FB:さらば、哀しみの優勝投手-1(昨年7月半ば頃作成) | スポーツを語ろう-ZE!!

FB:さらば、哀しみの優勝投手-1(昨年7月半ば頃作成)

今、高校野球地区予選が真っ盛りである。早くも沖縄では興南高が全国のトップを切って出場を決めた。

昨年、その高校野球地区予選の真っ只中で全国優勝まで果たしたある投手が静かに人生のマウンドを去った…

その人は全国優勝まで果たしながらもその人生は苦難続きだった…そして野球人生の後半は裏方として所属球団を支えた。

その人が亡くなってから、早いものでもう一年がたつ…
この記事は、昨年まで私が主戦場としていたブログサイトで書いたものだが、アメーバブログの方にもぜひ彼の生き様を偲び、彼の存在を焼きつけてほしいという思いもあり、一周忌企画も兼ねてFB(フラッシュバック)として再度リリースすることとした。
まるで陽炎のように、短くも壮絶な彼の生き様に触れてほしい-

※なお、昨年作成した記事ゆえ時期的なズレが若干でるかもしれないことを御了承頂きたい。

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一月ほど前、お見舞いにきた親しい関係者に「2、3ヶ月リハビリして秋のキャンプには投げるよ…」
しかしその「2、3ヶ月」を待たずしてその男は帰らぬ人となった…直腸ガンと聞いている…

男の名は、石田大也。
横浜ベイスターズの打撃投手である。
そして84年夏の選手権大会で茨城・取手二高のエースとして優勝投手に輝いた男でもある。

今回はささやかな追悼の意味も込めて、私が目にしてきたこの石田投手の在りし日を振り返ってみたい…


私が「石田文樹(本名)」の名を聞いたのは83年のセンバツ前…
当時から高校野球オタクだった私はセンバツの選手名鑑がでようものなら端から端まで読んだ。とりわけこの年は池田高・水野、Y校(横浜商)三浦、興南・仲田、そして個人的に佐世保工・香田、久留米商・山田…打者では享栄・藤王、Y校・高井らいい選手が目白押しだっただけに余計興味をそそられた…
そんな中、取手二高の2年生エースとして“ひっそり”という感じで名前の出ていたのが石田だった。もちろんこの時点では私といえどさほど興味はなかったのだが、何しろ取手二高ナインの写真が最初のページに出てきていたからいやでも目についた。それでも当時取手二高といえば聞かない名前ではなかったし、そこで2年生にしてエースナンバーを手にしているのだからそこそこ力のある投手であることは伺えた。
しかし「これはまだ勝負のできる顔じゃあないな」という気もした。彼も元々童顔なのだが当時まだ2年生ということもありあどけなさのかくしきれる顔ではなかった。私自身もそうだが、“貫禄”や“威圧感”という部分では童顔は損である…

そしてその石田が甲子園デビューを果たす。初戦の相手は大阪・泉州高だが5-6で負けてしまう…
この試合、私は石田について数字上のデータしかしらない。したがって石田の実力を拝見する機会はそれ以後になるのだが…

その年の春の関東大会にも取手二高は出場。ホームランを打ってナインに迎えられる石田の写真が雑誌に載っていた。喜ぶ顔に無邪気さが滲み出ている。一方で2年生ながらホームランを打つあたり打者としても才があることを存分に感じさせる…

2年夏は県大会で敗北。ちなみにこのときの茨城代表は加茂川(元巨人他)を擁する茨城東高である。

したがって石田への期待は翌年に持ち越しとなる…