同じ空間にいると、過去を思い出す。(不妊-フォンウイル) | MaMaUsakoの妊活カルテ(治療終了)

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ベビ待ち10年。
2015年11月12回目の移植で人生初の妊娠、不妊クリニック卒業後9W流産。
赤ちゃんは15トリソミーの男の子でした。

フォンウイルブランドの受診。

今回の因子活性、52.4%

正常値は60以上ですが、50あれば血は止まるらしいのです。

「これだったら、薬なしで手術もできるよ。」

と。

「薬はいらないけど、ちょっと気をつけてねーぐらいですか?」

と、聞くと、

「そんなもんやねぇ」

とのこと。

私の因子活性は40~64%まで動きます。

過去の採血では、

42→53→60→57→48→40→64→52%

だったかな???

8回中5回50越え。←何回採血したかもうる覚えですが。

48の時は、

「薬がいるねぇ」

で、

52だと、

「薬いらないねぇ」

になるんだなぁー。

今後、どうするのか聞かれたので、

「もう、採卵はしないつもりですけど、まだ、気持ち的に割りきれなくて、採卵したい気持ちはあるんですけど、何回も何回もするのも、アレかなぁとおもって。。。」

と、答えました。

次の受診は、1年後です。

「もう、この値だったら、もし万が一妊娠してもここに来なくていいですか?(妊娠したら採血して、数値が上がっているかを確認したいから受診するようにと言われていた)」

と、診察室から出る寸前に聞いてみました。

「帝王切開になるのかどうかとか、相談しないといけないから、来てください」

とのことと。

そして

「妊娠して来てくれることを祈っています」

と。

先生。

先生も、体外受精の採卵のためにコンファクトFを自己注射として処方したのは初めてだったでしょう。

採卵をクリニックで断られてから、体外受精をしてくれる病院を探すまで、そして、採卵のたびに受診する私を応援してくれました。

それなのに。

万が一。

もしも。

という言葉を使わないといけないぐらいのところまで、妊娠できないなんて。

3年前、初めて体外受精した頃の、ドキドキ。

ああ、お母さんになれるかもしれないと、毎回、毎回、思ってきたこと。

あの頃と同じ空間で、診察をまち、同じ先生の診察を受ける。

色んな事を思い出します。

何もかも同じなのに、私の気持ちは同じではありません。

過去最低の自信のさなです。

落ち込み私を元気付けるにはスイーツが一番。



しかし、採卵に薬が必要かどうかを判断するための採血の時だけ、2年連続、因子活性が50%を切ったのは、やっぱり私を守るための何かの力が働いたのでは。と、思ってしまいます。