許してやって下さい。
中高年の皆様には少し偏った意見だと思いますが、もしくは新入社員時などを思い出して読んでいただけると嬉しです。

○ とりあえず働きたくなければ、働かなくても良い社会BI

BI自体は議論にも挙ってたし結構前から考えていた。
事実賛成論反対論ともにどちらもよく納得できる。

BIとは全国民にすべからくお金を渡して、最低限の生活を保証する。というものだ。
年金制度がまさにわかりやすい例だが、対象者が高齢者だけではなく、年齢、性別関係なく一定の資産水準を超えない全ての人間にお金を渡す制度である。

とりあえずまとめてみようかね(Wikipediaより)

利点

貧困対策
少子化対策
地方の活性化
社会保障制度の簡素化
行政コストの削減
労働意欲の向上
景気回復
余暇の充実
非正規雇用問題の緩和
犯罪の減少
ブラック企業の矯正
産業空洞化の防止

課題と批判

財源の不安
精神論的なもの
使用方法に関連するもの
経済学的なもの
現行制度との兼合い




甘えか、そうではないかの議論は置いておきまして、働きたくないという人間にむざむざ労働を強いる事は心理的には奴隷制度がちょっと改善された様なものである、と思わなくもない。

うつが甘えではないという事が最近ようやくなんとなく浸透されてきた昨今だからこそ、「働きたくない」という人間に「甘えだ、働け」というのは何の改善にもならないのではないかと。

新たなうつを生んでもどうかと思う所存だ。

労働至上主義という思想が現代の社会では徹底して刷り込まれている。日本に限らずいくつかのいわゆる先進国の間ではおなじだけど。

なんだかんだで働くことを前提に学業を修めているから、それから逸れることは予定外の惨事で、カオスそのものなのだろう。

日本人は教育を受ける義務を負っているから…そう信じているからこそ、そこが歪むことを異常に畏れる人がいるんだろう。

嫌々であれ「仕事=やりたくない事もする」を強制されてきたが故なのだろうが、そういうことを主張する人間でさえ労働思想の犠牲者なのだ。

大事なのは「そういうもんなんだ、しょうがない」で考えを止めることではない。我々はどのようにして理想を実現するかを考えることだ。
理想を追い求めることが若者の専売特許じゃ。若者の理想は中高年にはまぶしすぎて直視できないのだ。だからこそ中高年は「きれいごと」だと過去の自分ごとばっさり切り捨てる。

きれいごとだ…と切り捨てるのは簡単だがこれまでの人間社会はきれいごとでしか成り立っていないことに気づいていない。

空を飛んだライト兄弟も、車を作ったフォード氏もきれいごとの産物だ。馬を乗り物にしていた時代に鉄のかたまりで移動するイメージを思い描いていたのだとすると嬉しくなる。

そういう観点を認めれば、少なくとも足を引っ張ることはやめようね。

もちろん、「そんなんだ、しかたない」といって、それなりに人生を楽しめているのならば、変える必要も無いというもの。だが「きれいごと」メンバーを貶さないでほしい。許容の範疇じゃないし。それはあなたらの仕事でもない。

「働いている人が偉い」という考え方はもう古い気がする。

むかし読んだ誰かのブログだったけど、その作者の子供の頃に父母から聞いた話はわくわくすることばかりだったのだと書いてあった。
大人になった頃には機械が人間の暮らしを楽にしてくれていて、人間は働かなくてよくなるよと言っていた。

しかし現実は、機械が人間の仕事を代行することによって新人の仕事を奪い、育成を危ぶむことがそのまま就職率の低下をまねいている。
新入社員自体がそれ相応のレベルを持っていないと入社自体ができなくなっている、という風にも推察できる。
新入社員の雇用数の減少には、そういった背景も絡んでいるのだろうと推察。

機械が人間の仕事を代行した。それは確かだ。
しかし人間の考え方が古いままであれば、その変化を「良い」ものとして捉えることが出来ないのではないか。
人間の考え方が古いままであれば、その改変は「悪」にしかならないということだ。

これは…う~ん正直上の世代に言って聞かせなければならないと思う。若い年代は年功序列制度縛りのために、上のメンツにはハイで答えなきゃ行けない風習も根強いし、未だに「最近の若者は~」で話を始める連中には特に聞かなきゃいけない。

ラインとしてはダイアモンドオンラインを読んでる自称会社の人材育成メンバーは末期な感じがするね。
あの辺の「最近の若者」論を聞いてると日本の将来が不安になるw


ただ、オヤジらの若者論が浸透しないのと同じ理由で、若者の「中高年論」も通用しないだろうから、おれらの意識を変える必要も同時に出てくる。

解りやすいことで言えば、若年層にも「ゆとりは~」と言ってるメンバーはまんま「若者論」を振りかざす連中の遺作だろうと考えるね。言ってたって始まらないことを少しでも優位に立っていると勘違いしている時点で自分らがされたことを形を変えてしているだけだ。オヤジらと何ら変わりはない。

「ゆとり論」は言っている方が「ゆとり世代はバカだ」という方程式を勝手にこさえている可能性が高いから、ゆとり世代にいる優秀な人材を見つけることが出来ないで終わる可能性が高い。

先入観は中高年の「若者論」に苦しんできた(かどうかも考えることが必要だが)我々が気をつけたいところ。


そういった理由でBI導入に関しては俺らの価値観の変革が求められているし、今のところはどこの世界も成功はしていないのではないかと思う。

仕事をすることは悪いことではないし、これから先、義務的に強制されることが少なくなれば、そういう風に考えるメンバーはどんどん増えると予想される。

したくない仕事から、やりたい仕事へのシフト。

仕事の目的は何時だって自己実現だ。
自分が人の役に立っているという事実が報酬であっても何ら問題が無い。

もちろん最低限の収入で生活できるのであればそれでも良いし、お金が欲しいと思えば働けば良い。
「働く、働かないを選ぶ自由が生まれる」それがBIだ。

そういう意味でBIは有効であると考えるのである。


○ 不安要素

ご存知の通り、人間は欲深い、というか現状に満足してしまったら新たな希望が出てくるものだ。
正直これはこれでまたその時その時に考えて行けば十分に対処できると思う。
そのときになればまた主張をしてくる面々が出てくる。それらをまた考えて行けば良いと思う。

おそらくBIが導入できれば、様々な法改正が実施されているだろうから、人間に乗り越えられないものはないね。

どのように法律を改正して行かなければならないかの方が重要だ。起こってもいないものを、起こすために超えなければならない問題より先に吟味してもしょうがないだろう。

労働の義務をかえることは言うまでもないけど、それに追随して、それらで利益を得ていた面々は猛反発をするだろう。
「働かない」はシステムであり、思想ではないのだが、心理的に云々、心情的にうんぬん、心理面を形度って言ってくる可能性大だ。

間違った主張じゃないけど。

この辺は実際に実施されなければ解らないことだらけなのである程度の考察で現段階は良しとしても、もっとも考えなければならないものがある。

財源だ。

正直日本の総資産からは足りていないようにみえる。
日本の税収のうち社会保障に関するものが約100兆。
そのうち年金は約50%の50兆で、年金制度は廃止で一律受給になるので、年金の分を全てまわして、50兆。

それに加え、複雑で節約の聞かない厚生労働管轄の年金事務所、およびそれに付随する全ての年金関係のものが一切削減になる。人間も雇う必要ないしね。

もちろん不正受給を見抜く面々も要るけど、おそらくこれが数十兆になると思う。

おお結構行けるんじゃね?

財源に関しては今ある中で出そうとするから増税って言う風になるけど、システムを単純化すればその分雇用率は下がるけど、経費が浮く。

ただしBIが始まってこれと同等の税収が見込めるかどうかは定かではないね。
もちろんそれをさせないのがシステムの質によるが、今までの水準を落としてしまうのであれば本末転倒だ。
働きたいメンバーは働きたい方でより必要とされるから、定年制度も廃止は固いでしょう。
労働による納税額も増えるが、ここら辺もこれまでの刷り込み学習でまだ何とかなるレベルなのではないかなと思う。

これまでの給料が下がるメンツからの非難は間違いないが、富の再分配が国の仕事の一つだ。
廻りだせば30年もあれば定着すると思われる。


そういう訳でまとめると、
賛成4割 反対6割だな。

メリットは大きい様見えるけど、判断できないデメリットが解らない。
パイの全体が解らないから、その辺の不安要素を勘案しても賛成割合4割は、賛成寄りだと言えるかもしれない。

革新的で面白いとは思う。
考えてみようか。

復唱になりますが、すばらしいおじさまおばさまはいらっしゃいます。ごめんなさい。
全て人の話ではなく一般的なキャラクターをもった団体を中高年や若年層だとしての記述です。

可能性の話を楽しんでいただければ幸いです。


ちょっとだけ過去の記事を読み返していれば、自分の誤字脱字がことさらに多いことに気づき、自分の指使いがわるいのか単純に指が凝り固まっているので悩んでいるとすぐにある答えが降りてきたのは先ほどのことです、、やはり再チェックは必要です。

そんな小にくらしい指をもつわたしですが最近考えて止まらないことがありまして。
会話がうまい人っていますね。会話がうまい人は何がうまいのでしょうか。

自分の感情を伝えることがうまいのでしょうか、それとも単語を沢山知っていて機微を表現できる人でしょうか。


○話上手は聞き上手な人

人間誰しもテレパシーなんて言うものを持っていれば、会話の必要も無いのに、ということを時々感じます。それは単純に「言わずに伝われ」という怠惰以外の何物でもないのですが、言葉を経由せず頭の中の活動そのままを共有できれば、感情も共に伝えられるんじゃないかなという風に思って見たりもしますね。まぁ四六時中エッチなこと考えてたら困るかもしれないですけどね。

自分の話をしたい人は他人の話を聞くべきです。なぜなら相手の話を聞くと自分の話も聞かなければ…という気持ちになるからです。これを返報性の法則と言いますが、人間は何かをしてもらったらお返しをせねばという心理が働くためです。

「いいや!そんなことは聞いてない話が噛み合ないんだ!どうしょうもない」なんて言ってる方は要注意です。
熱くなっているしゃべる人から伝わってくるものはなんでしょうか。怒り、焦り、強制、萎縮、熱…。逆の立場になって考えてとき、あなたはあなたの話をききたいでしょうか?


○コツは逆になったら、、その話「あなたは聞きたいですか?」

人間の心理活動はシンプルで複雑です。どうシンプルかというと嫌なものには嫌だと反応してしまいます。そしてなぜ複雑かというと、そういう気持ちを表立って出すことは悪いことだとか、相手を傷つけ無いようになど様々なかせをかけて言葉を発します。わずらわしいよね。

案外「こうしろああしろ」とわめいている人は逆にすんなり話を聞かれるとしゅんとなってしまうケースがあります。
これは要望以上の要望を行った結果「いや…そこまではないけど」と大げさに誇張した内容をつたえていたことになります。

結局は「何を伝えたいか」「自分の意図はこれこれだよ」というものをしっかりと押さえること、そして分かる様に伝えることが第一に重要視すべきことであると言えます。まちがってもそこに憤怒や怒りはいりませぬ。


○自分の話を聞いてくれ!も全うな意見


おれの話をきけ!
あたしの言うことをきいて!

これは素直な気持ちなのです。
しかし相手は鏡、自分が聞いてほしいときには相手も聞いてほしいのですから、優しくてもその言い分は半分以上は通らないでしょうね。

なぜなら相手があなたの話を聞かなければならないのであるのと同時に、あなたも相手の話を聞かなければならないのです。
その際に自分で下す「おれは(あたしは)聞いている!」という判断は、主観であるが故にあてになりません。本当に話を聞いている状態というものは相手がそう思うことによって判断されるからです。

では人間が相手の話を聞けなくなるときはどんなときでしょうか。



○人間の非常に大きな弊害「正しさ」という多価値観

人は相手の言っていることが「間違っている」「正しくない」と思っている時に、相手の話を聞けなくなります。
話を聞いていても、「いや、そうじゃない」とか「間違っている」というという判断が「理解をしよう」という姿勢から「どうやって間違いを正そう」という風に変えさせます。

それは価値観を押し付ける行為です。

正しさって言うのは強いのです。どんなに雄弁に語っていても、間違いの発見で萎縮してしまう。
強いのですが、正しいことがいつも正しい訳ではない。
理数系が重宝される社会(筆者の主観です、理数系学科にいると「おお」ってなるから)においては答えが一つであるケースは多いです。(それでも複雑になると答えは複数になるかな)

しかしながら、人間のインタラクティブな社会に於いて、正解は一つではありません。

あなたが当然怒るところで、人は怒らなかったりします。

話を聞く行為は、相手の間違いを正す行為ではありません。
ありのままに受け入れることがあなたが相手の話を聞くということです。


仮に、大きく間違っていることを言っていても、いつかの段階で正せるチャンスが来ますし、少なくともそのタイミングは聞くタイミングなので、別日にでも。
あなたの相手はそんなに頭は悪くはありません。なぜならここまで読んでいるあなたの相手ですからね。(そう相手を信じることも信頼です)

「価値観は人間の数だけあります」

この価値観も主観なので、これを相手に強要するとそれもおしつけになります。

しかし押し付けないで伝えることが出来ます。価値を共有できれば良しです。

つまるところあなたの「器」の広さが、「話を聞く巧さ」ということになります。

それはつまり相手を大事にするということにつながるのです。