FB:さらば、哀しみの優勝投手-3 | スポーツを語ろう-ZE!!

FB:さらば、哀しみの優勝投手-3

準々決勝の岩倉戦、試合前半は好投していた石田だったがそれが限界だったらしく終盤逆転されて取手二高の春は終わった。

その後も取手二高は出口の見えないトンネルをさまよっているかのようだった。秋優勝した関東大会に春もでたことは出たのだが2回戦だったか?法政二高に敗れてしまう。詳細はしらないが“石田復調”のムードも漂ってこない…

その年の夏も取手二高は茨城を勝ち抜いて甲子園に出てきたが、もはや優勝候補としての呼び声はかなりトーンダウンしていたものだった。しかもそんな中、初戦で当たったのが和歌山の強豪・箕島高である。
この箕島。5年前の79年には史上3校目の春夏連覇を果たし、前の83年にはメジャーにも挑戦した吉井理人、そして古くは東尾修などプロにもかなりの人材を輩出していた。
恐らく箕島・尾藤監督にとってもこの年のチームは過去のチームと比較してもかなりの手応えを感じていたのだろう。5年前の連覇のメンバーである嶋田宗彦の弟・章弘が投打の中心でしかも投手としては145キロの速球をもつという。さらに杉本正志という嶋田がいなければエースという強力リリーフもいる。取手二高はまたしても大きな壁にぶち当たってしまったのである…

―私個人は、取手はもちろんだが、箕島も好きだった。
何しろ私が野球に興味をもつきっかけの一つが箕島の尾藤野球だったからである。
それゆえこのカードにはかなり複雑な感情を持っていた。
しかし状況の違いを考えるともう取手を応援せずにいられなかったのである―

この試合、箕島有利とみていた人がほとんどだったと思う。
そして、先に述べた私の思いとは裏腹に試合中盤まではその通りの展開となった。
箕島の嶋田。正直私には聞いていたほど好投手としての凄さは感じなかったがそれでもやはり球威は十分だしコントロールもまずまず。なるほど好投手と称されるだけの条件は十分満たしている…
一方の取手二は…先発は春のミラクルボーイ柏葉…
だが彼が先発をやるということは石田の調子がイマイチであるということの表れでもある…
そしてセンバツでは存分に際立った柏葉の持ち味も箕島には通用しない。3点リードを許したところでまるで苦し紛れという感じで石田がマウンドへ…しかも石田がまた打者の頭にデッドボールをぶつけて睨まれるなど、こちらも本調子ではない…

終盤までこんな感じで進んでいたので、「取手もここまでか…」の思いが私の心をよぎった。「ま、このままもし逆転しても優勝は苦しいだろうし、あとはいかに選手達が納得いく試合を作れるか、だな…」

恐らく選手達もそんな思いだったことだろう。もしかしたら開き直っていた者も多数いたに違いない…

一方、箕島は箕島で尾藤監督以下、チーム力の違いやこの日の試合展開から確かな手応えを感じとっていたのだろう。ところがこの手応えがときとして“魔物”を呼んでくることもある…

そうした状況の変化がすべて噛み合ったとき、波乱が起きた…