FB:マッチメイクにも手順とセオリーがある(今年7月作成) | スポーツを語ろう-ZE!!

FB:マッチメイクにも手順とセオリーがある(今年7月作成)

あれは15年…くらい前だろうか…正道会館のトップファイターでありながら一時期引退同然に芸能活動に精を出していたはずの佐竹正昭が突如リングに帰ってきた。そしてその復帰戦が横浜アリーナで相手はあの故アンディ・フグと決まった。
まだK-1が東京ドームに進出する前はさいたまスーパーアリーナができる前ということもあってこの横浜アリーナが首都圏では常打ち会場のような感じになりつつあった。私もこの横浜アリーナが実家から近かったこともありよく友達を誘って観戦したものである。
佐竹とアンディ…ともにK-1きっての人気者同士の闘いとあって確かに試合前までの期待感は高かったように思われる。少なくともK-1に興味を持ち始めたファンにはまだまだ顔と名前が一致していない選手が多かったであろうから佐竹やアンディのような“知名度の高い選手=強豪、強豪同士の闘い→名勝負”この図式を描くのは当然である。
しかしながら一方で、ある程度K-1の体質を知っている者にとってこのカードがどれほど楽しみなものかは人によってまちまちではなかったか、という思いを禁じ得ない。実際私にはこのカードには全くというくらい関心を持てなかった。友達を誘った手前という点と、ピーター・アーツやマイク・ベルナルドなど特にあの当時のK-1には佐竹やアンディ以外にも強豪がいたからそっちを目当てに会場に行ったということはあるが、それがなければこの大会自体見にいかなかったかもしれない。
さて、試合の方だが、果たして大方の予想以上の凡戦となった。それが断言できるのは会場のムードで判別がつくからである。何しろ5Rもあるのに3Rあたりから野次が飛び始めているのだ。観客も観客でいかに現実とのギャップを考慮にいれずに激戦のイメージばかりを膨らませて観戦に臨んでいたかだが、やっている方にあまりにも動きがなさすぎればそれも無理のない話にはなってくる。
もっとも、大方の予想はともかく私にはこの結果は十分想定できていた。なぜなら試合を組まれたときの選手の心理状況を考えることで察しがつくからだ。ではその心理状況とはいかなるものか?簡単に言えば“負けられない”という意識を強く持たざるを得ない状況に追い込まれていた、ということである。
負けられない、といえば聞こえはいい。しかし、実はこの言葉には問題点がある。それは“勝ちに行く”というのとは少し違う。勝ちに行く、というのが主に向かって行く姿勢からくるものであるのに対して“負けない”“負けられない”というのはその“勝ちに行く”という要素も含まれているケースもあるが、それともう一つ、一言で言えば“守りに入る”という相反した要素をも持っている。
そしていざ試合が始まってみれば、両者とも“勝ちに行く”のではなく“負けない試合をやる”という悪い面の方が顔を覗かせてしまった。その結果、決め手が全くないままラストラウンドのゴングを耳にするという最悪の結末を招いてしまったのである。
なぜこうなってしまったのか?まずアンディからしてみればピークアウトしかかっていたとはいえ当時はK-1でもバリバリのトップファイターである。それがしばらく実戦を離れて芸能活動をやっていたような人間には負けられないという意識は当然持って然るべきであろう。
だが一方では、ブランクがあるとはいえ相手も一時期はトップファイターだった男だ。それゆえ積み重ねてきた練習量の違いがある分アンディが有利に立てるには違いなかろうが、だからといって調子に乗ろうものならいつその隙をつかれて逆転カウンターを食らってもおかしくないような相手でもある。自分の優位は動かないものの絶対負けられない上いつも以上に油断はできない。だからアンディサイドとすれば慎重にいかざるを得なかったのだ。
一方、佐竹の方も「できれば復帰戦は飾りたい、最低でも次につながるような有意義な試合をしたい」当然そのくらいのことは考えていたはずだ。しかしこちらは、ファンも含めた周囲の期待は恐らくアンディ以上に過剰に意識していたのだろう。そうであるがゆえに、こちらも無様な闘いはできない。間違っても最悪何もさせてもらえないまま早期にしてあっさりKO負けを喫するなど絶対許されない。だから佐竹は佐竹でうかつな攻め方はできないのだ。
しかも相手がアンディである。さらに試合の進め方によっては「この芸能人あがりが…」などといったそしりを方々から受けるようなことになりかねない。身から出た錆とはいえ、佐竹にも攻勢に出るには辛い要素はたくさんあったのである。
だからといって、(それも男同士の)お見合いを見にきたわけでもないのに全く動きのない試合をメインイベントで見せられ、期待を裏切られたファンにしてみたらたまったものではない。しかしそうかと言ってあの日のあの二人にあれ以上の結果を求めるのも酷。それは二人にも先に述べたような状況の問題というものがある。だからある意味二人は二人で被害者なのである。
となると、最終責任はどこにあるか?
言うまでもなくこんなマッチメイクを能天気に仕組んだ者である。(続く)