センバツ優勝の沖縄・興南高の軌跡 | スポーツを語ろう-ZE!!

センバツ優勝の沖縄・興南高の軌跡

今年のセンバツ高校野球は沖縄・興南高が初優勝を果たした。沖縄勢のセンバツ優勝は08年の沖縄尚学以来2年ぶり3度目、さらに興南が属する九州地区まで広げると昨年の長崎・清峰に続いて3年連続の快挙となる。まさに“春の九州”のイメージが定着しつつある。
その優勝した興南だが、実は春のセンバツでは今大会の初戦突破が初勝利だという。「あれ?そんなに勝ってなかったかな」と少々意外に思ったものだが、振り返ってみると私の知っているところでも81年センバツで前年夏8強入りしたエース竹下浩二を擁しながらその大会初戦で準優勝の千葉・印旛高に1-3で敗北、2年後の83年にはこれまた前年夏に活躍したことで大会屈指の左腕の呼び声も高かった仲田幸司(阪神)が期待に違わぬ好投を披露しながら初戦で大阪・上宮に1-2、まさかの逆転サヨナラ負けを喫していた。そういえばいずれも初戦敗退である。そして昨年センバツ…夏の大会ではちょこちょこ勝っているせいもあってか意外と目につかないが、センバツに限れば勝ってないはずである。
さらに先述の上宮高との試合後に泣きじゃくっていたマイク仲田については試合中でもランナーを睨みつけるなど意地を見せていた姿がいまだに印象に残っているが、とにかくこの頃から興南の戦いぶりには悲壮感を感じずにはいられなかった。竹下のときの81年夏も好投手松本豊を擁した秋田経大付=現明桜に初戦で屈している。80夏81春夏と3季連続出場し、3季とも竹下・玉寄といった左右の両好投手を擁し、しかも2人が2年の段階でベスト8に進出しているだけに期待度もかなり高かったはずの中でのこの結果は少し寂しすぎた。
仲田のときも3回戦で前年夏に敗北を喫した広島商に返り討ち…その後70年代に豊見城高を率いて甲子園を沸かせた故・栽弘義氏の就任後に力をつけてきた沖縄水産が台頭するようになり、それからしばらく興南は甲子園から遠ざかるようになった。当時の比屋根監督はさぞかし無念な思いで采配をふるっていたのではないだろうか…そしてその後も「ウチの学校は今進学校化しているから…」(OBのデニー友利・元横浜他)という理由から?興南の名もすっかり忘れさられたものとなっていた。
それでも、実は興南の甲子園での実績は意外に古い。2度目の出場となった68年に安次嶺を擁し「魂・知・和(=こんちわ)」野球でベスト4入りするというセンセーショナルな実質「デビュー」を果たしている。
今、興南ナインの身を包んでいるユニフォームはその当時のものだ。そして我喜屋監督は当時のキャプテンとして甲子園出場を果たしている。
よく「迷ったら原点に帰れ」という言葉があるが、当時のユニフォームといいそのときの主将が現監督としてチームを率いている事実といい、今回の優勝がまさに原点回帰を思わせる風を注ぎ込んだかのようである。だがそれは沖縄野球の新しい1ページを開いたともいえるチームを主将としてまとめた人が指揮を執ったからこそ長い冬から脱出できたのだろう。なぜならこういう人こそがチーム作りのノウハウを隅々まで熟知しているからである。
かつての栄光が時代を超えて、悲壮感も、長いブランクもすべて塗り替えた…
その瞬間をこの優勝に見たような気がしたように思えた。