昨日


長男の命日を


終えましたが




実は


長男の命日の日は


もう一つ違う意味があるのです。




それは


母の誕生日なのです。




母の誕生日に


長男は亡くなりました。




長男が亡くなって


何回目かの命日に




何人もの方が


長男を想い


私達の気持ちを想い


手を合わせに来てくださり


感謝だな…と


思っていると


電話がかかってきました。




母からでした。




電話に出たとたん


母が


「今日は何の日か知ってるか?」


と言うのです。




私が言葉に困って


「えっ?」と言うと




「今日は、お母さんの誕生日やで。


あんた忘れてるんと違う!?


お誕生日おめでとう


ていう電話もないから


忘れてるんじゃなかなと思って


電話をかけたんよ」





言ったのです。




さすがに


その時は


ムカッ~~~として




「あんたこそ


忘れてるんやないか!?


今日は、長男の命日や!


こんな日に「おめでとう」なんて


言う気にもなれれへんわ!!




命日の日に二度と


お母さんの誕生日を祝うことなんて


ないわっ!!」





言ってしまいました。




今ならムカッ~~の


元がよくわかります。




家族以外の人でさえ


命日を覚えてくれていて


想いを馳せてくれているのに




祖母になる母が


全く命日を覚えてくれて


いないことに


腹を立てていたんですが




そこには


母に対する


身内ならこうしてくれるだろう


という思い込みや期待があり




特に


母には幼少期から


虐待を受け


子どもを想う気持ちがない人だ


と、思っていただけに




やっぱり、変わらない態度に


怒りが込みあがってきたのです。




つまり


母から愛されたいと


思っていたのです。




あんなに嫌いだと


思っていた奥には


母からの自分勝手な愛ではなく


私の求める


愛がほしいと


思っていたのです。




自分で書いていて


笑っちゃいます(^^;)




そんなの無理に決まっている。


母には母の価値観があり


母なりの愛し方で


愛してくれているのに




私の想い通りの愛がほしい


なんて言ってもね…(^^;)




今までは




母のような母親だけには


なりたくない!!





母を反面教師にして


生きてきましたが




結局は母を基準にしていることに


違いはなく(^^;)




色々


心理学やコーチングを学ぶうち




まぁ


どこまでも自己中心的な


母の生き方もありか~




だからといって


母のように生きたいか


というと


そうは思わないけれど




生き方の


バリエーションの一つだよな。





思えるようになりました。




すると


ふと




長男の命日の日に


あ~


今日は、母の誕生日か…


二度とお誕生日おめでとう


なんて言わないって


言ったけど




誕生日プレゼントを買って


おめでとうって


言ってあげようかな…




という気持ちになり




早速


母が足元が冷えて辛いと


言っていたので


レッグウォーマーを買って


9年ぶりに


プレゼントを持って行きました。




思いたって行ったので


母はおらず




机に


お誕生日おめでとうの


言葉を添えて


プレゼントを置いてきました。




もう


二度と


お誕生日おめでとうなんて


言わない!





言ったけれど




また


お祝いしたい気持ちに


なれたことが


嬉しいです(*^-^*)







のちに


母から電話がかかって


きたのですが




プレゼントをもらって


嬉しかったこと。


母のお友達もお祝いに


ケーキをくれたこと。


息子(私の弟)に


お祝いに食べに連れってもらって


嬉しかったこと。




そんな自分の嬉しかったことを


一方的にしゃべって


電話を切りました。




お母さん。


今日は、長男の命日なんですけど…(^^;)




いや~~


母はすごいです。


どこまでもマイウェイです(^v^)




以前なら


腹が立って


「何考えてるんや!!」




と、怒りマックスに


なるところですが




もう電話が切れた後


笑いが止まりませんでした(^v^)




母のようにまでは


なりたいとは思いませんが


ちょいと


『自己中心的』


とことん自分を中心に


自分を大事にする生き方


私の人生に取り入れて


みてもいいかも~(*^▽^*)♪




人生


いろんな生き方の


バリエーションがあり


それらをいっぱい知ることで


自分はどう生きるか


自分で選択して


自分の人生をデザインする。




それをするために


いろんな価値観の人と


出会うんだな~




ダメ出しせずに


しっかりいろんな価値観に


触れていこう!




なんて


想いました。

それに
今までは
愚痴ばっかりの母が

嬉しい気持ちになったり
感謝の言葉を口にしているだけで
すごくいい感じだよね~

な~んて
思ったりもして(^v^)




昨日の


長男の命日。




いろんなことを


想った1日でした(*^-^*)





・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ 


発達障がい児・家族サポートセンター


『live with ~ともに生きる~』




では


いろんな価値観の人の


心に寄り添いながら


ともに生きる場を創ります。






発達障がい児・家族サポートセンター


『live with ~ともに生きる~』




代表 薮本啓子


問い合わせ先 090-8754-4682

















今日は

長男の9回目の命日です。


どれだけ年月が経とうとも

やっぱりこの日は

胸が詰まり涙が溢れ

切ないです。


命日は命の日と書いて

命日です。


長男の命が

この世からあの世にお引越しをした日。


そして


私にとっては


命には限りがあって

それは、いつ訪れるかわかない。

明日死ぬかもしれない。

今日がこの世での最後の日なら

今日をどう生きる?


そう長男の突然死を

経験したことから


死を間近に感じ

どう死にたいかを

考えるからこそ


今、ここをどう生きるか

自分の命をどう使うか

自分の生き方をしっかり考える日となりました。


この命の日の命日に

毎年、していることがあります。


それは

エンディングノートを書くことです。


自分のために

そして

家族のために


私が死んだ時

どうしてほしいのか

または長男のように

突然死だったら

愛する人たちに

感謝のメッセージを伝えられないから

普段からも伝えておくようには

していますが


想いを込めて

最後のメッセージを書いています。


エンディングノートを書いていると

周りの人に言ったら


「縁起でもない」とか

「そんなこと考えるのは

まだまだ早いわよ~」って

言われることが多いのですが


死を考えるのは

縁起が悪いことではなく

自分の命としっかり向き合い

どう人生を生きるのか

真剣に考えること。


死を考えるのに

まだ早いはなく

どんなに若くても

どんなに元気でも

今、この次の瞬間

突然、死は訪れることもある。


それを痛感しているから

もう同じ想いをしたくないから


私は死をしっかり意識し

そして

生をしっかり感じ

今日、この瞬間(とき)を

大切に大切に生きる。


そして

それは、この世に生きる

全ての命も同じ。


今、こうして生きられているということは

本当に奇跡であり


たくさんのたくさんの

命のバトンが引き継がれて

今、私達は生かしていただいている。


そんなすべての命を

私は大切にしたい。


そして

一つ一つの

大切で奇跡のすべての命と

ともに生きよう。


そう思います。


そんな長男の命日でもあり

命をしっかり向き合う日である今日


私は


発達障がい児・家族サポートセンター

『live with ~ともに生きる~』


を立ち上げました。


発達障がいがある子どもと

ともに生きる。


発達障がいがある子どもを

一生懸命子育てしているご家族と

ともに生きる。


障がいとともに生きる。


子育てがしんどいくて、子どもなんて大嫌い!と

想ってしまう感情を無くそうとするのではなく

その感情とともに生きる。


障がいがあるなしに関わらず

全ての人達とともに生きる。


どんな特性、個性があろうとも

どんな許せないような感情があろうとも

自信がない

生きる気力がない

自分を、相手を愛せない


どんな心の状態であろうとも


それらを乗り越えようとも

乗り越えられなくても


そのままの自分と

ともに幸せに生きる。


そして


私はそんな人たちと

ともに生きる。



live with の後ろには

いろんな言葉が続きます。


○○とともに生きる。


このサポートセンターでは

いろんな『ともに生きる』場を

創っていきます。


・相談、カウンセリング

・学習サポート

・不登校対応

・余暇活動、イベント

・講座、講演会 


サポートセンターの詳細は

また後日、載せさせていただきますね。



長男の命日の日に


発達障がい児・家族サポートセンター

『live with ~ともに生きる~』


を立ち上げたのには

私のもう一つの

『ともに生きる』の想いがあります。


長男の命とともに生きる。


そう決意をし

この日に立ち上げました。


発達障がいや発達にでこぼこがあるなど

困り感をお持ちの子どもや

困り感を持っている子どもを

どうやって育てたらいいのか

悩まれている家族の心に寄り添い

安心して自分らしく生きられるよう

様々なサポートをさせていただきます。


みなさん

ともに生きましょう!!(*^▽^*)






live with 

通称リビの中のカウンセリングルームです♪





リビは小高いみかん畑の丘の上にあります。

そこからの眺めは最高(*^▽^*)


リビは自然とともに生きています(^v^)♪



ぜひお気軽に

お問い合わせくださいませ(*^-^*)



発達障がい児・家族サポートセンター

『live with ~ともに生きる~』


代表 薮本啓子


お問い合わせ 090-8754-4682


場所 和歌山県伊都郡かつらぎ町背の山

    











私は昨年の3月から

日本メンタルヘルス協会で

心理学を学び始めました。


よ~~し!誰かのお役に立てるよう心理学を学ぶぞ!

カウンセラーになるぞっ!って…


ところが


学べば学ぶほど

自分の人生を振り返ることばかりで

誰かのためではなく

自分のために学ぶようになりました。


お恥ずかしい話ですが

自分がいかにわずかな視点で

物事をみたり、考えたり

コミニュケーションを取ったりしていたかを

思い知ったのです。


メンタルの先生方は

ただ心理学を教科書で教えるのではなく

心理学を先生方の人生での

経験と感動を通して

教えていただき

毎回、笑って、泣いて、泣いて、笑って、

心理学を体感しながら学ぶ感じでした。


先生方のおかげで

たくさんの物の見方や感じ方

考え方、受け取り方などを教えていただき

その度に目からウロコが飛び出すほどの

驚きと気づきがあり

私の学びとなっていきました。


そして


学べば学ぶほど

自分の至らなさに気づき

こんな私が誰かのために…なんて

おこがましい。


そんなことを思っていた私が恥ずかしい

なんて、思うようになり

カウンセラーなんて、無理だよなぁ…

と、思うようになったのです。


そんな時


ある講座で衛藤先生が

有るがままの自分を愛すること

そして、ないものに目を向けるのではなく

あるものに目を向け

自分が意識していることなどわずかなことで

9095パーセントは無意識だから

とにかく行動してみてごらん。

まだ来ぬ未来、過ぎ去った過去ではなく

『今ここ』を精一杯、生きること。


石橋を叩いて渡るということわざがあるが

叩き過ぎると壊れて渡れなくなってしまう。

だから、壊れる前に、まずは橋を渡ること。


と、話をしてくれました。


こんな私には、もっともっと勉強しなければ

カウンセラーなんて無理じゃないか…と

思っていた私には


その話が、あまりに衝撃で

目からウロコが100枚飛び出した感じでした。



もしかして

私でもカウンセラーになってもいいのかも…


そう思ったのですが

いやいや、自分勝手に良いように聴いただけかも…


そう思って、講座終了後

衛藤先生に、感動したことと

修了式後

カウンセラーとして

活動したいと思っていることを

話をしに行きました。


衛藤先生は

微笑みながら


んうん頷いて話を聴いてくれ



やってみたらいいよ。

失敗するかもしれないけど

それも必ず薮本さんの学びになるから。

とにかく、やってみたらいいよ。


と、私の想いに有を与えてくれ

勇気付けをしてくれました。



そして


私はカウンセラーとなり

色々なことを経験し

やるからこそ、いろんな気づきがあり

そこから違いを創って

また行動するを続け、今に至っています。




新たな活動を始めるに当たって

また、自信の無さ…

いや、恐怖が湧いてきて

昨晩から、すごく苦しかった時に

衛藤先生のブログを読みました。


また

今の私に

ものすごく心に響く言葉で

涙腺決壊でした。



『乗る時には、乗ろう!』




はい。

橋を渡るのは

ものすごく怖いです。

不安です。



そして



そのまま、橋を渡ります。


そして


流れに乗ります。


衛藤先生の想いが

必要な人に届きますように…





衛藤先生のブログです。

ぜひ、お読みくださいませ。

      ⇓ 

http://ameblo.jp/n-etoh/entry-12089429989.html

















メンタルで学べたからこそです。


メンタルで学べてよかった!

心からそう想います。

こんな風になれたのも
















先日
だんな様が
おでんを作ってくれました。

子ども達は
大喜び♪

冬の料理と言えば
お鍋かおでんが
我が家の定番メニュー
だったのですが

9年前
長男と食べた最後の晩ご飯が
おでんだったことで

あの日のことを
思い出してしまって
胸がギュッっと
締め付けられるように
苦しく切なくなるので

あの日以来
私は
おでんを
作れなくなっていました。

子ども達が
おでんを食べたいな~と
言うのを聞くと

どうにかして
作ってやりたいと
思うのですが

どうしても
作ることが出来ず

長女は
時にはコンビニで
おでんを買って食べていたそうです。

そんな話を聞くと
子ども達が不憫で申し訳なくって
おでんを作ってやれない
自分が情けなかったのですが

その度に
だんな様が
おでんを作ってくれ
子ども達に食べさせてくれました。



先日も
だんな様が
おでんを作ってくれたと
いう訳なのです。

今までは
おでんを食べるのも
涙があふれ
辛かったのですが

最近は
切なくなりながらも
食べることができるように
なってきていました。

それが
今回

心の底から
美味しい~~!!


思え

私も作ってみようかな・・・


思えました。



おとつい

とうとう
9年ぶりにおでんを
作りました!!(*^▽^*)


9年前は長男が・・・

そして
今回は次男が
「美味しい!」って
嬉しそうに食べてくれました。

それだけで

一瞬で
あの長男との最後の
晩ご飯を思い出し
グッと胸にこみ上げるものが
ありました。

あの時と同じ
今、この瞬間も
かけがえのない
二度と来ない
奇跡の時間。

そんな時間を
大切な家族で
食べる晩ご飯。

高級料理じゃないけれど
私の大切な
『想い出ご飯』のおでん。

やっと
心から笑って食べられました。

そして

愛する家族と
食べられる時間は

私にとっては
最幸の時間です。



過去は
もう変えられないけれど

未来は
どうなるかわからないけれど

変えられない過去に
囚われず

まだ来ぬ未来を
憂うことなく

今、こうやって
生きられている
今、この瞬間(とき)を
大切な人達と共に

精一杯
味わい、楽しみながら
『今ここ』を生きよう。

それが私にとっての幸せで
その瞬間の連続で
最幸となっているんだな~

そう
改めて思いました。


そして


だんな様と二人になった時

だんな様が
しみじみ

「やっと
おでんを作れたんやな・・・」


声をかけてくれました。

「うん。
おでんを作れるようになるのに
9年もかかったわ・・・

父ちゃん。

今まで
おでんを作ってくれて
ありがとう」

そう
だんな様に
感謝の気持ちを伝え

もうそれ以上
言葉になりませんでした。

でも

言葉にせずとも
最愛の子どもを亡くし
あの悲しみ、苦しみの中
共に生きて来た夫婦だからこそ
通じ合う想いがありました。

そして
それは長男とも
同じです。

いつものように

長男との
静かな親子タイム。

どう?
久しぶりの
母ちゃん特製おでん
美味しい?

あなたが美味しいって
言っていた
青のりを特別ふってあげてるからね。
どうぞ召し上がれ。



心の中で
語りかけました。

相変わらず
会話をすることは
できませんが

会話出来なくても
長男とも
ちゃんと繋がっている。
そう信じています。

母ちゃん!
母ちゃんのおでん
やっぱり
最高やな~!
美味しいわ~!!


間違いなく
そう言ってくれている。



言葉って大切。
でも
言葉が全てじゃない。

心で繋がっているからこそ
通じ合える想いもある。

そう
私は想うのです。


もうすぐ
命日月・・・

やっぱり
切なさがこみ上げる
11月。

どんなに
笑顔でごまかしても

悲しいものは
悲しい。

切ないものは
切ない。

だから

心のままに
過ごそう・・・

だって

どんなに強がっても
心が繋がっている人には
全部、バレバレなんだから。

心のままに・・・





心のままに

おでんを作れたことが
嬉しくて
嬉しくて

3日連続
晩ご飯をおでんに
しちゃいました~!!(*^▽^*)

家族は
何一つ文句を言いません(^^;)

有り難いな~(^v^)



今日も
最幸でした(*^-^*)♪





先日

突然の
えびアレルギーが出て
アナフィラキシー症状となりました(^^;)

のどが腫れ上がってきて

このまま
死ぬかも・・・


思った瞬間

わずかな時間なのに

本当に
いろいろなことを
考えました(^^;)



一体


長男は
死に直面した時

何を考え
何を感じたのでしょう・・・


私は
悲しいかな

長男の死亡宣告を
病院でされましたが

一体

いつ
どんなことが
長男の身に起こって
心肺停止状態になったのか

それさえも
知る由はありません。

ものすごく
苦しんだのか

「助けて!」と
声なき声で
母を呼んだのか・・・

最愛の子どもの最期の瞬間を
知らないのです。

そばに
いてやることもできませんでした。


同じ家の中に
いたのにです・・・


どんなことがあっても
自分の命に代えてでも
あなたのことを守る!!

そう
言ってきたのに・・・

私は
長男が死に直面した時

呑気に寝ていたのか

朝起きて来て
呑気にぼけ~と
過ごしていたのか

全く
第六感も働くことなく
長男の最期の時を
同じ場にいながら
全く何も感じることなく
過ごしていたのです。

そんな自分を
許せなくって

何が
どんなことが
あっても守るだっ!!

何が
子どもを
心の底から愛してるだっ!!

最愛の子どもの
苦しんでいるのも
助けてー!
と言っているのにも
気付いてやれず

呑気に
朝ご飯を
食べかけるような
そんな母親なんて
母親失格やっ!!



どれだけ
自分を責めたかしれません。

そして

○○していると
親の死に目に会えない

とか
言うけれど

最愛の子どもの
最期の瞬間に
一緒にいられないって・・・


子どもが
亡くなることでさえ
受け入れ難い
悲しみ、苦しみなのに

その上
さらに

何が起こったのか。

助けることが
できたのではないか。

気付いてやれなかった。

守ってやれなかった。

最期はどうだったのか。

そばにいてやれなかった。

この想いが
私をものすごく
苦しめました。


歯を
ギューと食いしばって
歯ぎしりをし
唇を噛み
血を流すほど

どうにもし難い
自分に対する
激しい憤りが
私を襲いました。


未だに
何が起こったのか
真実はわからない

いや

一生この世では
わかることはない

2006年 11月11日(土)

長男との
最後の時間を

前回に
引き続き

私の記憶にある
最後の瞬間まで
書きたいと思います。






2006年11月11日(土)


家族の誰より
食べ終わるのが早かった
長男が
人生で最初で最後

まるで
本当に
これが最後の食事と
わかっていたかのように
味わって食べた
晩ご飯。

ともに
最後まで
一緒に長男と
過ごすことができました。


長男の
美味しそうに
味わって食べている
あの姿が
未だに目に焼き付いています。

ただ
その時は

深くその意味を
感じることもなく
長男との最後の食事を終えました。

その後

19時から
始まる
地域の和太鼓クラブでの
練習へ

急いで
長男を車で送って行きました。


長男と共に
過ごせる時間が
あとわずかだと
知っていたら

家で
家族とともに
最後の最後まで
笑い合って過ごしたと
思います。

いや
子どもの思う通りに
させていたかな・・・
ただ、少しでも長く
共に時を過ごしたかった
それが母の本音でしょうか・・・



誰にも
いつ人生が終わるとも
わからない。

それが
わからないのが
人生というものでしょうが

願わくは
人生の終わりを知りたい。

余命宣告を
してもらえたら
なんて
幸せなんだろう・・・

余命がわかったなら
その残された時間を

思う存分
思い残すことなく
愛する人達に想いを伝えて
お別れを言って

向こうの世界へ行く
準備をするのに・・・


長男を亡くした後は
本当に
そう思いました。


これについては

それなら
経験させてやろう


神様からと
言ったらいいのでしょうか・・・

後に必然的に
疑似体験することと
なるのですが

これは
また別の機会と
させてもらって・・・


ただ言えるのは

ない物ねだりで
自分の経験していない
経験の方が良いように
思ってしまいますが

どの経験も
『違う』だけで

いろんな悲しみ
苦しみがあり

どちらが
良い悪いは
ないんだ

ということです。


そう
心から思えるように
なるまでには

本当にいろんな
経験をしました。


ただ

今から
9年前の私は
そんな経験が待っていようとは
つゆにも思わず

いつもと
変わらない時間を
いつものように
当たり前に過ごしていました。


もうそこまで
長男との別れの時が
近づいているのに・・・




長男が和太鼓クラブに
行っている間は

一度
家に帰り
家の用事を済ませ

いつもように
21時過ぎに
長男をお迎えに行きました。

ちょうど

長男は
他のメンバーさん達と
外でワイワイしながら
待っていました。

私の車に気付くと
急いで乗り込んで来て

和太鼓クラブの
みんなに

助手席の窓から
元気な声で

「さようなら~!」


声をかけていました。

それが
本当のお別れの言葉に
なるなんて・・・

ほとんどの方が
長男より
年上の人たち
だったのですが

だれかれ構わず

屈託なく
親しみを込めて
おしゃべりをしにいく
長男を

皆さん
本当に
可愛がってくれて

そんな人たちと
最後の時を
過ごせたのは

長男にとっては
幸せだったのかも
しれません。

そんな
和太鼓のみんなと
最後の別れをし

家に帰る車中で

私と長男の

本当に
本当に

人生最後の
時間を過ごしました。


家に帰るまでの
わずか15分ほどの
人生最後の親子タイムでした。


その時は
全く
そんなことも
わからず

いつもと
同じように
たわいもない話を
しました。


不思議なことに
長男は
いつも帰り際に
自販機で
ジュースを買うのですが

その日に限って

缶のコーンスープを
買って飲んでいました。

初めてのことだったので
気になって
そのことを聞くと

「何となく買った」と。

味を聞くと

「まぁまぁやな~」

との返事でした。



その数ヶ月後

フッと自販機で売っている
あの子の飲んだ
最後の飲み物を
私も飲んでみたくて
買ってみたのですが

あまりのまずさに
思わず
「まずっ!」って
言ってしまい

そして
苦笑いしてしまいました。

あの子は
どこまで
ポジティブなんだろう。
それとも
ただの味オンチ!?

こんなに
まずい飲み物を
「まぁまぁやな」って
いえるなんて・・・

そう言えば
長男は
いつも

「あ~ 美味しかった!」
「あ~ 楽しかった!」
「うわ~ めっちゃラッキー!」

そんな言葉ばっかり。


そんな長男を
心から尊敬し

缶臭い
コーンスープを飲み
泣き笑いしながら

「あ~、まずい!
これをまぁまぁって
言えるあんたは
ほんまにすごいなぁ~」

そう
心の中の長男に
語りかけました。




あの
最後の親子タイム。

本当に幸せなひと時でした。

長男は
和太鼓で習った
新しい太鼓のたたき方を
私に自分の膝をたたいて
教えてくれました。

そして
こう言いました。

「今日、リズムの難しい
太鼓をたたかせてもらえて
めっちゃ嬉しかったわ~

俺、これマスターできるように
頑張るわ!」


もう長男には
明日はないのに・・・


その時は
2人でその話で
盛り上がって

「よっしゃ~!
じゃ、その太鼓の曲を
ここで練習しようか~!!」


車中で

私は口ずさみながら
長男は膝をたたきながら
何度も何度も練習しました。

本当に
本当に
楽しい親子タイムでした。

もう二度とは
戻ってこない時間。

わかってはいても
あの時の
長男との楽しかった時間を
もう一度だけでもいいから
味わいたい。

そう心から
想ってしまいます。


そして

家に到着し

少しでも早く
長男を休ませてあげようと
想って

(いや
ただ単に
私が早く自分だけの時間を
楽しみたかっただけ)


「早くお風呂に入っておいで」


声をかけました。


私は・・・
というと

呑気に
新聞のテレビ欄を見て
何か面白いテレビが
やっていないか

そんなことばかり
考えていたのです。

長男との別れの時が
刻々と近づいていた
そんな時にです。

そうこうしている内に
長男がお風呂から
出てきました。

私はまだ新聞を見ていて
長男とたいした
会話もせず

「早く寝に行きよ~」

と声をかけました。

すると

長男は

私の前を

「母ちゃん
おやすみ~~!」


言って

通り過ぎました。

これが
長男が私にかけてくれた
最後の言葉です。

それなのに
私は
いつもは必ず
顔を見て

「おやすみ!」て
返事をするのに

その日に限って

新聞を見ながら
「おやすみ~」


返事をしたのです。

長男との
最後の別れとなる
その瞬間

私は
最愛の子どもの顔も見ず

新聞を見ながら
おやすみの声をかけたのです。

長男はその時

どんな表情を
していたのだろう・・・

どんな態度だったのだろう・・・

もしやり直せるなら
やり直したい。

もう二度と
目をそらすことなく

子どもの顔を見ながら
挨拶するから・・・

どんなに願っても
時を戻せないのに
そう願ってしまいます。

いや
願わくは
もっと
もっと
時を戻して

くも膜下出血になる前に
気付いてあげて
手術をさせてあげたかった。


どれだけ
『時間を戻したい!!』
『時間を戻せるなら・・・』

この想いに
のたうち回って
苦しんだことか・・・

そんなの無理なのは
十二分にわかってる。

それでも
それでも

どんなことをしてでも
時を戻したかった。

それしか
その時の私に
長男の命を助けるすべは
なかったのです。

次の日に

長男の
死亡宣告をされた後は

そんなことばかり
考えたのですが

2006年11月11日(土) 22時過ぎ

この瞬間の私には
全く次の日に
起こる悪夢のような
出来事を想像だにできるわけもなく

365日の
たった1日であり

今日の次は明日がある。

その明日は
今日と同じように
当たり前にやってくるもの
でしかなかったのです。

なので

長男の顔も見られなくても
また明日
「おはよう!」て
顔を見て声をかければいいし

明日
いっぱい話をすればいいし

いや・・・

そんなことさえも
意識もしていなかったのです。



これが

長男との
最後の別れの瞬間でした。

「母ちゃん
おやすみ~~!」

長男は
その言葉を残し
自分の部屋に行き

どうその後
時を過ごしたかわかりません。

いつ
くも膜下出血になったのかも
わかりません。

ただ
ベッドへ入って
眠りついた長男は

本当に

そのまま
永遠の眠りについてしまったのです。



私は
痛いほどわかっています。



この瞬間は
もう二度と来ない瞬間で
かけがえのない
奇跡の瞬間(とき)である

ということを。

そして
今日という日が

明日も生きたい!


願いながら

生きることが
できなかった人たちの

希望の明日
奇跡の明日が

今日である

ということを。


そんな今日を
私達は生きている。

いや
生かさせていただいている。

先人から
ご先祖様から
愛する家族から
この世に行きとし生きるものの
たくさんの
命のバトンがあり

私達が
そのバトンを
引き受け
その人達の想いも
引き受け、感じながら
今日という日に感謝しながら
精一杯、今日を生きる。

そして

次の人たちに
今度は私たちが
命のバトンを渡す。

そうして
時は流れ繋がっていく。

それが時代となるんだ。
そう思っています。


あの時
あの瞬間

感じた想い

そして
それから

たくさんの
たくさんの想いを重ねつつ
今の私の想いがある。

これからも
その想いは深まったり
変化したりするだろう。

これからも
その時々に
心の底から湧いた想いを
ここで書いていこうと
思います。



わぁ~
今日も超長文(^^;)

ここまで
お読みいただき
ありがとうございました。

次回は
時を長男の死亡宣告
された後に戻して

その時
感じたままの
想いを書こうと思っています。


それでは

私のように
時を戻して
生き直したい!


思わずとも

この瞬間だけは
自分の想い通りに
生きられます。

それが
どれほど幸せなことか・・・

そんな今日を

お互い
『今ここ』を
楽しんで生きましょう~(*^▽^*)♪





















昨日は
長男の22歳の
誕生日でした(*^-^*)


生きていれば

友達と?
彼女と?

お誕生日を
過ごしていたのかも
しれません。

やっぱり
長男の誕生日に
なると

一段と

どんな青年
どんな大人に
なっていたのだろう…


想像してしまい
切なくなります。

もうこの世には
存在しない長男も

私にとっては
ずっと我が子であり
3人の子ども達の中で
長男なんです。

そして

誕生日とは

私を母と選んで
生まれて来てくれた
記念すべき日♪

私が
長男の
母になれた記念日♪

なので

もちろん
今年も
長男のお誕生日を
祝いました。

が・・・

ちょっとした
ハプニングが起こりまして(^^;)

それは・・・


昨日の夕方

長男のお誕生日なので

晩ご飯は
焼き肉にして
あげたかったのですが

だんな様と長女が
帰りが遅いということで
みんなバラバラでも
食べやすいように

急遽

長男はもちろん
子ども達みんなが
大好きな

母ちゃん特性
天津飯を作りました。

次男が
お腹が空いたということで

長男、次男と
私の分だけ
先に作り

まずは
長男にお供えをして

次男と
二人で
天津飯を食べました。



次男に感想を
聞きたくって

「味はどう?」


聞くと

機嫌悪そうに

「いつもと変わらん」
「初めて作ったわけでも
 ないのに
 なんでそんなこと聴くんや」


ぼそっと言ったんです。

その言い方が
あまりにも悲しくて
その気持ちを次男に伝えると

少し間を置いて

「おいしいよ」
「いつもおいしいから
いつもと変わらんって
言ったんや」


次男が
小声でつぶやきました(^^;)

反抗期
まっただ中の
次男なので

言いたくもなかったのかも
しれない言葉を

それでも
口にしてくれたことが
嬉しくて

でも
いつも食事時

ぶっきらぼうな言い方をする
次男とのコミュニケーションに
切なさも感じていたので

あ~あ
こんな時に
長男がいてくれたらな・・・

さすがに
22歳になる長男だと
反抗期は過ぎてるだろうから

母の気持ち
わかってくれただろうな・・・



兄弟同士で
ぶっちゃけ話なんかしてさぁ~

「お前の気持ちもわかるけど
母ちゃんの気持ちもわかってやれよ」

なんて
言ってくれたりしてさぁ・・・

などなど

仏壇の前へ行き
しばしば

心の中で
長男に
色々、話しかけていました。


すると

次男がやって来て

お兄ちゃんの
誕生日プレゼント買いたいから
スーパーに連れってほしい


頼まれたので

車で
行こうとしたら

いつもは
社長よろしく
後部座席に乗る
次男なんですが

どういうわけか
後部座席だけが
鍵がかかっていて
乗れず

必然的に
助手席に乗り込んできました。

私は
ピ~ンと来ました。

これって
長男の計らいだ!

て。

みなさんは
信じられないかもですが

時々
私が車の前を通ると
勝手に
カチッとなって
車のドア鍵が開くんです。

何も手元に
車の鍵を持っていなくてもです。

その度に

あ~
長男がサインを
送ってるんだな~

なんて
思っていたので

今回も

次男との
親子タイムが取れるように
長男がしてくれたんだ~


思い

スーパーへの
行き帰り
次男との親子タイムを
楽しみました。



その道中で

なんだか

耳の中が
すごくかゆく
なってきたんです。

家に帰って
耳かきを使って
掻いてみても
一向に収まらず

それどころか

ものすごく
熱かゆくなって
ジンジンしてきました。

そのうち

首回りも熱かゆくなり
扁桃腺も
パンパンに腫れて来たので

あれ!?

これって
もしかして蕁麻疹!?


思って
鏡を見たのですが
蕁麻疹のようなぶつぶつはなく



思いついたのが

天津飯に入っていた
『えび』だったのです。

私は
出産して以来
カニがどういうわけか
体が受け付けなくなり

食べると
お腹がねじれたように
激痛が走るようになっていたので

これはもしや・・・

えびアレルギーかも!?


思い

急いで
ネット検索をして見ました。

すると

私の症状と
全く同じことが
載っているのです。

さらに

場合により

アナフィラキシーショックを
起こし
死に至る場合もある。


書かれていました。

さて
これは大変!

どうしたものか…


思っている
ちょうどそのとき

だんな様と長女が
帰って来たので
事情を話したら


だんな様に

「消防署へ連絡しろ!」

と言われ

な、なんと!

消防署との
やり取りの途中に

のどが詰まった
感じになってきて

声まで
出にくくなってきたんです。

これは
マジやばい!

となり

消防署の人にも

「気道が腫れ上がり
呼吸困難になり
死ぬ場合もあるから
救急車で
病院へ行きましょう!」


言われ

結局

救急車で
病院へ緊急搬送される
ことになったんです。

私の中では
救急車は
大きなトラウマで

長男が心肺停止状態で
病院へ運ばれて行く
あの光景が浮かぶので

救急車の近くにでさえ
行きたくないのに
乗るはめになってしまいました。

でも
この状況から
これは仕方がない!と
覚悟を決め


消防署から
自宅まで
救急車でも5分は
かかるので

その間
どうしよう…


考えました。

その間にも

ますます
扁桃腺や
のどが腫れあがって
行く感じで

その瞬間

本当に
のどの気道が詰まり
息が出来なくなって

『死ぬ』かも・・・


思いました。

すると

一瞬のことなのですが

いろんなことを
考えました。

今日は
長男の誕生日なのに
この日に死んだら
長男の誕生日と
私の命日が同じになるな・・・

そう言えば

お母さんの誕生日と
長男の命日が同じやんか。

て言うことは

この日に
死ぬってこと
あり得るかも・・・

今、死んだら

わぁー
今度の日曜に
新しく始まる連続講座受講
楽しみにしてたのに
行けないわー!

わぁー

家の中
汚いままやわー!

わぁーーー!
この前から
新しくやろうと
思っていることあるの
もうできないの!?
それはめっちゃ嫌や!!

もうちょっと
時間ちょうだい!!

それに
ここで死んだら

子ども達に
また辛い想い
させることになる!

それだけは
絶対、ダメや!!

もうちょっと
生きなければ!!

あっ!

それに
呼吸困難になったら
しんどいやろな・・・

どうやったら
助かるんやろう・・・

人工呼吸しても
気道が詰まってるから
ダメか~

機械とかで
気道確保するのかな・・・



とにかく!
口からやな。

てことは・・・

さっき
晩ご飯食べた時の
ままやから

口、臭いかも・・・

そうだ!
救急車くるまでに
歯磨きをしよう!!


なり(^^;)

保険証とかの
準備が終わった後

シャカシャカと
歯磨きをしたんです(^v^)


そして

私が
いっぱい考えている
その間にも

家族も
家族なりに
色々
考えていたようで

だんな様も
私に付いていく
段取りをして

長女
次男ともに

私のそばで
心配して
寄り添って
くれていました。

そんな中で

突然
私が歯磨きを
始めたので

次男が怒って

「歯磨きしてる
場合じゃないやろー!!」



必死になって
言ってくれている
その姿を見たとき

いつもは

自分が話したい時
以外は

口をきくのも
ウザいって
感じで
ボソボソっとしか
話をしない次男が

オロオロしながら
心配して

私を想って
こんなに怒って
ダメ出しをしてくれるなんて

やっぱり
ほんまは
母ちゃんのこと
大好きなんやな~

緊迫した
状況の中でしたが

しみじみ
想いました。



おかげさまで

無事に
救急車に乗り込み

呼吸困難に
陥ることなく

病院へ搬送していただき

点滴を受け

窮地をしのぐことが
出来ました(*^▽^*)



家に帰れたのが
23時過ぎ。

だんな様は
晩ご飯も食べず
ずっと
私に付き添ってくれて
いたので

疲れているだろうから
帰って来て
すぐに

長男のお誕生日会が
したいとも言えず

今日は
長男の誕生日だったのに
みんなでお祝いできなかったな・・・


想っていると

次男が

「母ちゃん、今からやろう!」

そう言ってくれました。

そこから

みんなで
長男のお誕生日会を
いつもように

ハッピーバースデーの
歌を歌い
お祝いしました(*^-^*)♪

やっぱり
歌を歌っていると
切なくはなるのですが

今日のハプニングを通して

だんな様の優しさや
長女が私の代わりに
家のことをしてくれる
有り難さや
次男のわかっては
いたつもりの
母への想いを感じられたこと

などなど

家族が
どれほど
私にとって
大きな存在であり

お互いが
お互いを想いやって
生きているか

ということを
感じられました(*^-^*)

もちろん
長男も含めてです!

だって


今回のことは
長男からのメッセージだと
想うから・・・

きっと
あなたは

仏壇の前で
母が話してたこと
しっかり聞いてくれたんだよね。



長男として
一肌脱いでくれたんだよね。

ありがとう!

あなたのおかげで
いっぱい
いっぱい

当たり前の中にある
大切なものに
気付きました。

そして

死ぬ前に
どうしても
やりたいと思ったこと

後回しにせず
これから
母ちゃんの命を使って
やっていきます!!


長男よ・・・

本当に

お誕生日
おめでとう!!

そして

母ちゃんの
子どもとして
生まれて来てくれて

本当に
ありがとう!!(*^-^*)






昨日

高野山の
蓮花定院という
宿坊で

第5回
幸感力アップ講演会&ワークショップを
開催させていただきました。





実は
昨日は

長男の
8年11ヶ月目の
月命日でした。

そして

来月は
9年目の命日。

その上

明後日
10月15日は
長男の誕生日。

そんな中での
講演会でした。

それも
場所は高野山。

そこには

長男の遺骨が
納められている
奥の院があります。

奥の院には

弘法大師空海が
今も生きて瞑想を
続けているとされる
御廟があり
聖地とされている場所です。

そんな場所に
長男の遺骨があるのです。




今年は
高野山が開創1200年
という記念の年だったので

歴史溢れる
高野山で
先人達の創りあげた
場所で
講演会をしたい!

という想いを
形にしたのですが

日にちは
講演会会場になった
蓮花定院さんからの
提案で
その日となったのです。

正直
講演会日が決まった時

命日前の
月命日だし

どうしよう
大丈夫かな・・・


不安もありました。

でも
きっと

月命日の日が
講演会の日になるのも
偶然じゃなく必然だろう

そう
思って

昨日
講演会をさせていただきました。


天気は
最高に良く

朝早く
高野山に行く道中

きれいな空に
木々の茂った
山々の風景が
とってもきれいで

なんだか
長男が

「母ちゃん。
頑張れ~~!
応援してるからな!」


言って
最高の天気を
プレゼントしてくれた
ような気がして

嬉しくて
嬉しくて

何度も何度も
車から見える
空の景色を撮りました。



講演会では

心のままに
湧いて来た想いを
お伝えさせていただきました。


ある
高齢の参加者さんが

「これからの将来について
考えさせられました。
これからも
学ばせてもらいます。
ありがとうございました」


講演会後に
想いを伝えてくれました。

高齢の方が
よく使われる
『余生』ではなく

『将来』と
言われたことが
本当に素敵で

あ~
この方の
人生に何かしら
お役に立てたのならば
本当に
嬉しいな~


心から
思いました。

講演会後に

オプションで
参加者さん達と
奥の院散策もしたので

エネルギーを
使い切ってしまい(^^;)

昨日は
家に帰って来たら
バタンキューで

回想記を書くどころでは
ありませんでした。

でも

長~い
一日となりましたが

笑いあり
涙あり
たくさんの感動あり
幸せな一日でした。

こんな命日前の
月命日を
過ごせるように
なるんですね・・・


悲しみはある。
そして
笑いもあり

そして
幸せである。

そんな感じでしょうか


本当は
回想記の続きを
書きたかったのですが

それは
また次回として

今日は
ここまでとさせて
いただきます。

お読みいただき
ありがとうございました(*^-^*)




今日も
回想記を書きたいと
思います。

実は
私の中では

いつまで書くねん!!

もう
みんな
もう飽きたわー


言ってるに
決まってる!!

という
私の中にいる
厳しい私が
ダメだししているのです(;^_^)

結構

私の中にある
『悲しみ』との
つき合い方は
うまくなってきたのですが

この厳しい私との
つき合い方は
なかなかうまくできず

ただ今
困っています(-。-;)

ただ

困っていようが
悲しんでいようが

無理せず

そのままで
行動できるように
なったことで
とっても生きやすく
なってきました。

てなことで

さぁ!

厳しい私の声も
しっかり聴いたし

はい。
そう想うよね~。



私の想うまま
書こう!

てな感じで

今日も
回想記を
書かせていただきますね(*^-^*)




2006年11月12日(日)

10時10分

長男の死亡宣告を受けました。


自分の命よりも
大切な
最愛の長男の死。

この現実を
どうしても受け入れられず


なぜ!?
どうして!?

こんなことが
起こるはずはない!

お願い!
夢なら早く覚めて!!


そう
心で繰り返し
叫んでいました。

でも

本当に
昨日まで

こんなことが
起ころうとは
全く想像もつかないほど
長男は元気で

普段と全く
何も変わらない
1日を過ごしていたのです。

そこで

少しだけ
時間を

長男と過ごせた
人生最後の日まで
戻したいと思います。





2006年11月11日(土)

朝から
長女と次男の
通う小学校で

休日参観があり

私達夫婦は
小学校へ出かけました。

長男は
久しぶりに
中学校のクラブ活動が
土日とも休みとなり
家でのんびり過ごしていました。

昼前には
休日参観は
終わったのですが

私は
学級懇談会に参加していて
家に帰るのが
だんな様より
遅くなりました。

なので

昼ご飯は
だんな様が
カレー焼き飯を
作ってくれていて
先に食べていました。

その時
私は

休日の昼ご飯作りって
邪魔くさいな~
なんて思っていたので

昼ご飯を作らなくて
済んだので『ラッキー』って
思いました。


でも
これが

長男に作ってあげられる
最後の昼ご飯だったのに・・・

その時は

次の日に
起こる悲劇を
全く知る由もなく

ルンルンで
一人で
昼ご飯をいただきました。

昼からは

小中学校の
文化祭があり

長女の作品が
展示されていたので

長女と共に
出かけました。

普段の土曜日は
家族でワイワイ言いながら
家で過ごしていたのですが

この日に限って

午前、午後ともに
用事があり

家族で
過ごせませんでした。

でも

365日の
たった1日のことです。

そんなの
その時は
全く何も感じませんでした。

それに

次の日も
お休みだから

日曜日に
みんなでゆっくりしよう

なんて
考えていました。


本当は
家族みんなで
過ごせるのは
この日が最後なのに・・・


長男との
永遠の別れの
カウントダウンが
始まっているとも
知らず

呑気に
長女とお出かけをしました。



夕方
家に帰ってくると

だんな様と私の
共通の教え子が
遊びに来てくれていました。

だんな様は
中学校の教師で
私が講師として
赴任した
中学校で出会い
後に結婚したのです。

私は
子どもが大好きで
教師になるのが夢でした。

でも
結婚して
お腹に長男を宿した時

自分の夢を
諦めてでも

我が子を
後悔のないよう
精一杯
自分の手で育てたい。

そう
思って
専業主婦になったのです。

(おかげで、長男の子育ては
精一杯のことをした!と
胸を張って言えるので
そのことでは、何の後悔もありません)


講師を辞めて
13年経っていたので
教え子が遊びに
来てくれたことが
嬉しくって

教え子と共に
みんなで
ワイワイおしゃべりして
楽しみました。

教え子が帰った後

夜から

長男は
地域の和太鼓クラブに
所属しており
その練習があるので

急いで
晩ご飯の支度をして
食べました。

その日の晩ご飯は
『おでん』でした。

長男が
数日前にTVで
静岡おでんが
取り上げられているのを見て
食べたいと
言っていたので
作ったのです。

それも
初の試み
豚足を使って!

(これには
エピソードがあるのですが
またそれは別の機会として)

晩ご飯を
食べる時に

やっと
家族水入らずの
時間を過ごせました。

長男は
大喜びで
私の作った
豚足おでんを

「美味しいな~~!」

「静岡おでんみたいに
青のり振りかけて食べたら
最高に美味しいわ~」

本当に
何を食べても
「美味しい、美味しい!」

と言って
食べてくれる長男。



よく

セミナーとかに行くと

「人生、最後に食べたい物は何ですか?」

と聞かれることが
あるのですが

私はその度
心がズキッとするのです。

だって
私はすでに
経験しているから。

長男と食べられる
最後の食べ物が
おでんであり

長男の
人生最後の食べ物が
おでんだったのです。

それも
高級な物でも
何でもなく
私が作った
それも『豚足おでん』。

もし
人生最後だと
わかっていたなら

もっと
違う物を作って
あげられただろうに

人生最後の食べ物が
おでんだったなんて・・・


でも

心から思うのです。

何を食べたかが
大事なのではなく

誰と
どんな風に
食べたのかが
一番、大事なのだと。

なので


高級料理ではなくても
どんな料理だったとしても


家族みんなで
笑い合って
楽しく食べた

あの日の
おでんが
私の人生
最幸の食べ物で

長男にとっては
それが
最後の晩餐となったのです。


いつもと変わらい
にぎやかで楽しい
晩ご飯だったのですが

ただ
ひとつ違っていたことは

いつもは
一番に食べ終わり
居間に行く長男が

どういうわけか
その日に限って
一番最後まで
残って
味わって食べていたのです。

私には
幼少期の辛い経験から
家族で楽しい時間を
過ごしたい

という
想いが強くありました。

その一つが
出来るだけ家族みんなで
そろってご飯を食べる

できるだけ
子ども一人で
ご飯を食べさせない


ありました。

なので

長男が
最後まで残って
食べていたので
長男の前に座り
一緒に
おしゃべりをしました。

その時は
普段の何気ない一コマに
過ぎない時間だったのですが

このひと時が
長男の最後の食事となったのです。

今となっては
私のかけがえの無い
大切な思い出のひとつです。

あ~
あの時

食器洗いをせず
居間でTVを観ず

長男と共に
最後まで晩ご飯を
過ごせて
よかった~~!


心から思います。

全く
その時は

これが最後の晩ご飯

とは
思っても
いなかったのですが

今までに無い
最後までゆっくり
味わって食べていた
長男の姿を
思い出すたび

もしかして
無意識に
長男は
最後の晩ご飯だと
わかっていたのでは・・・

なんて
思ってしまいます。

でも
よくよく考えたら

毎日の
一瞬
一瞬が

人生最後の
瞬間なんですよね。

もう二度と
同じ瞬間(とき)はなく

ものすごく
大切な
大切な
奇跡の瞬間(とき)なんです。

それを
長男の死を通して
痛感しました。

もう
二度と時を戻すことは
できません。

二度とです。

どんなに懇願しても
のたうち回って
暴れても
自分の命を投げ出すと言っても

二度と時は戻りません。

よ~~く
私はそのことを
知っています。



それほど
この瞬間は
何ものにも代え難い
奇跡の瞬間(とき)なのです。

明日もあるから。
また今度。
別に今日じゃなくても
いいだろう。
つまらない一日。
代わり映えのない日。
普通の日。

そんな今日が
実は
本当に
本当に
素晴らしい
かけがえのない
二度と来ない
奇跡の日なんです。

それが

長男の命をかけて
教えてもらったことの
一つです。

私は今日も

朝から
仏壇の前で
手を合わせて

いつものように

「今日も精一杯、楽しむわよ~」


長男に話しかけました。

そして

寝る前には
いつも

「母ちゃん、今日も生き抜いたで~。
今日も楽しかったわ♪
今日も満足!」

なんて

話しています。

そんな連続が
私の毎日となっています。

今日も生きてる~~!
感謝やな~~!
奇跡の今日を楽しもう!

今日1日
生きられた~~!
感謝やな~~!

もしこのまま
死んだとしても
満足。
明日、生きられないのは
残念だけれど後悔はない。

これの繰り返しの
毎日を送っています。

なので
毎晩
ある意味
一度、私、死んでますね(^^;)


つまり

毎日
毎日が

新たな一日なんです(*^-^*)


今日も
すでに長文(^^;)


長男との
最後の時間の
続きは

次回へ続くと
させていただきます。

今日も
お読みいただき
ありがとうございました。

さぁ!
今日も1日
楽しもう~~!!(*^▽^*)♪



昨日
今日と秋祭り。

こんな奇跡の瞬間(とき)が
ありました(*^-^*)

叶わぬ想いと
わかりつつ

時よ
戻れ!!


想ってしまいます(^^;)
昨日の続きを書きたいと
思うのですが

昨日のブログの中で

(昨日のブログはこちら)
    ↓
http://ameblo.jp/dmt1073/entry-12081736618.html

サラッと
書いたのだけど

長男の心臓マッサージを
続けるか
止めるか

選択をした時

一瞬で
たくさんの想いが
沸き上がり

決断するのに
ものすごく
苦しみました。

長男の命がかかった
究極の選択でした。

今日は
あの瞬間、感じたことを
もっと詳しく
書きたいと思います。




心肺停止状態で
病院へ担ぎ込まれた
長男の足を
必死に
さすりながら

死んでなんかいない!
死ぬわけがない!
死なせてなるものか!!

お願い!
早く目を覚まして!!


一心不乱に
念じていました。

その願いも
むなしく

医師から

心臓マッサージを
止めたら
心臓の動きは止まると
思いますが
どうされますか?

続けますか?
止めますか?



聞かれた時

一瞬で
湧いた想いは

止めないで!!

心臓マッサージを
し続けたら
心臓は動いてるんやろう!

だったら

ずっと
ずっと
心臓マッサージをしてよ!

なんで
止めないとあかんのや!

あんたが
無理なら
誰か他の人がやって!

そうや!

機械でずっと
心臓マッサージを
してもらったらいいんや。

そうしたら
この子は
ずっと生きられるやんか!



どんな手を使ってでも
長男の心臓を
動かし続けて

どんなことをしてでも
長男に生きていて
もらいたかった。

どんなことをしてでも
死なせたくなかった。

それが
偽らざる
私の本心でした。


その湧いてきた
想いを
そのまま
言いたかった。

止めないで!!
ずっと
ずっと続けて!!


でも・・・

長男の
全く反応もなく
ぐったりして

ただただ
心臓マッサージの
振動によって
小刻みに揺れている
姿を見たら


心臓マッサージを
止めないで!!

とは

どうしても
言えなかった・・・


どんなことをしてでも
一分一秒でも
長く生きていてほしい!!

でも
でも



もう自力で
生きることができなく
なっていて

自然な状態だと
心臓は止まるのに

ただただ
私達のためだけに
生かされている長男。

私の想いなんかよりも
長男の方が何より大事!


ずっと
これからも
生きていてほしい!

だけど・・・

長男だけのことを
想うと・・・


もう長男の体を
楽にしてあげよう。


そう覚悟を決め

「もういいです。
止めてあげて下さい」


言ったのです。

長男の命を
左右する

究極の選択でした。

本当に
苦しかった。

本当に
辛かった。

どんなに
言葉を尽くして
言い表せない。




私は思うのです。

あの状況での
『生きていてほしい』は

『長男のため』ではなく

私が長男を
死なせたくない
長男の死を
受け入れられないから
という
『私のため』の想いだったと。

これって

以前書いた

善意にも
通じることだと思う。

相手のために
良かれと
思って・・・

本当だろうか?

相手が
苦しんでいるのを
見ているのが
耐えられず
自分が楽になりたくって
『自分のため』にしていないだろうか。


これは
私の戒めとしても
書いています。


『相手のため』
という中に

本当は
『自分のため』があるんだ。

『あなたのため』
という名目の
『自分のため』

ということに

長男の心臓マッサージの
出来事や

長男の死後の
たくさんの善意を
いただいた経験から

痛切に感じました。

それからは

何か
相手のために
行動する時

「それって、誰のため?」


自分に
いつも問いかけています。

それは
良し悪しではなく

『誰のために』にが
わかった上で
行動することが
大事だな~


思っているのです。

そうすれば
どんな究極の選択でも
ブレることなく
選択できると体感したから。



これって


私の親子関係で
とっても
役だっています(*^-^*)

「あなたのためを想って
言ってあげてるのよ」

「あなたのためにって
想うからこそ
してあげたのに」

『子どものため』を
想って
口にしている言葉って

本当にそう?

実は
『私のため』ではないの?

そう
いつも自問自答しています(^^;)

そして

誰のためかが
わかると

自分の
想い通りの
行動ができるし

想い通りの
言葉になるんですよね~(^v^)♪

今日という
奇跡の時間を
愛する人たちと

本当の想いを
言葉にして
行動にして

生きられたなら
幸せですよね(*^-^*)






ではまた
次回から

回想記 
~あの瞬間、感じたこと~ の
続きを書きたいと思います♪

ぜひ
読んで下さいませ(*^-^*)















































時々

「悲しみを
乗り越えたんだね」


言われることが
あります。

その度
とても返事に困ります。

だって

今も心の中に
ものすごく大きな
悲しみはあるのです。

今も

何かのきっかけで
一気に悲しみが
湧くことがありますが

そんな時は


あ~
悲しいよね。
仕方ないよ。
一生
息子のことを
忘れることなんて
ないんだからさ・・・

それほど
愛してるって
ことなんだから・・・

でも
今はちょっとだけ
待ってて。

ここで
泣く訳にいかないから。
後でゆっくり
出て来ていいよ。


自分の悲しみを
押し殺すのではなく
有を与え

ただ
悲しみとの
つき合い方が
うまくなっただけ・・・


だけど

それを
どう伝えたらいいか
うまく表現できず

つい
曖昧な返事をしてしまう。


もう
この悲しみとは
9年の付き合いだもんな・・・


そりゃ
悲しみとの
付き合いもうまくなるわな~

なんて思う
今日この頃。


でも・・・

9年前の
あの瞬間(とき)は
とてつもない
大きな悲しみに
押しつぶされそうになり
どうすることもできませんでした。

では

今日も
9年前のあの日に
タイムスリップして

昨日の続きを
書きたいと思います。




2006年11月12日(日)

どうか
生きていて!!

そう
一心不乱に
祈りながら

車を走らせ
長男の搬送された
病院へ向かいました。

そして

長男のいる
処置室へ飛び込みました。

そこには

ベッドの上に
力なく横たわる長男と
一生懸命
心臓マッサージを
してくれている医師がいました。

そして

長男のそばには
だんな様と

たまたま
休日出勤をしていた
その病院の事務員で
私の心友がいました。

私は急いで
長男のそばに駆け寄り
足を触りました。



触れたときより
さらに温かみがないように
感じました。

『死』という言葉が

どんなに
打ち消そうとしても
湧いてきます。

そんなわけない!
そんなわけない!!

この子は
生きてる!!

死ぬはずないやんか!!

お願いっ!!
このままやったら
死んだと思われる。

お願い!!
目を開けてーーー!!

一生のお願いや!!

もう何にも望まへんから!!

生きてくれてるだけで
いいんよ!!

それ以外
何も何も望まへんから

お願い!!
目を開けてーーーーーー!!

そう
心で叫びながら

何度も
何度も
何度も

長男の名前を
呼び続けました。


でも
どんなに
呼びかけても
長男は
ぐったりしたまま。

私が到着して
わずか10分ほどで

その場にいた医師から

それだけは聞きたくない
言葉を言われました。

『心臓マッサージをしているので
なんとか心臓は動いてますが
心臓マッサージを
止めると
息子さんの心臓は止まると思います。
どうしますか?

このまま
心臓マッサージを続けますか?』

(病院側は、母親の私が来るまで
なんとか心臓マッサージをし続け
長男を生かせておいてくれたのだと
後でわかりました)


どこかでは
もうダメだろうと
思っていても

息子が死ぬなんて
それだけは
受け入れられず
ずっと
打ち消してきていたのに

とうとう
医師から事実を言われ

呆然となり

必死に
長男を揺り起こそうと
していた手を止め

その場に突っ立って
長男の姿を見ました。

そこには

もう
いつもの
元気な長男はおらず

力なく
ダラッと腕が
ベッドから落ち

そんな長男に
医師が
ドンドン
ドンドンと
長男の胸を押しまくっている・・・

それに気付いた時

その姿が

あまりにも
長男が痛々しくて

もう止めて!
もういい!!

そんなことを
しても

もう
もう

あの子は
生き返らない。

これ以上
息子を苦しめたくない。


そういう
想いが湧いてきて

本当はずっと

心臓マッサージを止めないで!


言いたい。

だけど

長男を楽にしてあげたい・・・

ただただ
その一心で

嗚咽しながら

「もういいです。
止めてあげてください」

言いました。


そして・・・

長男は
13歳と29日という
短い生涯を閉じました。


長男をお腹に宿し
その命が愛おしくて

お腹にいる時から
大切にし
愛し
みんなにも
待ち望まれ

生まれて来た
長男。

初産で
ものすごく
苦しみましたが

だんな様に
お腹を押してもらい
夫婦共同作業で
長男を生みました。

初めて長男を見た時
あまりにも愛しくて

どんなことが
あっても

私がこの命を
守り抜く!

そう誓い

それから

ずっと
ずっと
大切に

愛して
愛して

全身全霊で
育ててきました。

それが

最愛の長男の
最期を決めたのは
私でした。

「10時10分 死亡」

医師から
死亡宣告を受けた時

一途の望みをもち
なんとか
踏ん張っていたものが

一気に
断ち切られ

一瞬にして
全ての力が抜け

目の前が
真っ暗になりました。

そこには
受け入れ難い

いや

絶対
受け入れたくない
現実があったのです。


・・・ ・・・ ・・・ ・・・


人生って
本当に
色々ありますね。

これでもか
これでもかってなぐらい

いろんなことが
ありました。

それでも
精一杯生きて来て

こんな幸せを感じられるなんて
生きててよかった~


思い
本当に幸せな毎日に
感謝して生きていた時

最愛の長男を
突然、亡くしました。

一瞬にして
地獄のどん底に
落ちました。

医師から
死亡宣告をされた瞬間

茫然自失となり
私の生命力は尽きました。




私は今・・・

最高に幸せです!!(*^▽^*)

よ~~し!!
やるぞ~~!!


自分の使命通りに
生きようと
燃えております。

エネルギーに
満ち足りております。

一体
どうやったら

生命力が尽きた状態から
こんなパワフルで
幸せ感満載の私になるのか・・・

それは・・・

またの機会に
書かせていただきますね。

それを語るには
どうしても
9年前のことから
書かないと
伝えきれないもので(^^;)


回想記
まだまだ続きます♪

お楽しみに~(^v^)

今日も
お読みいただき
ありがとうございました(*^-^*)




長男
中学入学時の写真です。

満面の笑顔(*^-^*)

この7ヶ月後に
長男が亡くなるなんて・・・

明日
死ぬかもしれない。

どんなに若かろうと。
どんなに元気であろうと。



生まれた瞬間から
死へのカウントダウンが
始まってるんだ。

それは
明日かもしれないし
今日かもしれない。

だからこそ
今、生きている
この瞬間を
大切にしよう。

この瞬間を
精一杯、生きよう。

後悔しないように・・・

そう
長男の命を通して
教えてもらいました(*^-^*)

あ~
今日も生きたぞ~!

満足です♪
もう寝よう(^v^)♪