撮影すること以上に重要なカメラマンの役目とは-2
(前回記事より続く)
はじめに一言断っておこう。前回では「カメラマンが最大限にその人の表情を引き出してこそ価値がある」と述べた。しかしそうはいってもカメラマンはあくまで選手であれ卒業生であれ彼らの表情のいい部分を最大限引き出すための「アシスト」をするまでがその使命であって、実際に顔を作るのはその被写体自身である。つまりどんなにカメラマンがその人のいい表情を引き出そうとしても、被写体自身がそれに十分こたえられなければそれはその被写体自身の責任にほかならずカメラマンに責はない。カメラマンはいい顔を引き出すアドバイスをできる限りしていればその時点で責任は果たせているわけである。これは選手名鑑でも卒業写真でも同じだろう。
で、そもそもなぜ私がこんなことを口にするのか。それは昨今の選手名鑑に幾ばくかの物足りなさを感じているからだが、私自身が昔、ある選手の理想的な面構えをみて「もし俺が被写体だったらこうなりたい」という…いわば勝負師の顔に「惚れ込んだ」からである。
20数年ほど前になるが、当時ある投手が最多勝に輝き復活を遂げた。そのときの顔…
その投手は入団時から武骨なイメージが常についていた。それは彼の入団から十数年たっても一向に変わらなかった。だが最多勝の箔もあったとはいえ同じ武骨さでも例年とは輝きが違っていた。キッと前を向いた目…整った鼻筋…しっかり結ばれた口元…とにかく浮ついたところが全く感じられない…まさに戦う男の顔のあるべき姿をそこにみたのだ。そう、これこそが真の意味での「男の色気」である。
そしてその緊迫感豊かなたたずまいこそがその選手自身から自然発生したものであり、そこにはある種の「品格」すら感じた。彼はそれをカメラマンの手を借りることもなく自らの手で最高の形で表現してみせた…私にはそう思える。そしてそれは彼自身が…おそらく彼自身の選手生活のなかでも最も「キャリアハイ」と呼ぶに相応しい実績を作り出したことでさらに色濃く出たのではないかと思う。そしてカメラマンもそんな彼の「プロとしての色気」を感じたからこそごく補助的な所以外ほとんど手を加えなかった…こんなところだろう。
ゆえに選手名鑑とは笑顔の品評会の類ではなく、選手達自らがカメラマンとの共同作業によって、プロ意識やプライド、個性などを最大限アピールすることで選手自身が己の存在価値を表現する、そういう場所でもあると思う。
はじめに一言断っておこう。前回では「カメラマンが最大限にその人の表情を引き出してこそ価値がある」と述べた。しかしそうはいってもカメラマンはあくまで選手であれ卒業生であれ彼らの表情のいい部分を最大限引き出すための「アシスト」をするまでがその使命であって、実際に顔を作るのはその被写体自身である。つまりどんなにカメラマンがその人のいい表情を引き出そうとしても、被写体自身がそれに十分こたえられなければそれはその被写体自身の責任にほかならずカメラマンに責はない。カメラマンはいい顔を引き出すアドバイスをできる限りしていればその時点で責任は果たせているわけである。これは選手名鑑でも卒業写真でも同じだろう。
で、そもそもなぜ私がこんなことを口にするのか。それは昨今の選手名鑑に幾ばくかの物足りなさを感じているからだが、私自身が昔、ある選手の理想的な面構えをみて「もし俺が被写体だったらこうなりたい」という…いわば勝負師の顔に「惚れ込んだ」からである。
20数年ほど前になるが、当時ある投手が最多勝に輝き復活を遂げた。そのときの顔…
その投手は入団時から武骨なイメージが常についていた。それは彼の入団から十数年たっても一向に変わらなかった。だが最多勝の箔もあったとはいえ同じ武骨さでも例年とは輝きが違っていた。キッと前を向いた目…整った鼻筋…しっかり結ばれた口元…とにかく浮ついたところが全く感じられない…まさに戦う男の顔のあるべき姿をそこにみたのだ。そう、これこそが真の意味での「男の色気」である。
そしてその緊迫感豊かなたたずまいこそがその選手自身から自然発生したものであり、そこにはある種の「品格」すら感じた。彼はそれをカメラマンの手を借りることもなく自らの手で最高の形で表現してみせた…私にはそう思える。そしてそれは彼自身が…おそらく彼自身の選手生活のなかでも最も「キャリアハイ」と呼ぶに相応しい実績を作り出したことでさらに色濃く出たのではないかと思う。そしてカメラマンもそんな彼の「プロとしての色気」を感じたからこそごく補助的な所以外ほとんど手を加えなかった…こんなところだろう。
ゆえに選手名鑑とは笑顔の品評会の類ではなく、選手達自らがカメラマンとの共同作業によって、プロ意識やプライド、個性などを最大限アピールすることで選手自身が己の存在価値を表現する、そういう場所でもあると思う。