高校球界の名伯楽の一言から学ぶ−2
(前回より続く)
私は先日寝ながらふと中村監督のこの“褒めすぎ叱りすぎはダメ”という言葉を思い出したのだが、そしてさらにこんなことを考えた。
“自信のつけすぎ、プライドの傷つけすぎはダメ”だと。
しかし現実にはこんな感覚が抜けきらないままの状態で現場に臨む教育係もいまだに後を絶たないのではないか。
まず、“自信のつけすぎ”-というよりは“調子に乗せすぎ”-といった方がいいかもしれない。やり方がどうあろうと教育や指導の最重要目標は指導対象に自信をつけさせることである。ただ、そのやり方としては長所を伸ばしたり誉めたりして調子にのせることと、それとは対極に反骨心やライバル意識などから刺激して伸ばす方法とある。ただいずれの手を使おうと最終目標は同じなはずだ。
ところで、調子にのせていいところを伸ばすのはいい。やる気にさせるのに最も効果的で確実だからだ。アドバンテージを自覚させてその気にさせれば脳が喜び、さらに前向きに取り組むことで更なる飛躍が驚異的なレベルで期待できるからである。
ただ、自信のつけすぎは過信に繋がる。“天狗になる”というヤツだが、そこまでいかなくても気の緩みが生ずることが出てくる。その程度ですめばよいがそれが奢りや思い上がりに繋がるようなら最悪である。
それは私自身に“奢りを覚えたものは落ちぶれるのも早い”という持論があるからだ。これはどの世界でもある程度は共通しており、実際私自身もそうして落ちぶれた人を数多くみてきたからいえるのかもしれない。奢ることを覚えると物事を見る目にブレが生じてそこから人間性にも狂いが出るからだ。
一方で、よく昔の人の教育方針に見られがちだがプライドを傷つけて「コンチクショー」と反骨心を煽ることで伸ばそうとするやり方がある。
現実問題、“オレには刺激を与えてもらえないとダメなんだ”“オレは「畜生!!」と思って自分を追い込まないと力が出ないタイプ」という者もいるからこのやり方も人によっては実に効果的なケースも多い。実際「このやり方が自分には向いている」というスポーツマンは多い。
だが、このやり方は実にストレスを伴う方法だけに度を越えればあまりにも精神衛生上よくない。そればかりか、やりようによっては自信喪失に繋がる場合だって少なくない。特に私のようなおだてられるほど木に登って自信をつけるようなタイプはこの手のやり方は特に逆効果だから余計に気にかかるのだが、過度に煽りすぎて“オレには能力がないんだ”という自覚を与えてしまうことも多々ある。そうなっては完全な逆効果だ。いや自信喪失でおさまればいいが、そもそもストレスの溜めすぎは心身に悪影響を及ぼすことだって現実にある。
だから伸ばすためであっても反骨心で焚きつけるには程度を考えなければならない。第一ストレスを伴う伸ばし方では伸びしろに限界があることだって心に留める必要がある。
調子に乗せて伸ばすにも刺激を与えて伸ばすにもまず指導対象の性質をよく把握して適性を見てから方針を決めなければならないというわけだ。いい気分にさせて追い風で押すのが適しているのか、逆風に負けまいという性格を利用した方が力がでるのか。そしてそれはさじ加減を見ながらやらなければならないということだ。
もっとも、指導対象の長所と欠点を細かくピックアップし、それに合わせた指導を考え、その上で長所を生かして短所を縮める、これがやはり正攻法であり、そしてその正攻法から大幅にブレない方法をキープするのが無難ではないか。
それと、とにかく指導を受ける人の特徴を知り尽くすことが何より不可欠であることを忘れてはいけない。
私は先日寝ながらふと中村監督のこの“褒めすぎ叱りすぎはダメ”という言葉を思い出したのだが、そしてさらにこんなことを考えた。
“自信のつけすぎ、プライドの傷つけすぎはダメ”だと。
しかし現実にはこんな感覚が抜けきらないままの状態で現場に臨む教育係もいまだに後を絶たないのではないか。
まず、“自信のつけすぎ”-というよりは“調子に乗せすぎ”-といった方がいいかもしれない。やり方がどうあろうと教育や指導の最重要目標は指導対象に自信をつけさせることである。ただ、そのやり方としては長所を伸ばしたり誉めたりして調子にのせることと、それとは対極に反骨心やライバル意識などから刺激して伸ばす方法とある。ただいずれの手を使おうと最終目標は同じなはずだ。
ところで、調子にのせていいところを伸ばすのはいい。やる気にさせるのに最も効果的で確実だからだ。アドバンテージを自覚させてその気にさせれば脳が喜び、さらに前向きに取り組むことで更なる飛躍が驚異的なレベルで期待できるからである。
ただ、自信のつけすぎは過信に繋がる。“天狗になる”というヤツだが、そこまでいかなくても気の緩みが生ずることが出てくる。その程度ですめばよいがそれが奢りや思い上がりに繋がるようなら最悪である。
それは私自身に“奢りを覚えたものは落ちぶれるのも早い”という持論があるからだ。これはどの世界でもある程度は共通しており、実際私自身もそうして落ちぶれた人を数多くみてきたからいえるのかもしれない。奢ることを覚えると物事を見る目にブレが生じてそこから人間性にも狂いが出るからだ。
一方で、よく昔の人の教育方針に見られがちだがプライドを傷つけて「コンチクショー」と反骨心を煽ることで伸ばそうとするやり方がある。
現実問題、“オレには刺激を与えてもらえないとダメなんだ”“オレは「畜生!!」と思って自分を追い込まないと力が出ないタイプ」という者もいるからこのやり方も人によっては実に効果的なケースも多い。実際「このやり方が自分には向いている」というスポーツマンは多い。
だが、このやり方は実にストレスを伴う方法だけに度を越えればあまりにも精神衛生上よくない。そればかりか、やりようによっては自信喪失に繋がる場合だって少なくない。特に私のようなおだてられるほど木に登って自信をつけるようなタイプはこの手のやり方は特に逆効果だから余計に気にかかるのだが、過度に煽りすぎて“オレには能力がないんだ”という自覚を与えてしまうことも多々ある。そうなっては完全な逆効果だ。いや自信喪失でおさまればいいが、そもそもストレスの溜めすぎは心身に悪影響を及ぼすことだって現実にある。
だから伸ばすためであっても反骨心で焚きつけるには程度を考えなければならない。第一ストレスを伴う伸ばし方では伸びしろに限界があることだって心に留める必要がある。
調子に乗せて伸ばすにも刺激を与えて伸ばすにもまず指導対象の性質をよく把握して適性を見てから方針を決めなければならないというわけだ。いい気分にさせて追い風で押すのが適しているのか、逆風に負けまいという性格を利用した方が力がでるのか。そしてそれはさじ加減を見ながらやらなければならないということだ。
もっとも、指導対象の長所と欠点を細かくピックアップし、それに合わせた指導を考え、その上で長所を生かして短所を縮める、これがやはり正攻法であり、そしてその正攻法から大幅にブレない方法をキープするのが無難ではないか。
それと、とにかく指導を受ける人の特徴を知り尽くすことが何より不可欠であることを忘れてはいけない。