企業がゲームを作るときには大抵ターゲットを決める。
こういう層がこれくらいいて、この層を狙ってこういう企画でいけばこれくらい儲かりそうみたいな感じ。

企業は営利目的の組織だから当然だ。何もおかしい所はない。

別にゲームに限らない。
デザインの専門学校行った時もそう教わった。
デザインはクライアントが意図する物をターゲットに伝えるための物だ。
デザイナーはクライアントから受注するだけではなく、自分でクライアントに企画してもいい。
いずれにしてもデザインは自由に出来ない。

自分が作りたいものを勝手に作って買い手を探す人達はアーティストと呼ばれる。
ではアーティストはデザインをしないのか?
そんなことはない。

デザインという言葉は意味が広すぎて難しいけど、物を作る前には必ずデザインの過程がある。
カタカナを使わずに言えば設計をする。


話がそれた。

専門学校で何か課題を作ったときも仕事で作ったときもゲームに限らず企画書にはターゲット層を決めて書いてきた。
そこに今まで書いた物は全部嘘だ。

学生、女性、主婦、子供、通勤時間に簡単なゲームをやる人、ガチゲーマー、全て違う。

俺は俺が作りたいゲームしか作らない。だからターゲットは俺だ。
そのゲームが儲かるかどうかなんてどうでもいい。

金が沢山欲しかったらゲームなんか作ってない。
金になることをやればいい。

だから企業でゲームを作らされたいとは思わない。
金があることに越したことは無いが、金を得てなにをしたいかと言えばゲームが作りたいと答える。

つまり、他人のためのゲームを作るのは自分のためのゲームを作る回り道だ。


俺は自分が欲しいオモチャがこの世に無いからそれを作る。
この世に無いものはいくら金を積んでも買えない。
それを作れるのは俺だけだ。

無職になった理由とは直接関係無いものの、これは無職になってもいいやと思える理由ではある。

俺は勝手に作りたい物を作れば良い。

デザイナーではなくて、アーティストといった方が正しいかもしれない。

単に自分の事をアーティストと言いたいだけの人みたいだけど
そうなんだからしょうがない。

幸いにも人が面白いと感じる物と自分が面白いと感じる物がかすりもしないほどの変人的な感性では多分無い。

好き嫌いはあるものの面白いと思うゲームを共有できる人はいるし、自分が過去に作ったゲームを面白いと言ってくれた人もいる。


ゲームの話題で、
面白さの定義とは?
と言った議題がたまに上がる。

それは論理的に定義出来ないと証明できる。

定義されたものを人は面白いと感じない。
証明終了。

定義が無くても自分が面白いと思うゲームを作るのは簡単だ。
自分が面白いと思う様に作れば良い。
面白くない所は修正する。

他人が満足するかは分からない。


専門学校ではデザインを学ぶことに誇りを持っていたのかアーティストを見下すような風潮の人達もいた。
その時は俺は特に何も思ってなかった。

あいつらは自分の作りたいものをただ作ってるだけ。

今考えると、とても良いじゃん。と思える。

同じクラスでデザインを学んだ人の中に、クライアントから何かを受注するわけでもなく自分が描きたい絵を書いて個展をたまに開いて売っている人がいる。

同じ教室で同じ授業を受けてても同じ事を学んだとは限らない。

デザインを学んでアーティストをやっているだけだ。
とても良いと思う。

彼女の絵は別に好きじゃないけど。


話が変わる。
俺はゲームを作ると言った。

ただ、ゲームだけとは言ってない。

作りたいものはいくらでもある。
俺が欲しい物はこの世に全然足りない。

ゲーム作りは続ける。今は次のーム作りのための準備は一応進める。
作りたい時に作れる技術は習得しておくべきだ。
今すぐゲームを出さなきゃいけないなんてことも全然無い。

今は他の物を作っている。