地震、こわいですよね。
ウチは大阪だけど、難を逃れた感じです。
それでも、すごくびっくりして唖然としましたし、交通が全域で麻痺して、身動きできなくなりました。
沢山の方々が、心配して、安否の確認やお見舞いの連絡をくださいました。本当にありがたく、心が温まります。これだけの方々が気をかけてくださってる、とてもうれしいことです。ありがとうございます。
大地震は、ほんとにもう、なすすべもない災難で、被害に遭われた方々、それは今回だけでなく、阪神や東日本を始め、北海道から九州までこのところ起こった地震で被害にあわれ、今なお傷つかれてる沢山の方々にお見舞いを申し上げます。
わたしは一時少しだけパリにいた以外ずっと大阪在住なので、1995年の阪神大震災も経験しました。その時も有難いことに大難を免れています。
が、やはり酷く揺れた記憶は鮮明で、振動前の音から中々揺れが収まらないその過程など、映像として今も脳裏に残っています。
今回の地震で、阪神大震災後に、被災地に炊き出しに行ったことを思い出しました。
学校の食堂に大鍋を借りに行ったら、顔馴染みのおじさんやおばさんが、快く2つか3つ貸してしれました。
そして、家族と親戚、父の会社の人たちで、神戸の被災地に、たしか うどんの炊き出しに行きました。
わたしは古い記憶が鮮明な質で、生後数ヶ月のことも一部覚えているぐらいなのですが、不思議とこの炊き出しのことを、鍋を借りたシーンしか思い出せません。事実だけ覚えているのに、具体的なイメージが何も残っていないのです。
阪神高速はずっと通行止めだったから、下道で現地に向かったはずで…、備品のテントを立てたはずで…、カセットコンロか何か使ったのか、行ったはずの買出しのことも、現地はどんなだったのか…
その前後の他のことは覚えていることもあるのに、記憶を手繰っても炊き出しのことは何も出てきません。
自分としては、あまりショックを受けたような自覚はないのですが、なぜ封印されていまっているのか、全く見当がつきません。
あの時も、地震がおさまって、すぐにテレビをつけて…、これだけ揺れたのだから学校は休みになるかもしれない、それを確認したくて…、最初はそのぐらいの気持ちだったのです。今から思うと本当に精神が子どもで、我ながら呆れるばかりです…
そうしたら、中継の映像で、阪神高速の橋脚がポッキリ折れて、見える限りにずっとたおれていて、衝撃を受け息を呑みました。中継のヘリコプターの音と、爆撃後のような惨状に、けぶる瓦礫のきな臭さが…においは錯覚だったのに、いまだに記憶として呼び起こされます。
「こんなことがおこるんだ…」
たった一言が、しばらく思考を独占しました。
その後、「こんなことがおこるんだ…」と茫然自失するような出来事を何度か目にし、自分も遭遇しました。(そういえば、パリでシャルリエブドのテロが起こったとき、あの辺りは生活圏のひとつでしたっけ。)
わたしは地震ではクリティカルヒットを受けていませんが(テロでも)、他でやられています。
そして、人生はときに、等しく皆の上に、そういうものなんだと悟りました。
そうして今 生きているということでしょう。
まさに、survive(サーバイブ)……危機を切り抜けて生き残る
否応ない大災難が また起こるかもしれないということは、沢山経験を積めば積むほど…、「起こりうる」ということが分かっているだけに、恐ろしく思われます。
今回の地震が南海トラフ地震の予兆であると唱えている専門家の記事を目にしました。早速、南海地震、南海トラフ…ググります。
あ、あ、あ(||゚Д゚)
いやだいやだ。
来るのであれば、お手柔らかにお願いしたいです。
蛇足
アン=ロワは、地震とか花火とかでパニクるタイプのようで、バフバフいいながら(声が上ずって、ちゃんとワンワンになってない)逃げまどっていましたから、
「おいでっヽ(`□︎´強)ノ‼︎」とまず捕まえて、胸の下にガードして、机の下に潜りました。
ウチはドッグファーストなんで、まずアン=ロワです。




